「冗談じゃない、無罪にしないなんて話がありますか?」
別のグループではこの町の若い官吏の一人が、こう叫びました。
「きっと無罪ですよ」
断定的な声がきこえました。
「無罪にしなけりゃ、恥ですからね、恥さらしですよ!」
官吏が叫びました。
「たとえ彼が殺したにせよ、親父も親父ですからね! それに、結局、半狂乱だったわけだし・・・・本当に杵を一振りしただけで、親父が倒れたのかもしれませんよ。ただ、召使を巻添えにしたのはまずいですね。あれはこっけいなエピソードでしかないから。僕が弁護士だったら、はっきりこう言いますね。殺したけど、罪はない、畜生めって」
「彼だってそう言ったじゃありませんか、畜生めと言わないだけで」
「いや、ミハイル・セミョーヌイチ、言ったも同然だよ」
第三の声が相槌を打ちました。
「考えてもごらんなさいよ、みなさん、この町じゃ恋人の細君の咽喉を斬った女優が、大斎期に無罪になりましたからね」
「あれはでも殺さなかったでしょう」
「同じですよ、同じことじゃありませんか、殺そうとしたんですから!」
「あの子供の話はどうです? すてきでしたね!」
「すてきでしたな」
「じゃ、神秘主義の話は? 神秘主義の話はどうです?」
「神秘主義なんぞ、もうたくさんですよ」
さらに別のだれかが叫びました。
「イッポリートの気持を考えておやんなさいよ、今日以後の彼の運命を! だって明日になりゃ、検事夫人がかわいいミーチェニカの恨みとばかり、彼の目の玉をほじくりだすでしょうからね」
「ここに来てるんですか?」
「どんでもない! 来てりゃ、ここでほじくりだしてますよ。お留守番です、歯が痛むんですとさ、へ、へ、へ!」
「へ、へ、へ!」
(1074)で「しかし、たとえ「イッポリート」の妻である検事夫人を筆頭に、全世界の女性が不平を鳴らしたとしても、この瞬間の彼を押しとどめることはできなかったでありましょう。」と書かれていましたが、この場所には来ていないのですね。
第三のグループでは、「しかし、ミーチェニカのやつ、たぶん無罪だろうな」
「おそらくね、明日は《都》が吹きとぶ騒ぎになって、まず十日は飲みつづけるだろうね」
「えい畜生め!」
「畜生は畜生だけど、あの畜生がいなけりゃすまなかったんですからね。奴さんだって、あそこ以外に行き場所がないんだし」
ここで「・・・・あの畜生がいなけりゃすまなかったんですからね」の意味がわかりませんでした。
「ねえ、みなさん、たとえ雄弁であるとしてもですね、世の父親にしても、竿ばかり片手に頭を悩ますわけにはいきませんからね。でなかったら、末はどうなります?」
ここでは、「・・・・世の父親にしても、竿ばかり片手に頭を悩ますわけにはいきませんからね」の意味がわかりませんでした。
「戦車ですよ、戦車、おぼえてるでしょう?」
「そう、荷馬車を戦車に仕立てあげましたね」
「明日になりゃ、戦車を荷馬車に仕立てることでしょうよ、『必要に応じてね。すべて必要に応じて』なんだから」
「必要に応じて」というのは(1075)の福音書の引用についてのことですね。
「抜け目のない連中がふえてきましたね。いったいロシアに真実はあるんでしょうか、それとも全然ないんですかね?」
しかし、ここで鈴が鳴りました。
陪審員の協議はきっかり一時間でした。
傍聴人がふたたび席についたとたん、深い沈黙が君臨しました。
陪審員たちが入廷してきたときの様子を、わたしはおぼえています。
ついに、だった!
質問事項をいちいち引用することはしないし、それに忘れてしまいました。
おぼえているのは、「強奪の目的で計画的に殺害したのであるか?」という(正確な文章はおぼえていないが)、裁判長の最初の、いちばん重要な質問に対する答えだけです。
みなが固唾をのんでいました。
陪審員長である、例のいちばん若い官吏が、廷内の死のような静寂の中で、大声ではっきりと言いきりました。
「はい、有罪であります!」
そのあとのすべての項目に対して、有罪です、はい、有罪であります、という同じ返事がくりかえされ、しかもいささかの情状酌量もなかった!
これはだれ一人予想もしていなかったことで、少なくとも情状酌量だけは、ほとんどすべての人が確信していました。
廷内の死のような静寂は破られることなく、有罪を望んでいた者も、無罪を望んでいた者も、文字どおりだれもが石と化したかのようでした。
しかし、それも最初の瞬間だけでした。
やがて恐ろしい混乱が持ちあがりました。
男子の傍聴人の中には、たいそう満足そうな者が大勢いることがわかりました。
喜びを隠そうとせず、揉み手をしている者さえありました。
不満な男たちは打ちのめされたように、肩をすくめ、耳打ちし合っていましたが、いまだに合点のいかぬ様子でした。
しかし、婦人たちのほうはたいへんだった!
暴動でも起すにちがいないと、わたしは思ったくらいです。
最初、婦人たちは自分の耳が信じられぬかのようでした。
そして突然、法廷じゅうにひびくほどの叫びがきこえました。
「いったいなんてことでしょう? 何事ですか、これは?」
婦人たちは席を蹴って立ちました。
きっと、すぐにまた評決を変更し、やり直せるような気がしたのにちがいありません。
この瞬間、突然「ミーチャ」が立ちあがり、何か胸の張り裂けるような泣き声で、両手を前にさしのべながら叫びました。
「神とその恐ろしい裁きにかけて誓います、父の血の関しては僕は無実だ! カーチャ、君を赦すよ! 兄弟よ、友よ、もう一人の女性に慈悲をかけてやってください!」
この場面でのこの「ドミートリイ」の発言はすばらしいですね、短くとも要領を得ていると思います。
彼はしまいまで言えず、法廷じゅうにひびく声でわった泣きだしました。
どこからふいに現れたのかわからぬほど、別人のような、新しい、まったく思いがけない声でした。
傍聴席の上方の、いちばんうしろの隅から、胸を抉るような女性の嗚咽がきこえました。
「グルーシェニカ」でした。
ここでの「グルーシェニカ」の行動も彼女らしくて感動的ですね。
彼女はさっきだれかに頼みこんで、まだ弁論のはじまらぬうちに、また法廷に入れてもらっていたのであります。
「ミーチャ」は法廷から連れだされました。
判決の発表は明日に延ばされました。
法廷全体が大混乱におちいりましたが、わたしはもはや待っておらず、ききもしませんでした。
ただ、すでに出口の表階段の上で耳にした、二、三の叫び声だけは記憶に残っています。
「これで二十年は鉱山の匂いを嗅ぐことになるな(訳注 尊属殺人は刑法では無期懲役だが、ドミートリイのモデルになったイリインスキイは懲役二十年だった)」
この「イリインスキイ(イリインスキー)」のことは『地下室の手記』にも出てきますが、ネットでいろいろと書かれているのを読むと非常に興味深いことですので、そのうちゆっくりと調べてみたいと思います。
「少なくともね」
「そう、百姓どもが意地を張ったんだよ」
「そしてドミートリイを滅ぼしたのさ!」
これで、この小説は最終場面をむかえ一旦区切られます、あとに「エピローグ」が展開されます。
今まで何回か読んできたのですが、この最後の誰かと誰かの会話「そう、百姓どもが意地を張ったんだよ」「そしてドミートリイを滅ぼしたのさ!」が今回ほど印象に残ったことはありません、うかつでした、これほどまで重い言葉はありません。
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