2017年1月7日土曜日

282

「グリゴーリイ」の妻「マルファ・イグナーチエヴナ」は夫の意志に文句ひとつ言わずに一生従ってきました。

しかし、げんなりするほどのしつこい一面があり、たとえば農奴解放の直後、「フョードル」から暇をもらってモスクワへ行って何か商売をはじめようと夫にせがんだことがありました。二人はちょっとした小金をためていたのです。

農奴解放については、「ウィキペディア」で、「農奴解放令とは1861年にロシア皇帝アレクサンドル2世によって発せられた条例。クリミア戦争の敗北でロシアは技術的、経済的な遅れを明らかにし、農奴制を取っていたならば農業においての資本主義的な発展を妨げると判断されたために農奴解放令が発せられる事となった。これに動揺する貴族たちに対して「われわれは遅かれ早かれこの問題を取り上げなければならない」「下からより上から始められる方がはるかによい」と述べて、側近の官僚とともに改革を主導した。農民にとっては高額な償却費用が必要となったり、解放後も事実上共同体に縛り付けられるなど不十分ではあったが、法的には農奴制が廃止され農民は自由を得る事となった。」と説明されています。

妻の提案に対して「グリゴーリイ」は即座に断定を下し、きっぱりと言いました。

『女はみんな誠意がないから』、下らぬことばかり言うが、たとえ相手がどんな人間であろうと、これまでのご主人のもとを去ったりすべきではない、『なぜなら、それが今の俺たちの義務だからだ』と。

そして「お前、義務ってものがいったい何だか、わかってるのか?」と「マルファ」に言いました。

「義務ってことはわかるけどさ、あんた、わたしたちがここに残るのがいったいどういう義務なのか、そこんとこがさっぱりわからないよ」と「マルファ」がひるまず答えました。

「それなら、わからなくたっていいけど、つまりそういうことなんだ。今後は口をきくな」と「グリゴーリイ」は言い、結局そのとおりになって二人は暇をとらず、「フョードル」が二人にわずかばかりの給料をきめて、それはきちんと払ってくれました。

「グリゴーリイ」にとっては、「目の前に設定され」た「変わることない真実として一つの点」が「フョードル」の召使としての自分であり、「ここに残っ」て「頑なほどまっすぐ歩み」つづけることが自分たちの「誠意」ということであり、「今の俺たちの義務」であるということでしょう。ですから「マルファ」の提案は認めらせません。

しかし、1861年の農奴解放令は、彼らにとって具体的にどのような変化をもたらしたのでしょう。

「グリゴーリイ」にとって、精神的にはあまり変化はないようですが、制度上何らかの有利な変化はあったと思われます。

このころの農奴制に関する統計が、「ウィキペディア」の注釈にありました。

「 1851年の統計では、領主(貴族所有)農民男子が約1099万人、国有地農民男子が約960万人、御料地(帝室領)農民男子が約127万人、さらに領主の家内奴隷としてはたらく下僕が53万人いた。それぞれ、男性の人口の40.4パーセント、35.3パーセント、4.7パーセント、1.9パーセントを占めた。」ということです。

「グリゴーリイ」たちは農奴ではないので、ここで言う「領主の家内奴隷としてはたらく下僕」でしょうか。そして、彼らも農奴解放令の対象になったのでしょうか。

「フョードル」が二人にわずかばかりの給料をきめて支払ってくれたと書かれていますので、それまでは給料制ではなかったのでしょうか。

しかし、これまでにちょっとした小金をためていたとありますから、これはどうしたお金なのでしょう。


「マルファ」が暇をもらってモスクワで商売しようと提案したのは、農奴解放令によって自由になれたからなのでしょうか。


2017年1月6日金曜日

281

この家は母屋と離れがあり、もともとは大家族用に作られていましたので、主人も召使も今の五倍は楽に収容できるほどでした。

離れは中庭に建てられており、だだっ広く頑丈でした。

母屋にも台所はあるのですが、「フョードル」は台所の匂いをきらったので、炊事は離れでさせることにしており、料理は夏も冬も中庭をとおって運ばれるのでした。

毎日、中庭を通って二人ぶんの料理を運ぶのはたいへんですね。雨の日はもちろん、冬は寒いし、料理も冷めるでしょう。

作者によれば、「この物語の当初、母屋に住んでいたのはフョードルと息子のイワンだけだったし、召使用の離れにも、老僕のグリゴーリイと、その老妻マルファ、スメルジャコフというまだ若い召使の、全部でたった三人が暮らしているにすぎなかった。」とのことです。

