彼女は嗚咽にみちた声で言い終えました。
窓がばたんと閉められました。
「ふむ、ふむ!」
笑いながら、「ラキーチン」がうそぶきました。
「兄貴のミーチャにとどめの一太刀か。おまけに一生おぼえていろと命じたりしてさ。残酷なもんだ!」
「一生おぼえていろ」と言うのははたして残酷なことでしょうか。
「アリョーシャ」はその言葉もきこえぬかのように、何一つ答えませんでした。
彼は「ラキーチン」とならんで、、ひどく急いででもいるみたいに、足早に歩いていました。
まるでわれを忘れたような、機械的な歩き方でした。
突然、さながら真新しい傷に指でさわられたみたいに、何かが「ラキーチン」の心を刺しました。
さっき、「グルーシェニカ」を「アリョーシャ」に近づけようとしたときに期待していたのは、全然ほかのことでした。
ところが、彼が大いに望んでいたのとは違う、まるきり別の事態が生じたのでした。
「ポーランド人なんだ、彼女の言う将校ってのは」
自分を抑えながら、彼はまた話しはじめました。
「それも今じゃまるきり将校じゃなく、シベリヤのどこか、中国との国境の税関で役人をしていたというから、きっと貧弱なポーランド野郎にちがいないよ。職をなくしたって話だぜ。今ごろ、グルーシェニカが小金をためたのをききつけて、舞い戻ってきやがったんだ、これが奇蹟のすべてってわけさ」
「グルーシェニカ」は「ドミートリイ」には内緒にしていても「ラキーチン」には事細かに喋っているのですね。
「アリョーシャ」はまたしてもきこえぬかのようでした。
「ラキーチン」はこらえきれなくなりました。
「なんだい、君は罪深い女を更生させたとでも思ってるのか?」
彼は意地わるく「アリョーシャ」をせせら笑いました。
「迷える女を真理の道に向けてやったというわけか? 七匹の悪魔を追いだして、えっ? われわれの期待していた奇蹟が、やっとここで実現したってわけだ!」
「七匹の悪魔」の出典は何でしょうか、わかりませんでした。
「やめてくれよ、ラキーチン」
魂の苦悩をこめて「アリョーシャ」が答えました。
「君は今、例の二十五ルーブルのことで俺を《軽蔑》しているんだろ? 真の友人を売ったと言いたいんだな。しかし、君はキリストじゃないし、俺もユダじゃないよ・・・・」
これは、「マタイによる福音書」の第26章などにもあるキリストの居場所を銀貨三十枚で教えたユダのことですね。
つまり「時に、十二弟子のひとりイスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところに行って言った、『彼をあなたがたに引き渡せば、いくらくださいますか』。すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。」の部分です。
「ああ、ラキーチン、そんなこと僕は忘れてたよ、本当にさ」
「アリョーシャ」は叫びました。
だが、「ラキーチン」はもはや完全に怒っていました。
「君らなんぞ、一人残らずみんな消え失せるといいんだ!」
突然、彼はわめきました。
「畜生、どうして君なんぞにかかり合ったんだろう! 今後、君のことなんぞ知りたくもないよ。一人で行きな、そっちが君の道だ!」
そして彼は、「アリョーシャ」を闇の中に一人残して、くるりと別の通りに曲りました。
「アリョーシャ」は町を出て、野原をぬけて修道院に向いました。
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