2017年4月12日水曜日

377

「だって、あの人がこなかったことは、自分で見ていたでしょうに!」と、「イワン」が叫びました。

「でも、ひょっとすると、裏口からでも?」

「鍵がかかってますよ。裏口は。その鍵はお父さんが持っているんだし・・・」

「ドミートリイ」がふいにまた広間に現れました。

もちろん彼は裏口に鍵がおりているのを確かめてきたし、裏口の鍵は事実「フョードル」のポケットにありました。

どの部屋の窓もみな閉まっていました。

したがって、「グルーシェニカ」はどこから来られるはずもありませんでしたし、どこからとびだして行くはずもありませんでした。

「そいつを捕まえろ!」ふたたび「ドミートリイ」を見たとたん、「フョードル」が金切り声をたてはじめました。

「やつは俺の寝室で金を盗みよったぞ!」こう言うなり、「イワン」をふりきって、また「ドミートリイ」にとびかかりました。

か、相手は両手をふりあげ、老人の小鬢のあたりにわずかに残っている髪をいきなりつかむなり、ひきずりよせ、もの凄い音とともに床に投げとばしました。

そのうえ、倒れたところをすかさず、二、三回、踵で顔を蹴りつけました。

老人はけたたましい悲鳴をあげました。

「イワン」は兄の「ドミートリイ」ほど腕力がすぐれているわけではありませんが、両手で兄にむしゃぶりつき、力まかせに老人から引き離しました。

「アリョーシャ」もそれなりに力の限り前から兄に組みつき、「イワン」に手助けしました。

「気違い、殺しちまうじゃないか!」と「イワン」がどなりつけました。

「それで当然なんだ!」と、息を切らせながら、「ドミートリイ」がわめきちらしました。

「くだばらなかったら、また殺しに来てやる。かばいきれるもんじゃないぜ!」

「ドミートリイ!今すぐここから出てってください!」と、高圧的に「アリョーシャ」が叫びました。

「アレクセイ!せめてお前だけでも教えてくれ、お前だけは信用する。今ここにあの女が来たろ、来なかったか?たった今、生垣のわきをぬけて横町からこっちの方へあの女が走りこんだのを、俺はこの目で見たんだ。声をかけたら、逃げだしたんだ・・・」

「誓ってもいい、あの人はここには来ませんよ、それにここではだれもあの人がくるなんて、予期してなかったし!」

「しかし、俺は見たんだがな・・・してみると、あの女・・・すぐに所在をつきとめてやる・・・あばよ、アレクセイ!今となっちゃイソップ爺に金を話なんぞ一言もするな、カテリーナには今すぐ必ずこう伝えてくれ。『兄がよろしくとのことでした。よろしく言ってました。よろしくと!くれぐれもよろしく!』とな。この騒動を話してやれよ」

その間に「イワン」と「グリゴーリイ」は老人を助け起し、肘掛椅子に坐らせました。

老人の顔は血まみれでしたが、意識はしっかりしており、「ドミートリイ」の叫びにむさぼるように聞き入っていました。

いまだに、「グルーシェニカ」が本当に家の中のどこかにいるような気がしていたのでした。

「ドミートリイ」は去りぎわに憎しみをこめて父を見やりました。

「手前に血を流させたことなんぞ、後悔するもんか!」と、彼は叫びました。

「用心しろよ、爺、せいぜい夢を大事にしろ、こっちだって夢はあるんだからな!手前なんぞ、俺のほうから呪って、縁を切ってやらあ・・・」

彼は部屋をとびだして行きました。

これが、「ドミートリイ」の引き起こした派手な騒ぎの内容ですが、あまりにもひどいですね。

もともと「ドミートリイ」は自分の勘違で乗り込んで来たわけですが、「グリゴーリイ」に暴力をふるい、父の「フョードル」に対しての暴言、暴力など。

ここで「ドミートリイ」は「フョードル」のことを「イソップ爺」と言っているのが面白いのですが、これは前に「ミウーソフ」心の中のつぶやきで(263)でも出ていましたね。

「フョードル」が「やつは俺の寝室で金を盗みよったぞ!」と言っていますが、これは、「ドミートリイ」が「アリョーシャ」に語ったのですが、「五日ほど前に親父は三千ルーブルとりわけて、百ルーブル札にくずしたうえ、大きな封筒に入れて、封印を五つも押し、しかもその上から赤い細引きで十字に縛った」ものです。

