収入が少ないとはいえ、週にたった一時間のことではないか。
わずか一時間にすぎないのだ。
そうすれば、民衆がいかに情誼に厚く、恩義を知り、百倍もの恩返しをするかが、おのずからわかるだろう。
情誼(じょうぎ)とは、人とつきあう上での人情や誠意のことです。
民衆は司祭の熱意と感動的な言葉とを心に刻みつけ、すすんで畑仕事も手伝うだろうし、家の仕事にも力を貸し、以前よりいっそう深い尊敬を払うことだろう。
そうすればもはや、収入も増えるというものだ。
なにぶんあまりにも純朴な仕事なので、時には笑われはせぬかと、口にだすことさえはばかられるほどだが、それでもこれはきわめて忠実な仕事である!
神を信じぬ者は、神の民衆をも信じないだろう。
いったん神の民衆を信じた者は、民衆の聖物が、たとえそれまで自分の信じていなかったものであろうと、目に見えるようになる。
民衆とその未来の精神力だけが、母なる大地から切り離されたわが国の無神論者たちを改宗させうるのだ。
それに、実例をともなわぬキリストの言葉があるだろうか?
神の言葉を持たぬ民衆には破滅があるのみだ。
なぜなら、民衆の魂は神の言葉と、すばらしい会得とを渇望しているからである。
もうかれこれ四十年も昔になるが、若いころ、わたしはアンフィーム神父といっしょに、修道院のための寄付を集めながら、ロシア全土をまわったことがある。
あるとき、船の通る大きな河の岸で、漁師たちと野宿することになったが、わたしたちといっしょに一人の上品な青年が腰をおろした。
見たことろ、もう十八、九の百姓で、翌日、商人の船を曳くために目的地へ急いでいるところだった。
見ると、青年は感動したような澄んだ眼差しで前方を見つめている。
明るく静かな、暖かい七月の夜ふけで、河は広く、水蒸気が立ちのぼって、われわれに生気を与え、魚のたてる水音がかすかにきこえるだけで、小鳥も鳴りをひそめ、すべてが静かで壮麗で、物みなすべてが神に祈りを捧げている。
眠っていないのは、わたしとその青年の二人だけなので、わたしたちはこの神の世界の美しさや、その偉大な神秘について語り合った。
どんな草でも、どんな甲虫や蟻や金色の蜜蜂でもみな、知性を持たないのに、おどろくほど自己の道を知っており、神の神秘を証明して、みずから絶え間なくそれを実行しているではないか–そんな話をしているうちに、愛すべき青年の心が燃えあがってきたのがわかった。
青年は、森や森の小鳥が大好きだと、わたしに告げた。
青年は小鳥を取るのが商売で、小鳥の鳴き声を一つ一つききわけ、どんな小鳥でも呼び寄せることができるのだった。
森もほどすてきなところはほかに知りません、何もかもがすばらしいものばかりで、と青年は言った。
「本当にね」
わたしは答えた。
「何もかもすばらしく、美しいからね。それというのも、すべてが真実だからだよ。馬を見てごらん、人間のわきに寄り添っているあの大きな動物を。でなければ、考え深げに首をたれて、人間に食を与え、人間のために働いてくれる牛を見てごらん。牛や馬の顔を見てごらん。なんという柔和な表情だろう、自分たちをしばしば無慈悲に鞭打つ人間に対して、なんてなついていることだろう。あの顔にあらわれているおとなしさや信頼や美しさはどうだね。あれたちには何の罪もないのだ、と知るだけで心を打たれるではないか。なぜなら、すべてみな完全なのだし、人間以外のあらゆるものが罪汚れを知らぬからだよ。だから、キリストは人間より先に、あれたちといっしょにおられたのだ」
「ほんとうに、あれたちにもキリストがついておられるのですか?」と青年がたずねた。
「そうにきまっているではなかか」
わたしは言った。
「キリストの言葉はあらゆるもののためにあるのだ。神の創ったすべてのもの、あらゆる生き物、木の葉の一枚一枚が、神の言葉を志向し、神をほめたたえ、キリストのために泣いている。自分では気づかぬけれど、けがれない生活の秘密によってそれを行なっているのだ。森の中にはこわい熊がうろついておるだろう。熊は獰猛な恐ろしい獣だが、べつにそれは熊の罪ではないのだよ」
そしてわたしは、森の中の小さな庵で修行していた偉大な聖者のところへあるとき熊がやってきた話を、青年にしてやった。
偉大な聖者が熊を憐れみ、恐れげもなく出て行って、パンを一片与え、「さ、お行き、キリストがついていてくださるからの」と言ったところ、獰猛な熊が危害も加えず、素直におとなしく立ち去ったという。
青年は、熊が危害を加えずに立ち去ったことや、熊にもキリストがついていてくださるということに、すっかり感動した。
「ああ、なんてすばらしいのでしょう、神さまのものは何もかも実に美しくすばらしいですね!」
青年はじっと坐ったまま、うっとりと静かな物思いにふけった。
わたしの話を理解してくれたようだ。
やがてわたしのわきで、安らかな清い眠りに沈んだ。
主よ、この若さに祝福を!
そこでわたしも眠りに沈みながら、青年のために祈ったものだった。
主よ、汝のしもべたちに平和と光を授けたまえ!
死を前にして「ゾシマ長老」の頭にはいろいろな過去の思い出が浮かんできているのでしょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