「コーリャ」は重々しく口をつぐみました。
「スムーロフ」も黙りました。
「スムーロフ」は、言うまでもなく、「コーリャ」を崇拝していましたので、対等に振舞うことなど考えてもみませんでした。
しかし今は非常に興味をそそられました。
なぜなら「コーリャ」が、自分の行くのは《だれにも関係のないことだ》と説明したからです。
してみると、彼が今になって突然、それもまさに今日訪ねる気になったことには、必ず何らかの謎があるにちがいありません。
二人は市の立つ広場を歩いて行きましたが、この日の広場には近在からきた荷馬車が数多く立ちならび、追われてきた鳥がたくさん集まっていました。
「追われてきた鳥がたくさん集まっていました」とは何のことかわかりませんが亀山郁夫訳では「追い立てられてきた家禽たちが群れをなしていた」となっていました。
町のおかみさんたちがそれぞれ庇掛けの下で輪型のパンだの、糸だのを売っていました。
日曜ごとのこうした集まりをこの町では無邪気に定期市と名づけているため、定期市が一年に何度でも開かれるのです。
「ペレズヴォン」はすっかり浮きうきした気分で、のべつどこか右や左に道草して何かの匂いを嗅ぎながら、走りまわっていました。
ほかの犬に出会うと、犬仲間のあらゆる法則に従って、並みはずれた熱心さで匂いを嗅ぎ合っていました。
「僕はリアリズムを観察するのが好きなんだ、スムーロフ」
ふいに「コーリャ」が言いだしました。
「犬が出会うと、匂いを嗅ぎ合っているのに気がついたかい? あれには犬仲間に共通の自然の法則があるんだよ」
「でも、なんだかこっけいな法則だね」
「こっけいでなんかないさ、それは君が正しくないよ。偏見をもつ人間の目にたとえどう映ろうと、自然界にはこっけいなものなんか何一つないさ。かりに犬たちが判断したり、批判したりできるとしたら、きっと、自分たちの支配者である人間の、相互の社会関係に、たとえはるかにたくさんとは言わぬまでも、同じくらいこっけいな点を見いだすだろうよ。ずっとたくさんとは言わぬまでもね。僕がこうくりかえすのも、つまり僕は人間たちの間に愚劣なことがずっと多いと固く信じているからなんだ。これはラキーチンの考えだけど、注目すべき考えだよ。僕はね、社会主義者なんだ、スムーロフ」
「コーリャ」はどうやら「ラキーチン」の影響を受けているようですね、ということは「ラキーチン」は自分のことを社会主義者というように言っているのでしょうか、(257)で「ラキーチン」は「カラマーゾフ」のことを「いや、君らは・・・貴族だよ!」と言っています、また(551)で「イワン」のことを「彼の理論なんざ、卑劣そのものだ、人類は、たとえ不死を信じなくとも、善のために生きる力くらい、ひとりで自分の内部に見いだすさ!自由、平等、同胞主義などへの愛の中にみいだすにちがいないんだ・・・」と言っていますが、これが社会主義と繋がるのでしょうか。
「社会主義者って、何のこと?」
「スムーロフ」がたずねました。
「それはね、もしみんなが平等で、みんなが共同の一つの財産であれば、結婚なんかなくなるし、宗教とか、いっさいの法律とか、その他すべてのことが好き勝手になるってことさ。君はまだこれがわかるほど大きくないからな、君にはまだ早いよ。それにしても、寒いな」
「うん。零下十二度だもの。さっきお父さんが寒暖計を見たんだ」
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