2017年10月2日月曜日

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「おい、待て、待てよ」「イワン」が笑いました。

「えらくまた、むきになったもんだな。幻想だと言うのなら、それでもいいさ! もちろん、幻想だよ。しかし、それならきくけれど、ここ何世紀かのカトリックの運動がすべて、本当に、薄汚れた幸福のためだけの権力欲にすぎないなんて、本気でお前は思っているのかい? パイーシイ神父がそう教えこんでるんじゃないのか?」

「いえ、そうじゃありません、反対にパイーシイ神父はいつだったか、何やらむしろ兄さんの考えに似たことをおっしゃってたくらいですから・・・・でも、もちろん、違いますよ、全然違うことです」

ふいに「アリョーシャ」ははっとして口をつぐみました。

「それにしても貴重な情報だよ。《全然違うことです》なんて但し書きがついてはいたけれどね。ところで、ぜひともお前にききたいんだが、なぜお前のそのイエズス会の人たちや異端審問官たちは、いやらしい物質的幸福だけのために結合したのかね? 偉大な悲哀に苦しみながら人類を愛しつづける受難者が、彼らの間に一人も生れえないのは、なぜだろう? いいかね、物質的な薄汚れた幸福だけを望むそうした連中の間に、たった一人でもいい、たとえ一人でもいいから、俺の老審問官のような人物が見つかったと、仮定してみろよ。つまり、彼は荒野でみずから草の根を食し、自分を自由な完全な人間にするために、肉欲を克服しようと必死にはげんできたのだが、それでも生涯を通じて人類を愛しつづけ、あるときふいに開眼して、意志の完成に到達するという精神的幸福などたいしたことはないと気づいたのだ。なぜなら、そのためには、ほかの数百万という神の子たちがもっぱら笑い物としてさらされるために取り残され、せっかくの自由を使いこなすことも絶対にできないし、この哀れな反逆者たちの中から塔を完成するための巨人など決して現れるはずもなく、かつて偉大な理想家が調和を夢見たのはこんな鵞鳥どものためにではなかったのだ、ということを一方で確認しなければならないからだ。これらのすべてをさとって、彼は引き返し・・・・聡明な人たちの仲間に加わったのだ。はたしてこういうことが起こりえなかっただろうか?」

「だれの仲間に加わったんですって。聡明な人たちって、だれのことですか?」

「アリョーシャ」はほとんど夢中になって叫びました。

「あの人たちにはそんな知恵は全然ないし、神秘や秘密なんて何にもありませんよ・・・・あるのは無神論だけなんだ、それが彼らの秘密ですよ。兄さんの審問官は神を信じていないんです、それが彼の秘密のすべてじゃありませんか!」

