2017年1月14日土曜日

289

その不幸な子は結局二週間しか生きられませんでしたが、「グリゴーリイ」はその子が生まれてから別に意地悪をするわけでもなく、しかし、ほとんど顔を見ることもせず、目にとめようとさえしないで、たいてい小屋を留守にしていました。

二週間後に赤ん坊は鵞口瘡(訳注 乳児の口内炎)のために死にました。「グリゴーリイ」はみずから小さな柩におさめてやり、深い悲しみをたたえて見つめ、小さな浅い墓穴に土がかけられると、ひざまずいて、地面に顔をすりつけるようにして墓前に祈っていました。

それ以来長い歳月の間に、彼は一度も赤ん坊のことに触れなかったし、「マルファ」も夫の前では決して赤ん坊を思いだそうとせず、たれかと《坊や》の話をする機会ができたりすると、その場に「グリゴーリイ」がいなくとも、ひそひそ声で話すのでした。

「マルファ」が言うには、彼はこの墓所のとき以来、もっぱら《神さまのこと》を学ぶようになり、たいてい一人で黙々と、そのつど大きな丸い銀縁の眼鏡をかけて『殉教者列伝』を読んでいました。

大斎期のとき以外は、声をあげて読むことはめったにありませんでした。

この「大斎期」のことについて「ウィキペディア」ではこう書かれています。

「四旬斎(しじゅんさい、英語: Great Lent)とは、キリスト教(正教会、非カルケドン派、カトリック教会、聖公会、プロテスタント)において、復活祭を準備する期間。正教会では大斎(おおものいみ)、カトリック教会・ルーテル教会では四旬節、聖公会では大斎節と呼ばれるのが一般的である」

正教会では大斎(おおものいみ)というそうです。いろいろと複雑ですが、拾い読みすると「40日間続く大斎の祈祷においては、信者は、己個人の罪を痛悔するのみならず、人間の罪が来たったそもそもの起源とそれにもかかわらず注がれる無限の神の恩寵を思い、またキリストとその受難また十字架の勝利を予告する旧約中の予表に注意を傾注させ、その成就としてのキリストの受難と復活へ向かう。禁食やその他の節制は、このような神との交わりに人間が立ち返ることを準備するためのものである。大斎においては、シリアの聖エフレムの祝文など、大斎中にのみ行われる祈祷が多種類存在する。また時祷においても、通常と異なる祈祷文がしばしば付加される。」そして「また信者が私的に行う祈祷でも、朝晩の祈りにこれを加える。」とのこと。

「グリゴーリイ」は「ヨブ記」を好んで読んでいました。

「ヨブ記」については「『ヨブ記』(ヨブき、ヘブライ語:סֵפֶר אִיּוֹב)は、旧約聖書に収められている書物で、ユダヤ教では「諸書」の範疇の三番目に数えられている。ユダヤ教の伝統では同書を執筆したのはモーセであったとされているが、実際の作者は不詳。高等批評に立つ者は、紀元前5世紀から紀元前3世紀ごろにパレスチナで成立した文献と見る。ヘブライ語で書かれている。『ヨブ記』では古より人間社会の中に存在していた神の裁きと苦難に関する問題に焦点が当てられている。正しい人に悪い事が起きる、すなわち何も悪い事をしていないのに苦しまねばならない、という『義人の苦難』というテーマを扱った文献として知られている。」


2017年1月13日金曜日

288

「グリゴーリイ」と「マルファ」に、子供は授かりませんでした。

「グリゴーリイ」はどうやら子供好きらしく、そのことを隠そうともしませんでしたし、少しも悪びれずに態度で示したのでした。

というのは、「アデライーダ」が家出したとき、「グリゴーリイ」は三つになる「ドミートリイ」を手もとに引きとり、ほとんど一年近くも子供にかかりきりで、みずから髪をとかしてやったり、たらいで洗ったりまでしました。

