2017年9月14日木曜日

532

「僕にはまたわからない」

「アリョーシャ」が口をはさみました。

「大審問官は皮肉を言って、からかっているんですか?」

「とんでもない。老審問官は、ついに自分たちが自由に打ち克ち、しかも人々を幸福にするためにそうやってのけたことを、自分と部下たちの功績に帰しているのさ。『なぜなら今こそやっと(つまり、彼の言っているのは異端尋問のことなのだ)、はじめて人々の幸福について考えることが可能になったからだ。人間はもともと反逆者として作られている。だが、はたして反逆者が幸福になれるものだろうか? お前は警告を受けていたはずだ』と彼はキリストに言う。『警告や指示に不足はなかったはずなのに、お前は警告をきこうとせず、人々を幸福にしてやれる唯一の道をしりぞけてしまったのだ。しかし、幸いなことに、去りぎわにお前はわれわれに仕事を委ねていった。お前は約束し、自分の言葉で確言し、人々を結びつけたり離したりする権利をわれわれに与えた。だから、もちろん、今となってその権利をわれわれから取りあげるなぞ、考えることもできないのだぞ。いったい何のためにわれわれの邪魔をしにきたのだ?』」

ここで言う「警告や指示に不足はなかったはずなのに」とは何でしょうか。


また、「去りぎわにお前はわれわれに仕事を委ねていった。お前は約束し、自分の言葉で確言し、人々を結びつけたり離したりする権利をわれわれに与えた」とはどういうことを言っているのでしょうか。


2017年9月13日水曜日

531

「じゃ、囚人も沈黙しているんですか? 相手をみつめたまま、一言も言わないんすか?」

「それはどんな場合にもそうでなけりゃいけないよ」

「イワン」がまた笑いだしました。

「老人自身が指摘しているとおり、キリストは昔すでに言ったことに何一つ付け加える権利はないんだからね。なんだったら、まさしくこの点にこそローマ・カトリック教の根本的な特徴があると言ってもいいんだ。少なくとも俺の考えではね。つまり、『お前はすべてを教皇に委ねた。したがって今やすべては教皇の手中にあるのだから、いまさらお前なんぞ来てくれなくてもいいんだ。少なくとも、しかるべき時まで邪魔しないでくれ』というわけだ。こういう意味のことを彼らは言っているばかりか、ちゃんと書いてもいるんだ、少なくともイエズス会の連中はな。俺自身、この派の神学者の本でよんだことがあるもの。ところで、『お前が今やってきた、向うの世界の秘密をたとえ一つなりとわれわれに告げる権利が、お前にはあるだろうか?』と老審問官はたずね、キリストに代って自分で答える。『いや、あるものか。それというのも、昔すでに語ったことに付け加えぬためだし、この地上にいたころお前があれほど擁護した自由を人々から取りあげぬためなのだ。お前が新たに告げることはすべて、人々の信仰の自由をそこなうことになるだろう。なぜなら、そのお告げは奇蹟として現われるからだ。お前にとっての人々の信仰の自由とは、すでに千五百年も前のあの当時から、何よりも大切だったはずではないか。あのころしきりに《あなた方を自由にしてあげたい》と言っていたのは、お前ではなかったろうか。ところがお前は今その《自由な》人々を見たのだ』ふいに老審問官は考え深げな笑いをうかべて、いい添える。『そう、この仕事はわれわれにとって、ずいぶん高いものについた』きびしくキリストを見つめながら、彼はつづける。『しかし、われわれはお前のためにこの仕事を最後までやってのけたのだ。十五世紀の間、われわれはこの自由というやつを相手に苦しんできたけれど、今やそれも終った。しっかりと完成したのだ。しっかりと完成したのが、お前には信じられないかね? お前は柔和にわしを見つめるばかりで、憤りさえ表わしてくれないのか? だが、承知しておくがいい、今や、まさしく今日、人々はいつの時代にもまして自分たちが完全に自由であると信じきっているけれど、実際にはその自由を自ら我々のところに持ってきて、素直にわれわれの足もとに捧げたのだ。しかし、それをやってのけたのはわれわれだし、お前の望んでいたのもそのことだったのではないか、そういう自由こそ?』」

「イエズス会」については、(359)で説明しましたが、簡単に言うと、ローマ教皇への絶対服従を誓い、プロテスタントに対抗してカトリックの世界布教を目指し伝道に努めることを使命としている修道会です。

ここで語られているのは「自由」です。

「自由」の概念がよくわかりませんがこの「自由」とは何でしょうか。

民衆は、自分たちの「自由」を教会に預けたことで、完全な「自由」を得たと信じているということですね。


つまり「自由」とは人々に考えることを要求してくるものであり、それに耐えられぬ人々は安心を得るために、その「自由」を信頼できる教会に預けたということでしょうか。


2017年9月12日火曜日

530

「イワン」の発言の続きです。
・・・・大審問官は入口で立ちどまり、一分か二分じっとキリストの顔を見つめる。やがて静かに歩みより、燈明をテーブルの上に置くと、キリストに言う。『お前はキリストなのか? キリストだろう?』だが、返事が得られぬため、急いで付け加える。『答えなくてもよい、黙っておれ。それにお前がいったい何を言えるというのだ? お前の言うことくらい、わかりすぎるほどわかっておるわ。そのうえお前には、もう昔言ったことに何一つ付け加える権利はないのだ。なぜわれわれの邪魔をしにきた? なにしろお前はわれわれの邪魔をしにきたんだし、自分でもそれは承知しとるはずだ。しかし、明日どうなるか、わかっているのか? お前がいったい何者か、わしは知らんし、知りたくもない。お前がキリストなのか、それともその同類にすぎないのか、わしは知らないが、とにかく明日になったらお前を裁きにかけて、異端のもっとも悪質なものとして火あぶりにしてやる。そうなれば今日お前の足に接吻した同じあの民衆が、明日はわしの合図一つでお前を焼く焚火に炭を放りこみに走るのだ、お前にはそれがわかっているのか? そう、おそらくお前はそれを承知しとるんだろうな』大審問官は囚人から一瞬も視線をそらさず、思い入れたっぷりな瞑想にふけりながら言い添えた」