「たとえそうでもいいじゃないか! やっとお前も察したな。事実そのとおりさ、実際その一点だけにすべての秘密があるんだよ。だが、はたしてそれが、たとえ彼のように荒野での苦行に一生を台なしにしながら、なお人類への愛を断ち切れなかった男にとってだろうと、苦しみではないだろうか? 人生の終り近くなって彼は、あの偉大な恐ろしい悪魔の忠告だけが、非力な反逆者どもを、《嘲弄されるために作られた実験用の未完成な存在たち》を、いくらかでもまともな秩序に落ちつかせえたにちがいないと、はっきり確信するのだ。そして、こう確信がつくと、死と破壊の恐ろしい聡明な悪魔の指示に従ってすすまねばならぬことが、彼にはわかるし、またそのためには嘘と欺瞞を受け入れ、人々を今度はもはや意識的に死と破壊へ導かねばならない。しかもその際、これらの哀れな盲どもがせめて道中だけでも自己を幸福と見なしていられるようにするため、どこへ連れてゆくかをなんとか気づかせぬよう、途中ずっと彼らを欺きつづけねばならないのだ。そして心に留めておいてほしいが、この欺瞞もつまりは老審問官が一生その理想を熱烈に信じつづけてきたキリストのためになされるのだからな! これが不幸ではないだろうか? もし、《薄汚れた幸福だけのために権力を渇望する》全軍の先頭に、たとえ一人でもこういう人物がいたら、たとえそれが一人であっても悲劇を生むには十分じゃないだろうか? そればかりではない。軍隊やイエズス会などを全部含めたローマの全事業の真に指導的な理念、この事業の最高の理念が生れるためには、こういう人物がひとり先頭に立っているだけで十分なんだ。率直に言って俺は、運動の先頭に立つ人々の間にこういうかけがいのない人物は決して尽きることがないと、固く信じているんだよ。もしかすると、ローマ教皇たちの中にもこうした唯一絶対の人物がいたのかもしれないな。この呪われた老人は、現在でも、大勢のこうしたかけがえのない老人たちの完全な一集団という形で存在しているかもしれんよ。それもまったく偶然にではなく、不幸な無力な人々を幸福にしてやるという目的で、その人々から秘密を守るために、すでにずっと以前から作られた秘密結社として、一宗派として存在しているかもしれない。それはきっと存在してるはずだし、また当然そうあるべきなんだ。フリーメイソン(訳注 十八世紀にイギリスに生れ、各国に普及した宗教秘密結社。自己認識と自己犠牲とで正義の王国を築くことを説く)にさえ、その根底にはこの秘密に似た何かがあるような気がするし、カトリックがあれほどフリーメイソンを憎むのも、羊の群れは本来一つであり、羊飼いも一人であるべきはずにもかかわらず、彼らの内にライバルや、理念統一に対する分派策動を見いだすからだという気がするね・・・・もっとも、自分の思想をこうやって擁護していると、まさにお前の批評を腹に据えかねた作者よろしくの図だな。この話はもうこれくらいでいいだろう?」

この二人の会話の中で、わかることは「イワン」の意識は神から離れ去りつつあるということです。

もしくは、すでに離れているのかもしれませんが、これまでの「イワン」の言動を考えると完全に無神論者になっているとは言い切れません。

いや、彼がある強い意志をもって悪魔の側についているのなら、神を信じるふりをしているのかもしれませんが。

そして「フリーメイソン」を持ち出してきて、かなり肯定的な話ぶりをしていることに驚きます。

「フリーメイソン」とはネットで調べると、「16世紀後半から17世紀初頭に、判然としない起源から起きた友愛結社。現在多様な形で全世界に存在し、その会員数は600万人を超え、うち15万人はスコットランド・グランドロッジならびにアイルランド・グランドロッジの管区下に、25万人は英連邦グランドロッジに、200万人は米国のグランドロッジに所属している。」と説明されいろいろと詳しく書かれていますが、よくわかりません。

一読して興味深いところがたくさんありましたので適当に抜き書きします。

「フリーメイソンリーの入会儀式は秘密とされたが、そのために、かえってさまざまな好奇心をかきたてた。トルストイの『戦争と平和』では1810年代のロシアのフリーメイソンの会合が描写されている。またモーツァルトの『魔笛』にフリーメイソンリーの入会儀式の影響を指摘する意見もある。」

「カトリックとの対立関係は長く、1738年に時のローマ教皇クレメンス12世がフリーメイソンの破門を教書で宣告した」

「元フリーメイソンであった創始者による新宗教も多く、モルモン教の創始者ジョセフ・スミスならびに二代目大管長ブリガム・ヤング(加入はブリガム・ヤングが先)、エホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会)の創始者チャールズ・テイズ・ラッセル、クリスチャン・サイエンスの創始者メリー・ベーカー・エディらがいる。」

「日本グランドロッジのグランドセクレタリーであり2002年にグランドマスターを務めたフィリップ・A・アンブローズによるとボーイスカウトやロータリークラブ、ライオンズクラブなどはフリーメイソンリーからの派生であるという。高須克弥が名誉会員に名を連ねる「と学会」の運営委員でフリーメイソンに関する書籍を著している皆神龍太郎(『トンデモフリーメイソン伝説の真相』『検証 陰謀論はどこまで真実か』等)によると、「フリーメイソンは何をしているのか」という問いはロータリークラブやライオンズクラブが何をしているのかという問いと同様であり、ボーイスカウトを思い浮かべてもよく、ボランティア活動も一生懸命で、フリーメイソンはロッジ内で商売や政治の話はできないので陰謀を巡らせるような組織でもないそうである」


他にもいろいろありますがキリがないので割愛します。


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