そのことを「フョードル」は「グルーシェニカ」に三日か四日前に話して、彼女は『行くかもしれない』と言っているのですね。

だから、期待するのです。

そして、少し唐突すぎるように思える「ドミートリイ」の短絡性と凶暴性を印象付けるこの部分のエピソードは、この小説全体の重要な伏線ともなっています。

「グルーシェニカ」「フョードル」に家に来たという絶対的な確証がなければ、「ドミートリイ」の行動はおかしいと思いますし、父親の顔を血まみれにするほどの暴力をはたらいた後にさらに追い討ちをかけるような暴言を吐くなど異常性が印象づけられます。


特に「くだばらなかったら、また殺しに来てやる」という「ドミートリイ」の発言は、作中で発する言葉としての必然性よりは、読者にむけての印象操作をねらっているように思います。


2017年4月11日火曜日

376

「イワン」と「アリョーシャ」は老人にやっと追いつき、むりやり広間へ連れもどしました。

「どうして追いかけたりするんです!本当に殺されちまいますよ!」と、「イワン」が腹立たしげに父をどなりつけました。

「ワーネチカ、リョーシェチカ、してみると、あれはここにいるんだ。グルーシェニカはここに来たんだ。走りすぎたのを自分で見たと言っているんだから・・・」

「ワーネチカ」は「イワン」、「リョーシェチカ」は「アリョーシャ」の愛称です。

彼は息をあえがせていた。今日「グルーシェニカ」がくることなぞ期待していなかったので、彼女がここにいるよという報が突然、いっぺんに分別を失わせたのでした。

彼は全身をふるわせ、まるで錯乱したかのようでした。

現代ではこのように自分の感情を素直にあらわすこと自体、小さな子供は別ならともかく、想像もつかないことです。

今は、心の中ではそう思っても他人の前で、しかもこの場合は子供の前で、それを身体中で表現することは普通なら躊躇すると思います。

そうすれば、無邪気な自分の気持ちを相手に見透かされてしまいます。

おそらく、そんなことよりも感情の高ぶりの方が勝っているのでしょう。

しかし、その感情の高ぶりを抑えることができないというか、その必要がないと思っているのでしょうか。

他者に自分のことを知られることを嫌悪するという感情はいつごろから生じたのでしょう、またそれはどこからくるのでしょう。

現代人は必要以上に自分を隠し、それだけでなく巧妙に演技さえして煙に巻くようなこともあるのですが、いったい自分の中の何を、何から、何のために隠そうとしているのでしょうか、また、そうしなければならない必然性はどこにあるのでしょうか。


この時代のロシアでは、違っていたのでしょうか、そのような直情的な人間も少なからずいたということかもしれませんが、そして「フョードル」もその代表的なひとりなのでしょうか。


2017年4月10日月曜日

375

九 好色な男たち

「ドミートリイ」につづいて、「グリゴーリイ」と「スメルジャコフ」も広間に駆けこんできました。

二人は玄関で、中に通すまいと争っていたのです(すでに数日前に出された、「フョードル」じきじきの指令によってでした)。

「ドミートリイ」が広間にとびこんで、あたりを見まわすために一瞬立ちどまったすきを利用して、「グリゴーリイ」は急いでテーブルをまわり、入口の反対側にある、奥の部屋へ通ずる両開きのドアを閉め、閉ざしたドアの前に大手をひろげ、この入口はいわば命にかけても守りぬくといった身構えで立ちはだかりました。