大審問官は相手がキリストだとわかっていますね。

そして、民衆が簡単に裏切ることも。

大審問官は臆せずにキリスト対抗していますが、これは不自然なことのように思いますが叙事詩だからでしょう。

何はともあれ、キリストは神なのですから別格だと思いますが、大審問官は自分と同格とでも思っているのでしょうか、そんなわけはないと思いますが、彼の本心はどうなのでしょうか、もしキリストだと確定されれば、彼の存在自体が抹殺されるでしょうから。

大審問官としての個人の権力意識が極限まで昂揚し、神の位にまでなってしまっているようです。

もし、そうだとしたらそれもすごいことです。

「あまりよくわからないけど、それはいったい何のことです? 兄さん?」

それまでずっと黙ってきいていた「アリョーシャ」が微笑して言いました。

「ただの雄大な幻想ですか、それとも老人の何かの誤解か、およそありえないような qui pro quo(人違い)ですか?」

「なんなら後者と受けとってもいいんだぜ」

「イワン」は笑いました。

「もしお前が現代のリアリズムにすっかり甘やかされた結果、何一つ幻想的なものは受けつけず、あくまでも qui pro quoであってほしいというんなら、それでもかまわんさ。たしかにそのとおりだよ」

彼はまた大笑いしました。

「なにしろ老人は九十なんだから、とうの昔に自己の思想で気がふれかねなったんだしな。それに囚人がその外貌で彼をびっくりさせたかもしらんしさ。結局のところ、こんなのは、死を目前に控え、しかも百人もの異端を焼き殺した昨日の火刑でまだ興奮のさめやらぬ、九十歳の老人のうわごとか幻覚にすぎないかもしれないんだよ。しかし、俺たちにとっては、qui pro quoだろうと、雄大な幻想だろうと、どうせ同じことじゃないかね? 要するに問題は老人が自分の考えを存分に述べる必要があるという点なんだし、そしてついに九十年の分をひと思いに述べ、九十年も黙っていたことを声にだして話しているという点だけにあるんだからな」


「イワン」は大審問官の言う言葉が必要なことであって、つまり大審問官の頭の中の沈黙していた言葉を表に引き出させることが、この叙事詩の役割であって、そのほかの装置的なことは不自然であってもその不自然さは不自然さにおいては関係ないということですね。


2017年9月11日月曜日

529

まだ「イワン」の続きです。

・・・・と、まさにこの瞬間、寺院のわきの広場を、当の大審問官たる枢機卿が通りかかったのだ。ほとんど九十歳に近い老人で、背が高く、腰もまっすぐだし、顔は痩せこけて目は落ちくぼんでいるが、まだ火花のようなきらめきを放っている。しかし、昨日ローマの信仰の敵どもを焼き殺したとき、民衆の前で着飾っていた、あのきらびやかな枢機卿の衣裳ではなく、このときは古ぼけた質素な修道僧の法衣をまとっているにすぎない。そのあとには一定の間隔をおいて、陰気くさい補佐役たちや、奴隷、それに《神聖な》護衛たちがつき従っている。大審問官は群衆の前で立ちどまり、遠くから観察する。彼は一部始終を見た。柩がキリストの足もとに置かれるのも見たし、少女が生き返るのも見た。そして、大審問官の顔は暗くなった。真っ白な濃い眉をひそめ、その眼差しも不吉な炎にかがやいた。彼は指を突きだし、キリストを引っ捕らえるよう護衛に命じた。すると、なにしろ彼の権力は絶大だし、それに民衆はもうすっかり教えこまれ、馴らされて、彼の命令を恐れおののいてきくようになっていたため、ただちに護衛の前に道をあけ、護衛たちはふいに訪れた死の沈黙の中でキリストに手をかけ、引きたててゆく。民衆はたちまち、全員がまるで一人の人間のように、老審問官の前に跪拝する。大審問官は無言のまま民衆に祝福を与え、わきを通りすぎてゆく。護衛兵は神聖裁判所の古い建物にある、狭い陰鬱な丸天井の牢に捕虜を連れてゆき、錠をかける。昼が過ぎ、熱気のこもる暗い《息たえたような》セヴィリヤの夜が訪れる。大気は《月桂樹とレモンの香り》にみちている(訳注 プーシキンの詩『石の客』より)。深い闇の中で突然、牢獄の鉄の扉が開き、当の老大審問官が燈明を片手にゆっくり牢獄に入ってくる。彼は一人きりで、入ったあとただちに扉はしめられる。・・・・