「この物語の当初」というのは、第二編の冒頭「晴れわたったあたたかな日に恵まれた。八月の末だった。」ということでしょう。

第一編は家族の紹介が主で、第二編のこの日、つまり八月の末、修道院に到着した時から物語が進行します。

それにしても、わたしには母屋と同じように離れの建物もこの段階では具体的な形状は思い浮かんできません。

その離れに暮らす三人の召使について作者は「もう少し詳しく話しておく必要があるだろう」と言います。

しかし、老僕の「グリゴーリイ・ワシーリエウィチ・クトゥゾフ」に関しては、すでにかなり話しておいた、ということですが、さらに補足しています。

「いったん何らかの理由、それもたいていの場合おどろくほど非論理的な理由によって、変わることない真実として一つの点が目の前に設定されるや、その点をめざして頑なほどまっすぐ歩みつづける、意志の堅固な一徹者である。概して言うなら、正直で、鼻薬のきかぬ人物だった。」と。

「鼻薬」は「はなぐすり」と読むそうです。
そして「鼻薬」とは、「ちょっとした賄賂(わいろ)。袖の下。使用例「鼻薬をきかせる」」という意味だそうですが、わたしは知りませんでした。

この「グリゴーリイ」の人物説明の翻訳はわかりにくいと思います、つまり、自ら思い込んでしまったらたとえ何があっても突き進む人物である、いうことになるでしょうか。


「グリゴーリイ」は、「ドミートリイ」を一年間、召使小屋で預かっていました、そして、以前に「陰気で愚かで意固地な理屈屋」というように説明されていました。



2017年1月5日木曜日

280

第三編 好色な男たち

一 召使部屋で

第二編のお終いは、修道院を飛び出した「フョードル」と「イワン」が馬車で自宅へ帰る場面でした。

そして、第三編は、その自宅の建物の描写からはじまります。

自宅は、市の中心部から少し遠くにありましたが、郊外というほどではありませんでした。

建物古めかしかったのですが、外観の感じはいいものでした。

灰色のペンキを塗った平家で、赤いトタン屋根の建物で、中二階がついていました。

古めかしいとはいうものの、まだ十分に長保ちしそうであり、広々として、住みやすそうでした。

母屋の内部は、納戸がたくさんあり、いろいろな隠し部屋や、思いがけないところに階段が随所にありしました。

わたしの想像力不足でしょうか、この建物の間取りのイメージが浮かんできません。中二階がついていて、階段がいろいろなところについているところや広々として住みやすいというのに屋根は赤いトタン屋根でグレイのペンキを塗った建物というところなど理解できません。

そして古い家だからでしょうか、鼠がたくさん住みついていたそうです。

「フョードル」は鼠のことは平気なようで、『とにかく、夜ひとりになったとき、あまり淋しくないからな』と言っていました。


彼は寝る前に召使たちを離れにさがらせ、夜はずっとたったひとりで母屋にこもっているのが習慣でした。


2017年1月4日水曜日

279

この野蛮な「イワン」の行為に対しては「フョードル」でさえも驚いたのでしょう。

「どうして、お前?どういうわけだい?なぜ、あの男をあんな目に?」と叫びました。

馬車はもう走りだしており、「イワン」は答えませんでした。

「まったくお前って男は!」二分ほど黙っていたあと、息子に横目を走らせながら、また「フョードル」がつぶやきました。「この修道院の計画をたてたのはお前じゃないか、自分でたきつけて、自分も賛成しておきながら、今になってなぜ怒っているんだ?」と聞きました。

ここで、あきらかにされているのですが、この修道院での会合の計画を立てたのは「イワン」だったのですね。ここにはっきりと書かれています。

わたしは、会合のことを言い出したのは「フョードル」かと思っていました。

以前に作者はこう書いていました。

「どうやらフョードルが最初に、それもおそらく冗談まじりで、ゾシマ長老の僧庵にみなが集まって、たとえ直接の調停を頼まぬにしても、とにかくなんとかもう少しきちんと話をつけようではないか、そうなれば、長老の位と風貌とが何かしら和解的な、暗示的な効果をもたらすかもしれなぬから、という考えを出したらしい」
また、「当時この町で暮らしていたミウーソフが、フョードルのこの思いつきに・・・」、「兄のイワンと、ミウーソフとは、たぶんきわめて無礼な好奇心から来るだろうし・・・」。

これらのことから、遺産や財産上の勘定をめぐっての「ドミートリイ」と「フョードル」の争いがもうたえられなかったところまできておりましたので、その調停的なことを主な目的に「ゾシマ長老」の僧庵で家族会議を開こうと計画したのは「フョードル」かと思っていました。