それを見ると、「ドミートリイ」は叫ぶというより、悲鳴に近い声をあげて、「グリゴーリイ」にとびかかりました。

「してみると、あの女はそこにいるんだな!そこに隠しやがったな!どけ、下郎!」と、彼は「グリゴーリイ」を突きとばそうとしかけたが、かえって押し返されました。

怒りに前後を忘れ、「ドミートリイ」は手をふりあげるなり、力まかせに「グリゴーリイ」を殴りつけました。

老人はなぎ倒されたようにころがり、「ドミートリイ」はそれをとびこえて、戸口に駆けこみました。

「スメルジャコフ」は真っ青になってふるえながら「フョードル」にぴったり寄り添って、広間にとどまっていました。

「あの女はここにいるんだ」と、「ドミートリイ」は叫びました。

「あの女がこの家の方へ曲ったのを、俺は今この目で見たんだ、ただ追いつけなかったまでさ。どこにいる?あの女はどこだ?」

『あの女はここにいる! 』というこの叫びはおよそ理解しがたい印象を「フョードル」に与えました。

いっさいの怯えが彼からけしとびました。

「捕まえろ、そいつを捕まえろ!」と、彼はわめきたて、やにわに「ドミートリイ」のあとろ追いました。

一方「グリゴーリイ」は床から起き上がったものの、まだわれに返らぬかのようでした。

「イワン」と「アリョーシャ」は父を追いました。

三つ目の部屋で、突然何かが床に落ち、砕けて、けたたましい音をたてるのがきこえました。

これは、大理石の台にのせた大きなガラスの花瓶を(そう高価なものではありませんでしたが)、「ドミートリイ」がわきを走りぬけるはずみに、ひっかけたのでした。

「そいつを捕まえろ!」と、老人がわめきたてました。

「助けてくれ!」

まったく、とんでもない騒ぎですね。

しかも、タイトルに「好色な男たち」とあるように、一人の女をめぐっての親子の醜態です。

この二人はまったく理性がなくなっています。

最初に「グリゴーリイ」と「スメルジャコフ」は「フョードル」じきじきの指令によって玄関先で「ドミートリイ」の侵入を阻止しようとして失敗しました。

次に、「グリゴーリイ」はなぜ奥の部屋へ通ずる両開きのドアを閉め「ドミートリイ」を通すまいとしたのでしょうか。

たぶん、そうしろという具体的な指令が「フョードル」から出されていたのでしょう。

しかし、「グリゴーリイ」は奥の部屋に女が来ていないことはわかっているのですから、的外れの行動じゃないでしょうか。

そんなことをしたから、「ドミートリイ」が女がいるものだと勘違いして興奮したのですから。

広間で主人の「フョードル」を守る役割を割り振られたのが「スメルジャコフ」なのでしょうが、真っ青になってふるえていたとは情けないです。

しかも彼は、「ドミートリイ」と通じているわけです。

とにかく、召使の二人とも役には立たなかったのですが、これは軍人である「ドミートリイ」の迫力勝ちですね。

気絶していた「アリョーシャ」はこの騒ぎで正気に返ったのですね。


奥の方へ進む「ドミートリイ」の後を追いかける「フョードル」を「イワン」と「アリョーシャ」が追いかけます。



2017年4月9日日曜日

374

「イワン、イワン!早く水をやれ。あれと同じだ、彼女にそっくりだよ。あのときのこれの母親とそっくり同じだ!口で水を吹きかけてやれ、俺もそうしてやったもんだ。これは自分の母親のために、自分の母親のために・・・」と彼は「イワン」につぶやきました。

「しかし、僕の母親も、これの母親と同じだと思いますがね、どうですか?」とふいに「イワン」は憤りにみちた軽蔑を抑えきれずに、食ってかかりました。

老人はきらりと光った相手の眼差しにぎくりとしました。

が、このとき、なるほどほんの一瞬ではありましたが、何か実に奇妙なことが起こりました。

「アリョーシャ」の母はまた「イワン」の母親でもあるという判断が、本当に老人の頭からけしとんでしまったようでした。

「お前の母親だって?」理解できずに、彼はつぶやきました。

「どうしてそんな?だれの母親のことだ?えい、畜生!いつになく、ほんやりしちまって。失敬、失敬、俺はまた、イワン・・・へ、へ、へ!」と彼は口をつぐみました。

半ば無意味な、酔払いの長い薄笑いが、その顔にひろがりました。

ここで「ほんの一瞬ではありましたが、何か実に奇妙なこと」と作者が書いているように、確かに「フョードル」は不思議なことに、いわゆる家族関係について盲目なのだと思います。

「アリョーシャ」は発作を起こすことによって自己表現をしましたが、「イワン」も当然憤りを感じていたのであり、その怒りを「フョードル」にぶつけています。

と、まさにその瞬間、突然、玄関で恐ろしい騒めきと物音がきこえ、気違いじみたどなり声がしたと思うや、ドアが勢いよく開き、「ドミートリイ」が広間にとびこんできました。