ここで切ります。

ついに、キリストともう一人の主役である大審問官の登場です。


プーシキンの詩『石の客』は、アレクサンドル・ダルゴムイシスキーによって、ロシア語でオペラ化されています。内容は「ヨーロッパ各地に残るドンファン伝説を土台にしたプーシキンの韻文を基に作られており、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」と同じ題材です。ダルゴムイシスキーはプーシキンのテキストを一字一句変更することなく音楽化し、ラウラの2つの歌など一部除いて、全編に渡り、朗唱様式をはりめぐらせています。」とのこと。


2017年9月10日日曜日

528

「イワン」の続きです。

・・・・計り知れぬ慈悲心からキリストは、十五世紀前に三年間、人々の間をまわってみたときと同じ人間の姿で、もう一度、人々の間を歩いてみようというわけだ。キリストは南国の都市の《炎熱の広場》へ降りたったのだが、ちょうどその広場の《壮麗な火刑場》で、つい前日に、国王はじめ、廷臣、騎士、枢機卿、美しい宮廷社交界の貴婦人たちの臨席を仰ぎ、セヴィリヤ全市のおびただしい数にのぼる住民の前で、ad majorem gloriam Dei(訳注 ラテン語。神のより大きな栄光のためにという意味。イエズス会の言葉)、ほとんどまる百人におよぶ異端者たちが、枢機卿である大審問官によって一度に焼き殺されたばかりのところなんだ。キリストは気づかれぬようにそっと姿を現したのだが、ふしぎなことに、だれもが正体を見破ってしまう。ここは叙事詩の中でもっともすぐれた場面の一つになるかもしれないな、つまり、なぜ正体を見破るかという個所がね。民衆は抑えきれぬ力でキリストの方に殺到し、取りかこみ、その人垣はどんどん大きくなっていき、彼のあとについてゆく。キリストは限りない同情の静かな微笑をうかべて、無言のまま、人々の間を通ってゆく。愛の太陽がその胸に燃え、光明と教化の力との光がその目から流れ、人々の上にふり注いで、人々の心を対応の愛で打ちふるわせる。キリストが手をさしのべ、祝福を与えると、彼の身体に、いや、その衣服にさわるだけで、治癒の力が生ずるのだ。と、群衆の中から、子供のころ盲になった一人の老人が叫ぶ。『主よ、わたしを癒してください、そうすればわたしもあなたさまのお姿を拝めますから』すると、まるでその目からうろこでも剝げ落ちるかのように、盲人にはキリストの姿が見えるようになる。民衆は感泣し、キリストの歩いた大地に接吻する。子供たちは彼の前に花を投げ、歌をうたい、『ホサナ!』(訳注 神やキリストを讃える言葉)と叫ぶ。『あのお方だ、まさしくあのお方だぞ』みんなが口々にくりかえす。『あのお方にちがいない、あのお方にきまっているとも』キリストはセヴィリヤ大寺院に入口に立ちどまる。と、まさにそのとき、蓋をせぬ子供用の白い柩が、泣き声とともに寺院に運びこまれてくる。柩にはさる偉い人の一人娘である七歳の少女が納められているのだ。子供の遺体は花に埋もれて横たわっている。『あのお方がお子さんを生き返らせてくださるよ』泣いている母親に群衆の中から声がかかる。柩を迎えに出てきた大寺院の神父は、けげんな面持ちで見つめ、眉をひそめる。だが、このとき、死んだ子供の母親の泣き声がひびき渡る。母親はキリストの足もとに身を投げ、『もし、イエス様でしたら、わたくしの子供を生き返らせてくださいませ!』と、両手をさしのべながら、叫ぶ。葬列は立ちどまり、柩が寺院の入口でキリストの足もとに置かれる。キリストは同情の目で眺めやり、その口が低い声でふたたび、『タリタ、クミ』(起きよ、娘)とつぶやいた。そして『少女は起きあがった』(訳注 マタイによる福音書第九章)のだ。少女は柩の中で身を起し、坐ると、微笑を浮かべながら、大きく見はったふしぎそうな目であたりを見まわす。その手には、柩にいっしょに納められていた白いバラの花束を抱えている。群衆の間に動揺と、どよめきと、嗚咽が起った。・・・・

ここで、一旦区切ります。

スペインの異端審問につきましては、(527)でも少し書きましたが、興味深いので、「スペインの異端審問」として項目立てされているウィキペディアの説明をそのままコピーします。