しかし、違っていました、よく読むと、「・・・らしい」と書かれています。

実際には「イワン」が言い出したのですね。

彼は、「ばかな真似をするのは、もうたくさんです。せめて今くらい少し休むことですね」とにべもなく言いました。

「フョードル」はまた二分ほど黙りこみました。

そして、「今コニャックをやれたら、さぞいいだろうにな」としかつめらしく彼は言いました。

しかし、「イワン」は答えませんでした。

「家につきゃ、お前だって飲むくせに」と「フョードル」。

「イワン」は終始無言でした。

「フョードル」はまた二分ほど「イワン」の発言を待ちました。

「それはそうと、アリョーシャはやはり修道院から引きとるぞ、君にはさぞ不愉快なことだろうがね、尊敬すべきカール・フォン・モール君」

「カール・フォン・モール」というのは、シラーの『群盗』ですね。

「フョードル」の頭の中には、いろいろな物語が同時進行しているようですね。

「イワン」はさげすむように肩をすくめると、顔をそむけ、通りを眺めはじめました。

そのあと、家へつくまで二人は口をききませんでした。

この会話にあるように、「イワン」の不機嫌の理由のひとつは、「アリョーシャ」を引きとることもあるのでしょうか。

しかし、それはどうして?


ずっと前から作者は「イワン」のことを「謎」の人物だというように書いています。最初は「帰郷の理由の謎」だったのですが、これは「ドミートリイ」の頼みと用件ということで解決しています。しかし、一つ屋根の下で「フョードル」とうまくやっていっていることとか、「アリョーシャ」に対し急に無関心になったこととか、彼の論文の内容の二重性とか、僧庵でのキリスト教寄りの発言とか、彼が何を考えているのかわかりません。彼の人格を統合するものがまったく見えてこないのです。これは、作者が「イワン」の人物構成を作成しそこなっているのでしょうか、それとも意図的なのでしょうか、「イワン」については、この小説全体のもっとも重要な人物と思われますので興味深いところです。


2017年1月3日火曜日

278

ここで物語は、食卓の場面の前にさかのぼり接続します。

「ラキーチン」が、わめきちらしながら外に出てきた「フョードル」を見つけて「アリョーシャ」に教えた場面です。

「フョードル」の方も遠くから「アリョーシャ」を見つけました、そして、今日にも俺のところへすっかり移れ、枕も敷布団もかついでくるんだ、こんなところにお前の匂いも残さんようにしろ、と叫びました。

「アリョーシャ」は無言のまま、注意深くこの光景を眺めながら、釘付けにされたように立ちどまっていました。

「フョードル」は馬車にのりこみ、「イワン」がつづくのですが、彼は「アリョーシャ」の方をふりかえろうともしないで、むっつりと気むずかしげな様子で馬車にのろうとしかけました。

そこで、作者は次のように書いています。

「だがこのとき、今日のエピソードをさらに完全なものにするような、ほとんど信じがたいほどこっけいな光景が生じた。」と。

このあとに、その内容がつづくのですが、いろいろあったあとで、いまさら別に「ほとんど信じがたいほどこっけいな光景」とまでは思いませんが。

地主の「マクシーモフ」が突然、馬車のステップのわきにあらわれました。

彼は遅れまいと息せき切って駆けつけたのでした。

「ラキーチン」と「アリョーシャ」は、離れた場所から彼が走ってきたところを見ていました。

彼は急ぐあまり、まだ「イワン」の左足が置かれているステップにすばやく片足をかけ、車体にしかみついて、馬車にとびのろうとしかけました。

「わたしも、わたしもお供します!」と彼は小刻みな陽気な笑い声をたてて、跳びはねながら、幸福の色を顔にうかべ、今やどんなことにでも応ずるといった様子で、「わたしも連れていってください!」と叫びました。

「フョードル」は、「ほら、俺の言ったとおりだろうが」と有頂天になって叫びました、そして、やっぱりフォン・ゾーンだ、死者の国からよみがえった正真正銘のフォン・ゾーンだ、それにしてもどうやってあそこから逃げだしてきたんだい?どんなフォン・ゾーンぶりを発揮したんだか、よくも食事の席からずらかってこられたもんだな、こいつはよほどずうずうしくなけりゃできない芸当だ、俺もずうずうしいほうだが、お前には恐れ入ったよ!、跳びのれ、早く乗るんだ、のせてやれ「ワーニャ」(訳注 イワンの愛称)、にぎやかにならあ、そいつは足もとのあたりに寝そべって行かせりゃいい、寝そべってるだろ、フォン・ゾーン、でなけりゃ、馭者とならんで馭者台におさまるか?・・・じゃ、馭者台に跳びのれ、フォン・ゾーン!、と。

