「アリョーシャ」は子供たちの中で自分が目立とうとすることは一度もありませんでした。
そのため、だれのことをも決して恐れませんでした。
どういうことでしょう?
常に平常心でマイペース、そして怖いものなしということですね。
このころからすでに宗教者のようではありませんか。
おそらく現実には、このような子供は存在しないのではないかと思いますが、作者はここで最も理想的な人間を子供の中に創造しようとしています。
周りの子供たちはすぐに、彼が自分の大胆さについて自分で気づいていないのだとわかりました。
この部分を訳者は「一方、子供たちは、彼が決して自分の大胆さを得意がっているわけではなく、自分が大胆で不敵であることを理解していない様子をしているだけなのだと、すぐにさとった」と訳しています。
この訳だと、彼がわざと自分の大胆さを理解していないふりをしているように読めますが、今までの流れから言ってもそうではないと思います。
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