「スペイン異端審問(スペインいたんしんもん)は15世紀以降、スペイン王の監督の下にスペイン国内で行われた異端審問のこと。宗教的な理由というよりも政治的な思惑が設置に大きく関わっている。15世紀末にフェルナンド2世が、コンベルソ(カトリック改宗したユダヤ教徒)に起因する民衆暴動を抑え、多民族であるスペインのカトリック的統一を目的にローマ教皇に特別な許可を願って設置された。王権制約的であったアラゴン諸王国に対する王権行使の機関、中央集権機関としての側面もある。設立当初の審問の対象者は主にコンベルソとモリスコ(カトリックに改宗したイスラム教徒)であった。」
「時代背景:13世紀の「大レコンキスタ」以降、イベリア半島の大部分がイスラム教国家からキリスト教国家の領土となったが、依然グラナダなど南部を中心に多くのイスラム教徒たちが暮らしていた。カスティーリャ王国では、信仰の自由と自治権を保障されたアルハマ(ユダヤ人共同体)があり、セビリャ、ムルシア地方にも多数のムデハル(キリスト教国支配下のイスラム教徒)が存在した。またアラゴン王国でも、バレンシアなどに多くのムデハルが暮らしており、バルセロナなどに多くのユダヤ教徒がいた。この頃は非キリスト教徒に対しても寛容な時代であった。14世紀の半ば頃から、ペストの流行や経済的問題などにより、比較的富裕層が多かったユダヤ教徒に不満が集まった。1391年のセビリャで大規模なポグロム(ユダヤ人虐殺)が起こると、それは各都市に飛び火した。これによって多くのユダヤ教徒が虐殺され、改宗を強いられた。けれどもユダヤ人への不信感は払拭されず、度々反ユダヤ暴動が起こった。またアラゴン王国では他のヨーロッパ諸国と同様に教皇庁の任命した異端審問官が巡回する異端審問が行われていたが、それほど大掛かりには行われなかった。またアラゴン王国の宮廷では多くのユダヤ人が仕えていた。フェルナンドとイサベル1世の結婚を斡旋したのもペドロ・デ・ラ・カバレリャというユダヤ人家臣であった。」
「スペイン異端審問の開始:カスティーリャ王国のイザベルとアラゴン王国のフェルナンド2世の結婚(1469年)レコンキスタの完了(1492年)により、スペインに待望の統一王権が誕生した。フェルナンド2世にとって国内の一致のためにも、表面上はキリスト教に改宗しながら実際には自分たちの信仰を守っていたモリスコ、コンベルソの存在が邪魔なものになっていた。フェルナンド2世は異端審問のシステムを用いれば、これらの人々を排斥し、政敵を打ち倒すことができると考えた。さらにフェルナンドはユダヤ人金融業者から多額の債務を負っていたため、もし金融業者たちを異端審問によって社会的に抹殺できれば債務が帳消しになるという思惑もあった。フェルナンドはローマ教皇と親交を深めることで自らの王権を強化しようと考えていたが、同時に教皇の影響力を自国からできる限り排除したいとも思っていた。異端審問はすべて教皇の管轄下で行われるため、もしフェルナンドがスペイン国内で異端審問を行っても自分の思い通りにはできず、教皇庁の介入を許すことになる。フェルナンドは異端審問を自らの政治目的に沿って利用するためにも、教皇の監督行為を排除した異端審問を行いたいと考えていた。そこでスペインにおいて王の監督のもとに独自に異端審問を行う許可を教皇シクストゥス4世に願った。教皇は当然、世俗権力によって異端審問が政治的に利用されることの危険性を察知し、なかなか首を縦に振ろうとしなかった。そこでフェルナンドはさまざまな方策を用いて、この許可を得ようとした。ここで活躍したのがスペイン人枢機卿ロドリゴ・ボルハであった。彼の奔走の甲斐もあって、1478年に教皇はしぶしぶながらカスティーリャ地方以外においてのみ独自の異端審問を行うことを許可した。(これによってボルハ枢機卿は後年のコンクラーヴェでスペイン王の強力な後押しを受けることができた。彼こそが堕落した中世教皇の筆頭にあげられるアレクサンデル6世である。)こうしてユダヤ教徒とイスラム教徒に狙いを定めたフェルナンドとイザベルによって異端審問所の長官に任命されたのがトマス・デ・トルケマダである。そもそも「異端」審問というものは、「キリスト教徒でありながら、正しい信仰を持っていないもの」を裁くためのものであり、ユダヤ教徒やイスラム教徒をその信仰ゆえに裁く権利はなかった。しかし初期のスペイン異端審問所は、一旦改宗しながらユダヤ教、イスラム教の習慣を守るコンベルソ、モリスコを多く裁いた。
シクストゥス4世はセビリアから始められたスペイン異端審問がユダヤ人に的をしぼって行われていることに見かねて抗議したが、フェルナンド王が自らの支配下にあるシチリア王国の兵力による教皇庁への支援打ち切りをほのめかして恫喝したため、引き下がらざるを得なかった。教皇としてフェルナンド王の行きすぎた行動や見境のない処罰がキリスト教と異端審問の名を借りて行われていることを看過できず、スペイン異端審問を「ユダヤ人の財産狙いの行為である」と断言している。「もっともカトリック的な王」という称号とは裏腹にフェルナンドは教皇を徹底的に利用し、教皇に対しては従順を装いながらも強圧的に臨んでいた。教皇がフェルナンドの要求を断れなかった背景には当時の地中海情勢がある。勢い盛んだったオスマン帝国がギリシアを支配下においてイタリア本土を脅かし始めたのだ。教皇領とイタリア半島の安全はシシリア王国の軍事力によって保障されていた。シシリア王国の主でもあるフェルナンドはこれを対教皇折衝の切り札としていたのである。教皇はフェルナンドの要求を飲まざるを得ない状況に追い込まれた。こうしてスペイン異端審問に教皇の正式なお墨付きを得たフェルナンドは、教皇の干渉なしに自由に異端審問を利用できるようになった。」
「スペイン異端審問の変遷:1484年に死去したシクストゥス4世の後を継いだインノケンティウス8世は2度にわたって回勅を発布し、スペインにおける異端審問の行き過ぎを批判し、被疑者への寛大な措置を願っている。そもそも異端審問のシステムにおいては裁くのは教会関係者であっても、処罰を行うのは世俗の権力であるのが通例であった。拷問は自白を引き出すために用いられ、被疑者が自白すると刑罰が執行された。刑罰も一律ではなく、人前で異端であることを示す服を着せられて見世物にされる程度の軽い刑から火刑による処刑までさまざまであった。異端審問を受けた被告の処罰はしばしば都市の広場で行われた。異端判決宣告式(アウト・デ・フェ)そしてそれに続く火刑は、公権力の存在を人々に知らしめるものであった。異端審問は告発者が秘密であることが特色であったため、しばしば異端と関係ない無実の人々が恨みなどから、あるいは王室から与えられる報奨金目当てに訴えられることも多かった。裕福なフダイサンテ(スペイン語版)(隠れユダヤ教徒)の告発は王室自身が行っていたであろうことは裁判後に資産が王室に没収されたことからうかがえる。宗教改革の時代に入ると、異端審問所はその照準をフダイサンテから「古くからのキリスト教徒」へ移す。彼らの宗教生活を監視し、少数ではあったがプロテスタントや照明派に対しても審問が行われ、スペイン反宗教改革の中心的役割を負った。またスペインにおいては魔女は異端審問ではほとんど扱われず、訴えがあった場合でも精神異常者ということで釈放されることが多かった。17世紀に入ると、審理件数は減少の一途をたどり、18世紀になるとほとんど機能しなくなる。スペインにおける異端審問が正式に廃止されたのはナポレオン・ボナパルトの支配を受けた1808年である。ナポレオンの元でスペイン王となったジョゼフ・ボナパルトは、異端審問の廃止を決定したが、その決定には反発も根強く、その後いったん復活するが、もはや実効性はなく、1834年摂政マリア・クリスティーナのもと、完全に廃止となった。スペイン異端審問の正確な被害者数を知ることは難しいが、ある研究者はトマス・デ・トルケマダの15年の在職期間中に2000人ほどのユダヤ人が火刑になったと考えている。イスラム教徒やイスラムからの改宗者の犠牲者はそれよりずっと少なかったと考えられている。最新の研究によれば、スペイン異端審問において12万5千人近くが裁判を受けたが、実際に死刑を宣告されたのはそのうち1200人~2000人程度で、ほとんどの被告は警告を受けるか、無罪が証明されて釈放されたとされている。どうやらスペイン異端審問には(スペインを批判するために用いられた)「黒い伝説」の一部として、誇張され過大に語られてきた部分もあると見られる。」

