2016年5月31日火曜日

61

ここからしばらく「アリョーシャ」の性格分析が続きます。

羅列してみます。

1 人々を愛し、終生、人間をすっかり信じきって暮らしているように見えた
2 しかし、彼をお人よしと見なしたり、単純な人間と見なす人はいなかった
3 終生、彼は人を裁いたり、批判したりしないと感じさせる何かがあった
4 自分がつらくても、すべてを赦しているようだった

彼はこういった性格だったので、若いころから「だれひとり彼をおどろかすことも、怯えさせることもできぬほどの域にまで達し」ていました。

誰もがこうでありたいと思うほどの人格者で、誰からも好かれるタイプですね。

ここまでは抽象的な性格描写ですが、この後からそれらの具体例が述べられ、それを知ると彼のすばらしい人間性がより深くわかります。


2016年5月30日月曜日

60

「アリョーシャ」には美しい母の思い出を話すような相手は「めったに」いなかったそうです。

しかし「めったに」と書かれいますから、兄の「イワン」には話したのかもしれませんね。

「イワン」とは、6年くらいだと思うのですが、同居していますので。

少年時代と青年時代の「アリョーシャ」は、ほとんど感情を表にあらわさず、口数も少なかったそうです。

しかしそれは、変なふうに人を疑ったり、内にこもったり、気むずかしかったり、人見知りだったというのではなく、彼には自分の内面の悩みとでもいうものがあって、それがその時の彼にとってはかなり重要なことと思っていましたので、そういったことに夢中になるあまり他者との関係がおろそかになったせいなのです。


2016年5月29日日曜日

59

「アリョーシャ」の覚えている母「ソフィヤ・イワーノヴナ」の記憶は次のようなものでした。

「開け放された窓」に「沈みかけた太陽の斜光(この斜光がいちばん強く心に残っていた)」が差し込み、「部屋の一隅の聖像」の前に「ともっている燈明」があり、母は聖像の前にひざまずいていました。

ここまでは美しい情景ですが、一変します。

母はヒステリーのような金切り声や叫び声をあげながら幼い「アリョーシャ」を痛いほどぎゅっと両手で抱きしめて、聖母マリヤの庇護を求めるかのように祈りながら彼を聖像の方にさしのべていました。
「・・・そこへ突然、乳母が駆け込んできて、怯えきった様子で母の手から彼をひったくる」
「こんな光景なのだ!」
「アリョーシャが母の顔を記憶にとどめたのも、その一瞬だった」
「その顔は狂おしくこそあったが、思いだせるかぎりの点から判断しても、美しかったと、彼は語っていた」

以上が「アリョーシャ」が一生おぼえていたという母の記憶ですが、これは、記憶の断片というよりは、小さなストーリーをなしています。

感嘆符が付けられるほどに実に緊迫した状況の奇妙な記憶で、彼はその記憶の中でも特に太陽の斜光が印象に残り、狂ったような美しい母の顔を生涯にわたって覚えていたのです。

そして、乳母が「怯えきった様子で母の手から彼をひったくる」ところが、非常に大きな意味を持ち、この複雑な感情をともないうる悲惨な記憶が彼に与えた影響は計り知れないものがあるのではないでしょうか。

「アリョーシャ」を宗教の道にみちびいたのもこういうことなのかもしれません。


2016年5月28日土曜日

58

ここで、記憶というものについて、一般的にどういうあらわれ方をするのかということが書かれています。

それは、「闇の中の明るい点」か「全体はすでに色あせ消えてしまった巨大な絵からちぎりとられ、わずかにそれだけ残った小さな片隅」のようにあらわれてくると言っています。

たとえば、昔見た映画のシーンなどではそういうことがありますね。

しかし、私は自分のことを考えてみると、絵の一部分が特別に記憶に残っているということはありません。

これは作者の妻が書いた回想録に書かれていたことですが、ドストエフスキーはラファエロの『システィーナの聖母』を人類の最高傑作と言って、この絵の前で感動し興奮し何時間も立ちつくしていたのだそうです。(下の写真です)

この絵は、265cm×196cmの巨大な絵で、聖シクストゥスと聖バルバラを両脇にして、聖母マリアが幼児キリストを抱きかかえており、下の方にふたりの天使が描かれています。

ドストエフスキーは晩年、ある伯爵夫人から周囲の人物をのぞいた原寸大の聖母子部分だけの複製を送ってもらい、自室のソファーの真上に飾ってしばしば絵の前にたたずんで、深い感動にひたっていたそうです。