たぶん「ドミートリイ」は三歳になったばかりだったかもしれません、四歳で「ミウーソフ」に引き取られますから。

その後、「イワン」と「アリョーシャ」の面倒までみましたし、おかげで頬びんたまで食らいました。

「だが、これはみな、すでに語ったことである。」、というのは「フョードル」の二番目の妻が亡くなって3ヶ月後のある夕刻「ヴォロホフ将軍の未亡人」がやって来て、酔っ払っていた「フョードル」に頬びんたを二発、召使小屋にいた「グリゴーリイ」も頬びんたをくらわせられたことですね。

「グリゴーリイ」が自分の子供のことで喜び、期待をもったのは、「マルファ」が身重だった期間だけでした。

これは、いつごろのことでしょうか、書かれてはいませんが、「フョードル」が結婚するだいぶん前のことになるでしょう。

しかし、いざ生まれてみると、その子は悲しみと恐ろしさとで彼の心を打ちのめしました。

生まれた子は六本指でした。

それを見るなり、「グリゴーリイ」は悲嘆にくれ、洗礼の当日までずっと黙りこんでいたばかりか、口をきかずにすむようにわざと庭へ出て行ったほどでした。

春でもあったし、彼は三日間ずっと庭の菜園で畝を起していました。

三日目に赤ん坊の洗礼をすることになっていましたが、このときまでには「グリゴーリイ」もすでに何事か思案し決心したようでした。

神父たちが顔を揃え、客が集まり、最後には当の「フョードル」まで名付親として召使小屋に足を運んできました。

そのとき、「グリゴーリイ」は突然この子は「洗礼なんぞ必要なさそうだ」と申し出ました。

彼は、大声でそう言ったわけでもなければ、弁舌さわやかに述べたわけでもなく、ぼそぼそと煮えきらない口調で言い、それとともに司祭を愚鈍そうにまじまじと見つめただけでした。

「それはまた、なぜです?」と快活なおどろきをこめて司祭がたずねました。

「なぜって、こいつは・・・化物でございますから・・・」と「グリゴーリイ」はつぶやきました。

「化物?化物とは何のことだね?」

「グリゴーリイ」はしばらく黙っていました。

「自然界が混乱を起しましたので・・・」と、きわめて曖昧ではありましたが、実にしっかりした口調で彼はつぶやき、どうやらそれ以上説明したくないようでした。

みなは大笑いし、もちろん、気の毒な赤ん坊に洗礼しました。

「グリゴーリイ」は洗礼盤のわきで熱心に祈っていましたが、赤ん坊に対する意見は変えることはありませんでした。

「グリゴーリイ」の子供に関するこのあたりのくだりは、かなり印象的で衝撃的す。このような子を授かった場合の当時の常識は現在とは違っていたでしょう。今でも子を授かるという言い方をしますが、当時は神から授かるということだったでしょう。神がそのような子供を夫婦に与えたということです。ですから、そこには神の深い考えがあると考えるのです。このあとで、「グリゴーリイ」が「ヨブ記」を好んでよんだということが書かれているのですが、何も悪いことをしていないヨブが神によってひどい仕打ちを受けるという不条理が彼の立場と重なったのでしょう。現在、子を授かるという言い方をする場合は、自然から授かるということだと思いますが、その場合の自然が何を指しているのかはその人の心の中の問題でもありかなり曖昧です。

ここで「三日目に赤ん坊の洗礼をすることになっていましたが」とありますが、ネットで洗礼のことを調べると以下のような説明がありました。

「正教会では、洗礼を聖洗(せいせん)とも言い、受洗は領洗(りょうせん)ともいう。産後40日を経てからの幼児洗礼が通例。洗礼を施す日は原則として主日(日曜日)の朝、聖体礼儀に先立って行う。洗礼の意義を浸水に大きく見出し、浸礼を基本とするが、潅水もしばしば行われる。浸礼は川や海などで行われることもある。洗礼は「父と子と聖神(聖霊)」の名において施され、受洗者は3度水に浸される。原則として、受洗者は信仰の純潔を象徴する白い受洗衣をつける。」