正確かどうかはわかりませんが以上が、「スペインの異端審問」についての記述です。

また、「ad majorem gloriam Dei」とラテン語のまま書かれています。

これもウィキペディアに出ていましたが、翻訳機能を使いましたので意味がよくわからないですね。

「Ad maiorem Dei gloriamまたはad majorem Dei gloriam [注1]は省略語 AMDGとも呼ばれ、 カトリック教会の宗教的秩序であるイエズス教会のラテン語の モットーです。 それは、「神の栄光がより大きくなる」という意味です。」また、「このフレーズの由来は、イエズス会の創始者であるロヨラの聖イグナティウス ( Saint Ignatius)が、社会の宗教的哲学の基調講演となることを意図したことによるものです。 聖イグナチオに帰された完全な言葉は、「神の栄光と人類の救いのために」、 悪ではない作品、たとえ霊的な生命にとって重要でないと考えられる作品さえあれば、それが神に栄光を与えるために行われるならば、霊的に功績を上げることができるという考えの要約です。」

「イワン」はキリストがそっと姿を現したのを民衆が見破るところを「ここは叙事詩の中でもっともすぐれた場面の一つになるかもしれないな」と自画自賛していますが、この部分が一番絵画的でもありますね。

ここでは、キリストは盲目の老人の目を見えるようにし、死んだ少女を生き返らせています。

子供たちが叫んだ「ホサナ」という言葉は以下のように説明されています。

「ホサナ(ラテン語: osanna, hosanna、英語: hosanna /hoʊˈzænə/)は、ヘブライ語で「どうか、救ってください」を意味する ホーシーアー・ナー(hoshia na)の短縮形 ホーシャ・ナー(hosha na)のギリシャ語音写に由来し、キリスト教において元来の意味が失われて歓呼の叫び、または神を称讃する言葉となった。アーメン、ハレルヤ(アレルヤ)などと共に、キリスト教の公的礼拝で使用されるヘブライ語の一つとなっている。なお、ホーシーアー・ナー の語意について、一部の英語文献ではそれを "save, now" としているが、これはヘブライ語の na が懇願を表す副詞であるとともに時間の副詞としても用いられることによる。ラテン語では「オザンナ」もしくは「オサンナ」と発音する。日本のカトリック教会では公的礼拝において「ホザンナ」を、日本正教会では「オサンナ」を使用している。」