これは、先ほどの「巨大な絵」からちぎりとられた「小さな片隅」にぴったりと当てはまるエピソードですね。

むしろ、「小さな片隅」をじっと凝視することによって、まわりの全体が暗く消えそうになることだってあるかもしれません。



2016年5月27日金曜日

57

母の「ソフィヤ・イワーノヴナ」が亡くなったのは、「アリョーシャ」がまだ数えの4つのときでした。

そして、幼少時の別れにもかかわらず彼が母のことをよく覚えていたことは、前に書かれています。

その文章は「実にふしぎなことではあるが、彼がそのあと一生、もちろん、夢のなかのようにぼんやりとにせよ、母親をおぼえていたのを、わたしは知っている」と書かれていました。

しかし、ここではこう書かれています。

「彼がそのあと終生、母の顔立ちや愛撫を《まるで生ある母が目の前に立っているように》おぼえていたことは、すでに述べたとおりである」と。

両方の文章をくらべると、前は、ぼんやりとおぼえていたのですが、後の方ははっきりと、というようにかなり印象が違いますね。

やはりこの違いも前者は「わたし」が介在していて、後者は作者が直に述べていることだからでしょうか。

これに続く文章は、もっと変です。

「こうした思い出はもっと幼い、二歳ころからでさえ、心に刻まれうるものであるが(これも周知の事実だ)」と。

ここにきて、幼少時の記憶の起点が4歳から2歳へと変わっています。

しかも、(これも周知の事実だ)と書いていますので、後からまわりの誰かに聞いて、軌道修正をはかっているかのような書き方ですね。


私は前の文章をささっと手直しすれば、読者は何のひっかかりもなく読み進んでいけると思いますが、このようなひっかかりがあることによって、その後の作者の悪戦苦闘の手直しが生じ、それが作品の厚みにもなっているのかも知れません。


2016年5月26日木曜日

56

そして、「アリョーシャ」が、この修道院に入ったことには重大な理由があります。

それは、この修道院に有名な「ゾシマ長老」がいたことです。

彼の「充たされることを知らぬ心」は、はじめての熱烈な愛情のすべてを「ゾシマ長老」に捧げるほどに彼に心服したのです。

それは、彼が心の中で思っただけではなく、自ら修道院に飛び込んで行ったという思い切った行動が示しています。が、しかし、作者は、少し突き放して微妙に含みのある表現をしています。

「ゾシマ長老」は「彼の考えによれば当代まれに見る人物である」と、「アリョーシャ」の個人的な趣向による熱狂ぶりと言わんかのように、少し遠くから客観的に見ているようです。

そして、「彼がごく幼いころを皮切りに、当時もすでにたいそう変わった人間だったことに対しては、わたしも異論はない」と続き、変わり者の彼だから、そして、生まれてはじめて熱狂するような対象が見つかったのだから、そのように夢中になったのは無理もないというような書き方です。

ここで、「わたし」が出てきているのですが、この「わたし」は「アリョーシャ」を客観的に見ている「わたし」であり、彼の幼いころをよく知っている「わたし」でもありますから、前に出てきたこの町の住人のひとりであるらしい「わたし」とは違って、作者の心情そのものにごく近いところにある「わたし」になっています。


2016年5月25日水曜日

55

四 三男アリョーシャ

作者が「序文的な物語」と言うカラマーゾフ家のメンバー紹介ですが、「フョードル」「ドミートリイ」「イワン」と進んで、ついに最後の「アレクセイ」愛称「アリョーシャ」の番がやってきました。

彼はこのとき、20歳になるかならず、兄の「イワン」は数えで24歳、長兄の「ドミートリイ」は数えで28歳でした。

ここでも年齢計算は数えで、わかりにくいですが、だいたいでいいのでしょう。

ここで「わたし」は忌憚なく意見を述べると、「アリョーシャ」について、少なくとも狂信者でもなく、神秘主義者でもなかったし、ただ「ごく初歩の人道主義者」と言っています。

狂信者>神秘主義者>「アリョーシャ」=「初歩の人道主義者」です。

ですから、彼が「修行の道にひたすらすすんだ」としても、そのとき、偶然か必然か、彼が進むべき道として、それだけが最善の道としてあったというにすぎないのです。

作者は「言うなれば」と前置きして、彼が「俗世の憎しみの闇」をのがれ「愛の光に突きすすもうとあがく彼の究極の理想」を示してくれたのが修行僧の道だったと言っています。

仮に宗教の世界をあちら側の世界と言うとすると少なくとも今のところ、彼はこちら側の世界の人ですね。