老人はぎょっとして「イワン」の方にとびのきました。

「殺される、殺される!止めてくれ、俺を見殺しにしないでくれ!」と「イワン」のフロックの裾にしがみついて、老人はわめきました。

すごいことになりましたね。

隣家の庭にいたはずの「ドミートリイ」が飛び込んできたのです。

そして、そこには「アリョーシャ」が気絶して横になっているのですから。


ここに家族全員が再び結集したのですが、とんでもない修羅場です。


2017年4月8日土曜日

373

老人はぎょっとして跳ね起きました。

つまり、「フョードル」は話している途中で急に「アリョーシャ」の様子がおかしくなったので、驚いてソファーから立ち上がったのですね。

「フョードル」が母親の話をはじめたその瞬間から、「アリョーシャ」の顔つきが少しずつ変わってきていました。

顔が赤くなり、眼が燃え、唇がふるえはじめました・・・酔った老人はしきりに唾をとばしてまくしたて、その瞬間まで何も気づかなかったのですが、突然「アリョーシャ」の身に何やらきわめて異様なことが生じていました。

ほかでもない、たった今老人が《癲狂病み》について話したのと同じことが、そっくり再現されたのです。

「アリョーシャ」は突然テーブルの前から跳ね起き、今の話で母がやったのとそっくり同じに、両手を打ち合せてから、顔を覆い、なぎ倒されたように椅子に倒れるなり、そのまま、身を揺さぶる突然の、声もない涙のヒステリックな発作に、ふいに全身をふるわせはじめました。

異常なほどの母親との相似がとりわけ老人をおどろかせました。

「フョードル」の話の中で「ソフィヤ」は「跳ね起きて、両手を打ち合せたあと、いきなり両手で顔を覆って、全身ふるえはじめ、床に倒れるなり・・・そのまま気絶しちまったんだ」ということでしたので、全く同じですね。

これは、限界を超えた怒りのある種の表現でしょう。


そして、「アリョーシャ」が自らの観念の中で作り上げてきた母親像に対する異常なまでの愛情のために、行動が完全にその像と同調したのでしょう。


2017年4月7日金曜日

372

そして、「俺にとっちゃ・・・ええ、おい!お前らはまだ子供だし、小さな子豚も同然だから、わからんだろうが、俺にとって、これまでの生涯に醜い女なんて存在しなかったよ、これが俺の主義なんだ!お前たちにこれがわかるかい?わかるはずはないさな。お前らはまだ、血の代りにオッパイが流れてるんだし、殻が取りきれてないんだから!俺の主義から言や、どんな女にだって、ほかの女には見いだせないような、畜生、度はずれにおもしろいところが見いだせるもんなんだぜ-ただ、そいつを見つけだすすべを知らなけりゃいかん。そこがミソさ!これは才能だよ!俺にとっちゃ、醜女(ぶす)なんて存在しなかったね。女であるというそのことだけで、すでに全体の半分はそなわっているんだから・・・お前らになんぞわかるもんか!オールドミスでさえ、時には、どうしていたずらに年をとらせて、これまで目をつけなかったのかと、ほかのばか者どもに呆れかえるほかないような、すてきなところが見つかるもんだよ!はだしの小娘や醜女(ぶす)は、まず最初に面くらわせちまうことが必要なんだ、これが攻略のこつだよ。知らなかっただろう?そういう女はまず面くらわせといて、わたしみたいな賤しい女をこんな立派な旦那さまが見そめてくださったと、感激させ、射すくめて、恥じ入らせてしまわにゃいかんよ。いつの世にも召使と主人がありつづけるというのは、実にすばらしいことだ。それだから、いつでもこういう掃除女が見つかるんだし、そういう主人が現れるという仕組みさ、なにしろ人生の幸福に必要なのはこれだけなんだからな!まあ待て・・・よくきけよ、アリョーシカ、俺は死んだお前の母さんをいつも面くらわせてやったもんさ、ただ違うふうにだがね。俺はふだんは決して彼女にやさしくしてやらなかったんだが、潮時を見て、突然でれでれしはじめ、ひざまずいたり、足にキスしたりして、最後はいつだって-そう、まるでたった今のことみたいに思いだすな、最後はいつだってかわいらしい笑い声をあげさせたもんだった。小刻みな、大きくはないがよくひびく、神経質な、一種特別な笑い声をな。あれは彼女にしかない笑い声だったよ。彼女の病気がいつもそんなふうにして始まることを、俺は承知してたんだ。明日になれば、癲狂病みになって叫びだすってことも、今のこのかわいらしい笑いが何の喜びをあらわすものでもないってことも、知ってはいたんだが、しかし、たとえ偽りでも、喜びにはちがいないからな。あらゆるものの中にその特徴を見つける腕というのは、つまり、こういうことだよ!あるとき、ベリャフスキーが-そういうハンサムな金持がいたんだよ、彼女にモーションをかけて、しげしげと出入りしとったんだが、そいつが俺の家で、いきなり俺に頬びんたを食らわせやがった、それも彼女の目の前でさ。そしたら、あんなに羊のようにおとなしいとばかり思っていた彼女が、その頬びんたに怒って、俺を殴りそうなくらい凄い剣幕で食ってかかるじゃないか。『あなたは今ぶたれたのよ、ぶたれたんですよ、あの男に頬びんたを食ったのよ!あなたはあの男にあたしを売ろうとしたのね・・・よくもあたしの前であなたをぶったりできるもんだわ!今後、絶対にあたしのそばに近づかせないから!今すぐ追いかけて、決闘を申し込んでちょうだい・・・」と、叫ぶんだ。そこで俺は彼女を静めるために修道院へ連れていって、神父さんたちにお祓いをしてもらったよ。しかしな、誓ってもいいが、アリョーシャ、俺はお前の癲狂病みの母さんを一度も侮辱したことはなかったよ!いや、たった一度だけある、それも結婚したその年にな。そのころ、お前の母さんはとてもお祈り好きだったし、特に聖母の祭日は大切にして、そんな日は俺を書斎に追い払ったもんだ。そこで、よし、そういう神がかりを体内からたたきだしてやろう、と思ってな。『ほら、見ろ、お前の聖像だぞ、どうだ、俺はこいつをはずすからな。よく見てろよ、お前はこれを奇蹟の聖像と思いこんでるらしいが、俺が今お前の目の前でこいつに唾をひっかけてやる、それでも罰なんぞ当りゃせんから!』そのときの彼女の目つきときたら、いや、今にも俺を殺すんじゃないかと思ったくらいさ。だけど、彼女は跳ね起きて、両手を打ち合せたあと、いきなり両手で顔を覆って、全身ふるえはじめ、床に倒れるなり・・・そのまま気絶しちまったんだ・・・おい、アリョーシャ、アリョーシャ!どうした、どうしたんだ!」