「マタイによる福音書」の第九章は以下のとおりです。


「さて、イエスは舟に乗って海を渡り、自分の町に帰られた。すると、人々が中風の者を床の上に寝かせたままでみもとに運んできた。イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」と言われた。すると、ある律法学者たちが心の中で言った、「この人は神を汚している」。イエスは彼らの考えを見抜いて、「なぜ、あなたがたは心の中で悪いことを考えているのか。あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と言い、中風の者にむかって、「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。すると彼は起きあがり、家に帰って行った。群衆はそれを見て恐れ、こんな大きな権威を人にお与えになった神をあがめた。さてイエスはそこから進んで行かれ、マタイという人が収税所にすわっているのを見て、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。それから、イエスが家で食事の席についておられた時のことである。多くの取税人や罪人たちがきて、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた。パリサイ人たちはこれを見て、弟子たちに言った、「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人などと食事を共にするのか」。イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。そのとき、ヨハネの弟子たちがイエスのところにきて言った、「わたしたちとパリサイ人たちとが断食をしているのに、あなたの弟子たちは、なぜ断食をしないのですか」。するとイエスは言われた、「婚礼の客は、花婿が一緒にいる間は、悲しんでおられようか。しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その時には断食をするであろう。だれも、真新しい布ぎれで、古い着物につぎを当てはしない。そのつぎきれは着物を引き破り、そして、破れがもっとひどくなるから。だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け、酒は流れ出るし、皮袋もむだになる。だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。そうすれば両方とも長もちがするであろう」。これらのことを彼らに話しておられると、そこにひとりの会堂司がきて、イエスを拝して言った、「わたしの娘がただ今死にました。しかしおいでになって手をその上においてやって下さい。そうしたら、娘は生き返るでしょう」。そこで、イエスが立って彼について行かれると、弟子たちも一緒に行った。するとそのとき、十二年間も長血をわずらっている女が近寄ってきて、イエスのうしろからみ衣のふさにさわった。み衣にさわりさえすれば、なおしていただけるだろう、と心の中で思っていたからである。イエスは振り向いて、この女を見て言われた、「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」。するとこの女はその時に、いやされた。それからイエスは司の家に着き、笛吹きどもや騒いでいる群衆を見て言われた。「あちらへ行っていなさい。少女は死んだのではない。眠っているだけである」。すると人々はイエスをあざ笑った。しかし、群衆を外へ出したのち、イエスは内へはいって、少女の手をお取りになると、少女は起きあがった。そして、そのうわさがこの地方全体にひろまった。そこから進んで行かれると、ふたりの盲人が、「ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」と叫びながら、イエスについてきた。そしてイエスが家にはいられると、盲人たちがみもとにきたので、彼らに「わたしにそれができると信じるか」と言われた。彼らは言った、「主よ、信じます」。そこで、イエスは彼らの目にさわって言われた、「あなたがたの信仰どおり、あなたがたの身になるように」。すると彼らの目が開かれた。イエスは彼らをきびしく戒めて言われた、「だれにも知れないように気をつけなさい」。しかし、彼らは出て行って、その地方全体にイエスのことを言いひろめた。彼らが出て行くと、人々は悪霊につかれたおしをイエスのところに連れてきた。すると、悪霊は追い出されて、おしが物を言うようになった。群衆は驚いて、「このようなことがイスラエルの中で見られたことは、これまで一度もなかった」と言った。しかし、パリサイ人たちは言った、「彼は、悪霊どものかしらによって悪霊どもを追い出しているのだ」。イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた。そして弟子たちに言われた、「収穫は多いが、働き人が少ない。だから、収穫の主に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい」。」


2017年9月9日土曜日

527

「イワン」の会話の続きです。

・・・・北国ドイツに恐るべき異端が現れた(訳注 宗教改革のこと)のは、ちょうどこのころだよ。《たいまつに似た》(つまり、教会に似た)巨大な星が《水源の上に落ち、水が苦くなった(訳注 ヨハネ黙示録第八章)》のだ。この異教は冒瀆的に奇蹟を否定しはじめた。だが、依然として信仰を持ちつづけた人々は、そのことによっていっそう熱烈に信ずるようになった。人類の涙はそれまでと同じようにキリストのもとにのぼってゆき、キリストを待ち望み、愛し、期待をかけ、以前と同じようにキリストのために苦しんで死ぬことを渇望していた・・・・こうして何世紀もの間、人類は信仰と熱情とをこめて『主なる神よ、われらの前に姿を現わしたまえ』と祈りつづけ、何世紀もの間うったえつづけてきたので、キリストもその無限の同情心にかられて、祈っている人々のところへ下りてくる気持になったんだ。それ以前にもキリストが下りてきて、戒律をきびしく守る行者や、殉教者や、まだ地上にいた隠遁の聖者を訪れたことがあるのは、その人たちの《伝記》にあるとおりさ。わが国では、自己の言葉の正しさを深く信じきっていた詩人のチュッチェフが、こんなふうにうたっている。

十字架の重荷に苦しみながら、
奴隷に身をやつした天上の主は、
母なる大地よ、お前の隅々まで
祝福を与えてまわれれた。(訳注 『この貧しき村々よ』の一節)

きっとそのとおりだったにちがいない。さて、キリストはほんの一瞬でも民衆の前に姿を現わそうという気持になられた・・・・苦しみ、悩み、罪に汚れてはいても、赤児のように主を愛している民衆の前にね。俺の場合、舞台はスペインのセヴィリヤ、時はあたかも、神の栄光のために国じゅうで毎日のように焚火が燃えさかり、

壮麗な火刑場で
こころあしき異教の徒を焼きつくす

という異端審問のもっとも恐ろしい時代だ。いや、もちろんこれは、キリストが自分の約束に従ってこの世の終りに天の栄光に包まれながら、『ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように』(訳注 マタイによる福音書第二十四章)、突然、姿を現わすという、あの降臨じゃない。そうじゃないんだ、キリストはほんの一瞬でもいいから自分の子供らを訪ねよう、それもまさに異端者を焼く焚火がぱちぱち爆ぜているその場所を訪ねよう、という気になったんだよ。・・・・