「産後40日を経てからの幼児洗礼が通例」となっていますね。


2017年1月12日木曜日

287

「グリゴーリイ」の妻「マルファ」という女は、決して愚かではありませんでした。ことによると夫より利口かもしれませんでした。少なくとも実生活の面では分別が豊かでした。結婚生活の最初から不平一つ、口答え一つせずに夫に従い、夫の精神的優越を認めて文句なしに尊敬していました。

作者は「特筆すべきことに」と前置きして、二人はこれまでの一生、ごく必要な目先のこと以外は、互いにほとんど口を聞きませんでした。

「グリゴーリイ」は重々しく威厳があり、自分の仕事や心配事はいつも一人で考えるので、自分が助言するなんてことは必要ないと、「マルファ」は昔からきっぱり割りきっていました。

彼女は自分の沈黙を夫が好ましく思い、むしろそうすることに自分の知恵があるのだと夫が認めてくれているのだと感じていました。

そんな「マルファ」を「グリゴーリイ」はたった一度だけ殴ったことがありました。それも軽くですが。

それは、「アデライーダ」と「フョードル」が結婚した最初の年のことです。
1861年の農奴解放の23年くらい前ですね。

そのころはまだ農奴だった村の娘や女房たちが、歌と踊りのために地主屋敷に集められたことがありました。

「地主屋敷」と書かれているのは、やはり「フョードル」の家のことでしょうか。

そして、『草原で』という歌がはじまったとき、当時まだ若妻だった「マルファ」がふいにコーラスの前にとびでると、一種独特なしぐさで『ロシア・ダンス』を踊りだしたのです。

彼女の踊りは、他の女房たちが踊る田舎風の踊りではなく、かつて裕福な「ミウーソフ」家で女中奉公をしていたころ、お屋敷の家庭劇場で、モスクワから招かれたダンス教師に教えられたとおりの踊り方でした。

「グリゴーリイ」は妻が踊るのを見ていましたが、一時間ほどしてから自分の小屋で、妻の髪を軽くひきすえてお仕置きしました。

しかし、お仕置きはそのとき一度きりで、生涯二度とくりかえされませんでした。

そして、「マルファ」もそれ以来ふっつりと踊りをやめてしまいました。


裕福な「ミウーソフ」家というのは、あの「ミウーソフ」の親戚で「フョードル」の最初の妻の「アデライーダ・イワーノヴナ・ミウーソフ」の家のことだと思いますが、しかし、『草原で』という歌はどんな歌でしょう。また、「マルファ」が「ミウーソフ」家でモスクワのダンス教師に教えてもらった『ロシア・ダンス』はどのようなものでしょう。



2017年1月11日水曜日

286

「この物語の冒頭ですでに記しておいたように」と前置きされ、「グリゴーリイ」は「フョードル」の最初の妻であり、長男「ドミートリイ」の母親である「アデライーダ」を憎み、反対に、二度目の妻である癲狂病みの「ソフィヤ」を庇いだてし、彼女について軽々しい悪態をつこうという気を起したりすれば、だれであろうと楯ついたものでした。

「彼の心の中で、この不幸な女に対する同情は何か神聖なものに変っていたので、二十年たった今でも、彼女のこととなると、たとえだれの口から発せられたものであろうと、遠回しな悪口さえ我慢しきれず、すぐさまその無礼者に反撃を加えるにちがいなかった。」

「グリゴーリイ」は彼女の墓を建てるように何度も「フョードル」に言ったのですが、「フョードル」がオデッサへ旅立ってしまったので「グリゴーリイ」は自分のお金で彼女の墓を建てたのでしたね。

そして「二十年たった今」と書かれていますが、この「今」というのはいつのことでしょう、物語の進行の「今」であれば、18年くらいではないかと思います、そして、13年前のことを振り返って書かれているという「今」であれば30年ということになると思うのですが、ただし、物語全体をとおしての時間の関係がはっきりとわかりませんので間違っているかもしれません。