だが、すでに座席についていた「イワン」が、無言のまま、いきなり力まかせに「マクシーモフ」の胸を突いたので、相手は二メートルもすっとびました。

ころばなかったのが、まったくの偶然にすぎませんでした。

「やれ!」と「イワン」は怒ったように馭者に叫びました。

これが、「ほとんど信じがたいほどこっけいな光景」というわけですが、「ラキーチン」と「アリョーシャ」のように遠くから見るとこっけいかも知れませんね。

それにしても「イワン」はどうしたのでしょう。


彼は感情をあらわに出すタイプではないと思いますが、「フョードル」に対しての怒りが極限に達したのでしょうか。


2017年1月2日月曜日

277

修道院長は悪意にみちたこの嘘に対して頭を下げ、ふたたびおごそかに言いました。

「また、こうも言われております。『汝の身にふりかかる不本意な辱めを、喜びもて堪えしのび、心乱すことなく、汝を辱しむる者を決して憎むなかれ』わたしどもも、そのように振舞いましょう」と。

これは、先ほどの『人々われにさまざまなことを言い、ついにはいまわしき言にすら及ぶ。われすべてを聞き、心に言う。そはイエス・キリストの医術にして、わが虚栄の心を治癒せんがために遣わされたるなり』と同じですね。

対処法のマニュアルを読み上げているのと同じです。

「フョードル」は「これだ、これだからな、偽善そのものだ!わけのわからないごたくを並べやがって!せいぜい偽善者ぶるんですな、神父さん、わたしは帰りますよ。倅のアリョーシャは、父親の権利で今日限り永久に引きとりますからね。さ、イワン、尊敬すべき息子さん、わしにつづけと命令させてもらおうか!フォン・ゾーン、どうしてこんなところに残るんだい!今すぐ町の俺の家へこいよ。うちは楽しいぜ。せいぜい一キロかそこらだ。こんな植物油の代りに、子豚に粥を添えてご馳走してやらあな。いっしょに食事をしようじゃないか。コニャックをやって、そのあとリキュールだ。いいイチゴ酒があるぜ・・・おい、フォン・ゾーン、せっかくの幸せを逃すなよ!」と、彼はジェスチュアたっぷりに、わめきちらしながら外へ出ました。


イチゴ酒というのは、リキュールですが、あの赤いイチゴのことでしょうか、それともラズベリーや黒スグリなどのベリーの種類なのでしょうか。


2017年1月1日日曜日

276

「フョードル」のあまりにもひどい言いがかりに対して、「それはまるでひどい言い方です」と、「イォシフ神父」がいいました。

「・・・民衆を食いものにしてるんですぜ!」なんてことまで言われたのですから当然ですね。

「パイーシイ神父」は頑なに沈黙していました。

「イォシフ神父」は図書係で、「パイーシイ神父」は寡黙で博学で病身な神父でしたね。

そして、「ミウーソフ」は部屋から逃げ出し、「カルガーノフ」も彼に続きました。

これでもうこの昼食会は、確実にお流れになりましたね。

「フョードル」は「じゃ、神父さん、わたしもミウーソフさんのあとを追いまさあ!今後もう二度とお邪魔はしませんから。ひざまずいて頼んだって、来てやるものか。わたしが前に千ルーブル寄付したことがあるもんで、またぞろ目を光らせてたんでしょうがね、へ、へ、へ!だめでさあ、この上足し前なんぞしないから。わたしゃね、過ぎ去った青春に、わたしの嘗めたあらゆる屈辱に、仕返ししてやるんだ!」と、みずから作りあげた感情の発作にかられて、テーブルを拳でたたきました。

ここで、「わたしが前に千ルーブル寄付したことがある」というのは、彼が最初の妻の「アデライーダ」の法要のために、約百万円の寄付をしたことをさします。このときの行動も発作的でした。

そして、「フョードル」は、この修道院が自分の人生で大きな意味をもってしまった、つまり、ここの修道院のせいで、自分は苦い涙をさんざん流した、癲狂病みの女房を、つまり二度目の妻の「ソフィヤ・イワーノヴナ」のことですが、彼女が自分に楯ついたのはここの修道院のあなた方のせいだと、また、七つの教会会議で自分を呪って、近在一円に吹聴してまわったのもあんだらだ、もうだくさんだ神父さん、今は自由主義の時代で、汽船を鉄道の時代なんだ、千ルーブルだって、百ルーブルだって、いや百カペイカだって自分からとれやしませんからね!、と言いました。

「七つの教会会議」というのは、「ウィキペディア」で書かれている「7つの教会は、初期キリスト教における7つの主要教会として、新約聖書ヨハネの黙示録で言及されている教会」に由来するのでしょうか。

作者は、ふたたび「ここでまた、注釈が要る。」と書いています。

それは、この修道院がいまだかつて「フョードル」の人生で何一つそんな特別な意味をもったことがなかったし、修道院のおかげで彼が苦い涙を流したこともまったくありませんでした、ということです。

しかし、「フョードル」はみずから作りだした涙にすっかり夢中になり、一瞬われとわが話を信じそうになりました。


そして、感動のあまり泣きだしそうにさえなりましたが、その瞬間、そろそろ退却すべき潮時だと感じました。