ここで「イワン」の会話を切ります。

これから私にはあまり馴染みのない宗教関係のことがたくさん出てくると思います。

それらをウィキペディア中心に、ネットで調べていきたいと思います。

まず「宗教改革」とは、ウィキペディアによると「16世紀(中世末期)のキリスト教世界における教会体制上の革新運動である。贖宥状に対するルターの批判がきっかけとなり、以前から指摘されていた教皇位の世俗化、聖職者の堕落などへの信徒の不満と結びついて、ローマ・カトリック教会からプロテスタントの分離へと発展した。ルターによるルター教会、チューリッヒのツヴィングリやジュネーヴのカルヴァンなど各都市による改革派教会、ヘンリー8世によって始まったイギリス国教会などが成立した。また、当時はその他にアナバプテスト(今日メノナイトが現存)など急進派も力を持っていた。」

「ヨハネ黙示録」の第八章は「小羊が第七の封印を解いた時、半時間ばかり天に静けさがあった。それからわたしは、神のみまえに立っている七人の御使を見た。そして、七つのラッパが彼らに与えられた。また、別の御使が出てきて、金の香炉を手に持って祭壇の前に立った。たくさんの香が彼に与えられていたが、これは、すべての聖徒の祈に加えて、御座の前の金の祭壇の上にささげるためのものであった。香の煙は、御使の手から、聖徒たちの祈と共に神のみまえに立ちのぼった。御使はその香炉をとり、これに祭壇の火を満たして、地に投げつけた。すると、多くの雷鳴と、もろもろの声と、いなずまと、地震とが起った。そこで、七つのラッパを持っている七人の御使が、それを吹く用意をした。第一の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、血のまじった雹と火とがあらわれて、地上に降ってきた。そして、地の三分の一が焼け、木の三分の一が焼け、また、すべての青草も焼けてしまった。第二の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、火の燃えさかっている大きな山のようなものが、海に投げ込まれた。そして、海の三分の一は血となり、海の中の造られた生き物の三分の一は死に、舟の三分の一がこわされてしまった。第三の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が、空から落ちてきた。そしてそれは、川の三分の一とその水源との上に落ちた。この星の名は「苦よもぎ」と言い、水の三分の一が「苦よもぎ」のように苦くなった。水が苦くなったので、そのために多くの人が死んだ。第四の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、星の三分の一とが打たれて、これらのものの三分の一は暗くなり、昼の三分の一は明るくなくなり、夜も同じようになった。また、わたしが見ていると、一羽のわしが中空を飛び、大きな声でこう言うのを聞いた、「ああ、わざわいだ、わざわいだ、地に住む人々は、わざわいだ。なお三人の御使がラッパを吹き鳴らそうとしている」。」です。

チュッチェフについては「フョードル・イヴァーノヴィチ・チュッチェフ(1803年12月5日~1873年7月27日)とは、ロシアの詩人、外交官である。「頭でロシアは分からない」という言葉で知られる。ミュンヘン、トリノに暮らし、ハイネやシェリングと親交があった。文壇には加わらず、自らを文学者と呼ぶことはなかった。およそ400編の詩が残されており、その詩句はロシアできわめて頻繁に引用される。」とのことです。

そして、『この貧しき村々よ』は『これら貧しき村々... 』として次のような訳が掲載されていました。

『これら貧しき村々... 』(1855)、全 3 連 12 行中の第 2 連 3~4 行目。

これら貧しき村々、
この貧相な自然――お前こそは
辛酸を耐えに耐えてきた祖国だ、
ロシアの民の祖国なのだ!
異国の尊大な目には、
決して分かるまい、気がつくまい、
お前の従順な裸身を貫き、
密やかに輝くものの何たるかを。
十字架の重荷を背負い、 奴隷に身をやつした天帝は、
祖国の大地よ、お前を祝福しつつ、 
お前を隈なく歩き回ったのだ。
 (1855 年 8 月 13 日)

そして「異端審問」とは以下のように書かれていました。

「異端審問(いたんしんもん)とは、中世以降のカトリック教会において正統信仰に反する教えを持つ(異端である)という疑いを受けた者を裁判するために設けられたシステム。異端審問を行う施設を「異端審問所」と呼ぶ。ひとくちに異端審問といっても中世初期の異端審問、スペイン異端審問、ローマの異端審問の三つに分けることができ、それぞれが異なった時代背景と性格を持っている。」

ここで「イワン」は「俺の場合、舞台はスペインのセヴィリヤ」と言っていますので、スペインの異端審問についてはこう書かれていました。

「異端審問の歴史の中で特筆されるスペイン異端審問は中世の異端審問とはまた異なる性格を持つものである。15世紀の終わりになって、アラゴンのフェルナンド2世とカスティーリャのイサベル1世の結婚に伴ってスペインに連合王国が成立した。当時のスペインにはキリスト教に改宗したイスラム教徒(モリスコ)やユダヤ教徒(マラノ)たちが多くいたため、国内の統一と安定において、このような人々が不安材料になると考えた王は、教皇に対してスペイン国内での独自の異端審問機関の設置の許可を願った。これは教皇のコントロールを離れた独自の異端審問であり、異端審問が政治的に利用されることの危険性を察知した教皇は許可をためらったが、フェルナンド王は政治的恫喝によってこの許可をとりつけることに成功した。結果としてスペイン異端審問は多くの処刑者を生んだことで、異端審問の負のイメージを決定付け、キリスト教の歴史に暗い影を落とすことになった。」と。