次に「グリゴーリイ」の外貌について、冷静で、おごそかで、口数少なく、発する言葉は重みがあり慎重なものとのことです。


そういう性格ですので、「グリゴーリイ」が、口答え一つせぬ従順な妻の「マルファ」を愛しているかどうかも、ちょっと見ただけではなかなかわかりませんでしたが、実際には愛しており、妻もそのことはわかっていました。


2017年1月10日火曜日

285

「アリョーシャ」の帰郷後も、「フョードル」の心にこれに類したことが起こりました。

「アリョーシャ」が帰郷したのは、二十歳くらいの時ですね。家を離れたのが四歳くらいの時ですから、あまり記憶は残ってないでしょう。そして、しばらく「フョードル」の家にいてから、一年くらい前に修道院に移ります。そのときの二人の会話は前に書かれていましたね。「フョードル」の家に何ヶ月くらいいたのかはわかりません。

「アリョーシャ」は『いっしょに暮して、すべてを見ていながら、何一つ非難しなかった』ことによって、『彼の心を突き刺した』のでした。

それだけでなく、「アリョーシャ」は、老人に対する軽蔑の完全な欠如と、むしろ反対に、そんな値打ちもない父親に対する常に変らぬやさしさや、ごく自然な偽りのない慕情という、これまで彼の知らなかったものをもたらしました。

このようなことは、家庭の味を知らない年老いた放蕩者にとって、まったく予期せぬ贈り物であり、これまで《汚れたもの》だけを愛してきた彼にしてみれば、まるきり思いもかけぬことでした。

「アリョーシャ」が修道院に入ったあと、彼はそれまで理解しようとも思わなかった何かしらが、自分にも理解できたと、心ひそかに認めたのでした。


それは何でしょう。「常に変らぬやさしさ」や「ごく自然な偽りのない慕情」や「家庭の味」についてはここに書かれていますので、そういうこと以外のものということになりますが、「フョードル」が「それまで理解しようとも思わなかった何かしら」、しかもそれをもたらした本人が去った後に「自分にも理解できた」こととは一体何でしょうか。これはおそらくすべての読者がわかっていることなんですということで書かれているのでしょう。

それにしても「アリョーシャ」のやさしさは何でしょう。
普通なら、父親が反道徳的な行いをしていると注意すると思いますが、そんなことはしないで何一つ非難しません。これは、見て見ぬふりをしているのでしょうか、それとも自分には関係ないことと割り切っているのでしょうか、普通なら、身内が、家族が、そのような破廉恥な行いをすれば、わがことのように思い、嫌な顔をして軽蔑もするでしょうし、身内であることの義務として注意してあげなければならないと思うでしょう。召使いの「グリゴーリイ」は立場上言えないでしょうが、「アリョーシャ」は息子なわけですから。しかし、「アリョーシャ」はそのようなことのすべて放棄して、暖かく迎えます。これは無責任と言えるかもしれません。ここには何があるのでしょう、どう理解すればいいのでしょう。すべてを許すというのは暖かい血が流れているのでしょうか、それとも冷たい血が流れているのでしょうか。


2017年1月9日月曜日

284

「フョードル」はよく(といってもきわめてまれにだったが)、夜中に、ちょっと自分の部屋に来てくれるよう、「グリゴーリイ」を起しに離れへ出かけることがありました。

相手がやってくると、「フョードル」はおよそ下らぬことを話しはじめ、ときには冷やかしや冗談まで浴びせて、すぐに放してやるのですが、自分は唾を吐いて横になり、そのあとはもう聖者のようにぐっすり眠れるのでした。

文章の中で「よく(といってもきわめてまれにだったが)、」とありますが、内容が矛盾していますね。会話の中ではよくあることですが、文章の中でわざわざ括弧書きで矛盾する内容を付け加えることは少ないのではないでしょうか。ここは、「たまにではありますが」と一言であらわせるように思いますが、そうすると訳文そのままの表現と若干ニュアンスが違ってきます。訳文の方は、語り手が「フョードル」のこのような行為に対して客観的に突き放すというのではありませんが、少々あきれ顔で、説明しているという書き手の主観を反映したものとなっていると思います。