「フョードル」は一種独特の女性観を披瀝しています。

それは、女性の容姿容貌にかかわりなく、女というだけで誰でもいいところが見い出すことができ、そのいいところを見い出すというのが、ひとつの才能であり能力なんだと言います。

このような女性観は一般的なものではありませんが、人間全般におよぶ真理が含まれているとも言えなくもありません。

「アリョーシャ」の母「ソフィヤ」と「ハンサムな金持」だという「ベリャフスキー」との関係は、「フョードル」の一筋縄では行かないような奥深い悪巧みを感じます。

また、信仰深い「ソフィヤ」の聖像を侮辱する行為などもあわせて考えると「フョードル」のサディステイックな歪んだ暗い内面性をあらわしており、これらのことを自分の子供に話すということも、異常だと思われます。


今までもそういうことがいろいろと散見されたのですが、おそらく「フョードル」には親子関係という概念が欠落しているのでしょう。


2017年4月6日木曜日

371

「兄さんに腹を立てないでください!兄さんにからむのはやめてください」と突然「アリョーシャ」が一途な口調で言いました。

「え、そうか、そうするか。ああ、頭が痛い。コニャックを片づけてくれよ、イワン、頼むのもこれでもう三度目だぞ」と「フョードル」は考えこみ、ふいににんまりとずるそうに笑いました。

「こんなもうろく爺に腹を立てるなよ、イワン。お前が俺をきらっているのはわかってるが、それでも腹を立てるのだけはやめてくれ。俺なんざ好かれる理由がないからな。チェルマーシニャへは行ってくれよな、俺もあとから行くからさ、お土産を持って。あそこで一人、かわいい子を拝ませてやるよ、ずっと前から目をつけていたんだ。今のところまだ、はだしの小娘だけどな。はだしの小娘だからといって、おじけをふるうことはないさ、軽蔑しちゃいかんよ、まさに絶品だぜ!」
こう言って、彼は自分の手にチュッとキスした。

「イワン」に話しかけながら「フョードル」が「考えこみ、ふいににんまりとずるそうに笑い」ったのは、この絶品という小娘のことを思い出したからでしょう。

そのような小娘にそういった感情を抱くのも危ない性格と言えるでしょうが、それを息子に話すというのも普通ではありません。

「俺にとっちゃな」と得意の話題に入ったとたん、一瞬しらふに返ったように、彼はにわかに元気づきました。

こんな場面で元気になってくれても、聞いている方は困りますね。


「フョードル」は良く言えば自分の欲望に忠実であり、なおかつ正直者なんでしょうが、悪く言えば病気と言われても仕方ありませんね。