「マタイによる福音書」の第二十四章は(526)で引用しました。



2017年9月8日金曜日

526

「イワン」の会話の続きです。

・・・・ところで俺の叙事詩も、もしそのころ世に出ていたら、同じ性質のものになっただろうね。俺の詩にはキリストが登場するんだ。もっとも、詩の中では何一つしゃべらず、ただ姿を現して通りすぎるだけだがね。キリストが自分の王国をふたたび訪れると約束してから、すでに十五世紀すぎた。彼の予言者が『わたしはすぐに訪れるたろう』(訳注 ヨハネ黙示録第二十二章)と書き記してから、もう十五世紀にもなるんだ。キリスト自身もまだ地上にいるときに、『その日、その時は子も知らない。ただ父だけが知っておられる』(訳注 マタイによる福音書第二十四章)と語っているけれどね。しかし、人類は以前と変らぬ信仰、前と同じ感動をいだいて、キリストを待ちつづけているんだ。いや、信仰はむしろ強まったほどだよ。なぜなら、天より人間に与えられた保証がとだえてから、すでに十五世紀過ぎたんだからね。

心の告げることを信ぜよ、
天よりの保証はすでになし。(訳注 シラーの詩『願望』より)

だから、心の告げたことに対する信頼しかなかったってわけだ! なるほど、当時たくさんの奇蹟もあったさ。奇蹟的な治療を行う聖者もいたし、戒律をきびしく守っていた人々の中には、伝記によると、聖母みずからの訪れに接した人たちもいたくらいだ。しかし悪魔も居眠りをしちゃいないから、人類の間にはすでにそうした奇蹟の真実性に対する疑惑が起りはじめていた。・・・・

ここで、「イワン」の会話を切ります。

いつのまにか、もう「イワン」の叙事詩に入っているのですね。

一部だけ抜き書きしてもわかりませんが、ヨハネ黙示録第二十二章」は以下のとおりです。

「御使(みつかい)はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座(みざ)から出て、都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。のろわるべきものは、もはや何ひとつない。神と小羊との御座は都の中にあり、その僕(しもべ)たちは彼を礼拝し、御顔(みかお)を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名(みな)がしるされている。夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。彼はまた、わたしに言った、「これらの言葉は信ずべきであり、まことである。預言者たちのたましいの神なる主は、すぐにも起るべきことをその僕たちに示そうとして、御使をつかわされたのである。見よ、わたしは、すぐに来る。この書の預言の言葉を守る者は、さいわいである」。これらのことを見聞きした者は、このヨハネである。わたしが見聞きした時、それらのことを示してくれた御使(みつかい)の足もとにひれ伏して拝そうとすると、彼は言った、「そのようなことをしてはいけない。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書の言葉を守る者たちと、同じ僕仲間(しもべなかま)である。ただ神だけを拝しなさい」。またわたしに言った、「この書の預言の言葉を封じてはならない。時が近づいているからである。不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」。「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。犬ども、まじないをする者、姦淫(かんいん)を行う者、人殺し、偶像を拝む者、また、偽りを好みかつこれを行う者はみな、外に出されている。わたしイエスは、使をつかわして、諸教会のために、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」。御霊(みたま)も花嫁も共に言った、「きたりませ」。また、聞く者も「きたりませ」と言いなさい。かわいている者はここに来るがよい。いのちの水がほしい者は、価なしにこれを受けるがよい。この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。主イエスの恵みが、一同の者と共にあるように。」

次に「マタイによる福音書第二十四章」です。

「イエスが宮から出て行こうとしておられると、弟子(でし)たちは近寄ってきて、宮の建物にイエスの注意を促した。そこでイエスは彼らにむかって言われた、「あなたがたは、これらすべてのものを見ないか。よく言っておく。その石一つでもくずされずに、そこに他の石の上に残ることもなくなるであろう」。またオリブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとにきて言った、「どうぞお話しください。いつ、そんなことが起るのでしょうか。あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」。そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そしてこの御国(みくに)の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣(の)べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下におりるな。畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。見よ、あなたがたに前もって言っておく。だから、人々が『見よ、彼は荒野にいる』と言っても、出て行くな。また『見よ、へやの中にいる』と言っても、信じるな。ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。死体のあるところには、はげたかが集まるものである。しかし、その時に起る患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。また、彼は大いなるラッパの音と共に御使(みつかい)たちをつかわして、天のはてからはてに至るまで、四方からその選民を呼び集めるであろう。いちじくの木からこの譬(たとえ)を学びなさい。その枝が柔らかになり、葉が出るようになると、夏の近いことがわかる。そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。よく聞いておきなさい。これらの事が、ことごとく起るまでは、この時代は滅びることがない。天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。その日、その時は、だれも知らない。天の御使(みつかい)たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。すなわち、洪水(こうずい)の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。ふたりの女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ、ひとりは残されるであろう。だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。このことをわきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、目をさましていて、自分の家に押し入ることを許さないであろう。だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。主人がその家の僕(しもべ)たちの上に立てて、時に応じて食物をそなえさせる忠実な思慮深い僕は、いったい、だれであろう。主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。よく言っておくが、主人は彼を立てて自分の全財産を管理させるであろう。もしそれが悪い僕であって、自分の主人は帰りがおそいと心の中で思い、その僕仲間をたたきはじめ、また酒飲み仲間と一緒に食べたり飲んだりしているなら、その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて、彼を厳罰に処し、偽善者たちと同じ目にあわせるであろう。彼はそこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。」


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