別の建物で寝ている相手を起こしに行ってまで、自分の話相手をさせるということは、それだけ相手とある一面においてではあるでしょうが、意識を共有する部分があるということでしょう。

「フョードル」の子供じみた一面ですね。

そこで、「グリゴーリイ」はこのことを家族にどう説明していたのでしょうか、また、妻の「マルファ」は何と言っていたのでしょうか。


「グリゴーリイ」が帰って来た離れでの召使一家の様子もいろいろと想像してしまいます。


2017年1月8日日曜日

283

「グリゴーリイ」は自分が主人の「フョードル」に対して疑いもなく勢力をもっていることをわかっていました。

一般的にはこのようなことはよくと思うのですが、制度的な主従の関係においては少ないかもしれませんね。

「フョードル」は抜目がなく強情な道化ではありましたが、当人の表現をかりるなら《人生のある種のこと》にかけてはいたって強固な性格のくせに、そのほかのもろもろの《人生のこと》になると、自分でもあきれるくらい、からきし意気地がありませんでした。

彼自身もどういうことに意気地がないかを承知しており、知っているだけにまた、いろいろなものを恐れていました。

人生のある種のことに関しては、いつも警戒していなければならず、その際にも信頼できる人間がついていないとつらかったのですが、その点「グリゴーリイ」はいちばん信頼できる人間でした。

「フョードル」がここまで成りあがるまでには何回となく打撃を、それも手ひどい打撃を受けかねぬ場合さえありましたが、いつも救ってくれたのは「グリゴーリイ」でした。

ただしそのたびに「グリゴーリイ」はあとで主人に説教するのでした。

しかし、単に打撃だけなら「フョードル」も臆さなかったかもしれませんが、しばしばもっと崇高な、きわめて微妙で複雑でさえあるような場合が生じ、そんな時、一瞬のうちに、理解できぬくらいふいに心の内に感じはじめる、身近な信頼できる人間がほしいという異常な欲求を、「フョードル」は自分でもうまく説明できなかったにちがいありません。

それはほとんど病的と言える場合でした。

放蕩の限りをつくし、色情にかけてはしばしば毒虫のように残忍な「フョードル」が、ときおり、酔った瞬間になど、いわば生理的にとさえ言ってよいほど魂の底にこたえる精神的恐怖と道徳的戦慄とを、ふいに感じるのでした。「そんな時には、魂がまるで咽喉の辺でふるえてるみたいでな」とときおり彼は洩らしました。

離れに、忠実で意志堅固な、自分とはまるきり違って淫蕩でない人間が控えていてくれるのを、彼が好もしく思うのは、まさにそんな瞬間でした。

たとえ目の前で行われるいっさいの乱行を見て、すべての秘密を知っていても、忠義心からすべてを黙認して、反対もせず、そして何より大切なのは、この世においてもあの世でも非難したり、脅したりせず、しかもいざというときには自分を守ってくれるような人間が、そばにいてほしいかったのです。

それにしても、いったいだれから守るというのでしょうか?

だれか正体の知れぬ、恐ろしい危険な者からです。

要するに肝心なのは、昔馴染みの気心の知れた、ぜひとも別のタイプ(上に傍点あり)の人間がいてくれるという点であり、苦しいときにその男をよんで、ただ顔を見つめ、何かまるきり関係のないことでもよいから言葉を交わすことができるという点であって、もし相手がべつに腹も立てなければ、なんとなく心が楽になるし、相手が腹を立てれば、そのときにはいっそう気が滅入るというわけでした。

「フョードル」についてこれまでも十分に人物描写がなされていたと思います。


そして、「いわば生理的にとさえ言ってよいほど魂の底にこたえる精神的恐怖と道徳的戦慄」という言葉にできないような人間の存在の孤独のあり方を彼の心理の内面に生じる一瞬の感情を微細にすくい上げてここまで記述しているのは驚きます。