2019年3月17日日曜日

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「今日あなたをおよびしたのも、ご自分であの人を説得してみせると約束していただくためにですのよ。それとも、あなたのお考えでは、脱走なんてやはり不正な、ほめられないことでしょうかしら、それとも何というか・・・・キリスト教的ではないことでしょうか?」

「カテリーナ」は極端に言えば「ドミートリイ」を有罪にした張本人であるにもかかわらず、脱走を進めるという矛盾した行動をとっています、彼女の内部はいったいどうなっているのでしょうか、このままでは精神的に破綻してしまうのではないでしょうか。

いっそう挑戦的に「カーチャ」は言い添えました。

「いいえ、べつに。僕はすべて兄に話してみます・・・・」

「アリョーシャ」はつぶやきました。

「兄が今日あなたに来ていただきたいと言っているのですが」

突然、しっかり彼女の目を見つめながら、彼は口走りました。

彼女はびくりと全身をふるわせ、ソファの上でわずかに身をひきました。

「あたくしに・・・・そんなこと、できるはずがないじゃありませんか?」

蒼白になって、彼女は舌足らずに言いました。

「できますとも、そうなさるべきです!」

すっかり元気づいて、「アリョーシャ」は粘り強く言いはじめました。

「兄には、まさに今、あなたがぜひ必要なんです。もし必要がなかったら、僕はこんな話を持ちださなかったでしょうし、前もってあなたを苦しめるような真似はしなかったでしょう。兄は病気なんです。気が違ったみたいになって、始終あなたを連れてきてくれと頼んでいるのです。べつに仲直りするために頼んでいるわけじゃなく、ただあなたがいらして、敷居の上に姿を見せてくださりさえすればいいんです。あの日以来、兄はずいぶん変りました。あなたに対して数えきれぬくらい罪を犯したことを、兄はわかっているのです。赦していただこうと思っているのではありません。『俺を赦すことなんか、できないよ』自分でもそう言っています、ただあなたが敷居のところに姿を見せてくださるだけでいいんです・・・・」

「そんな、だしぬけに・・・・」

「カーチャ」が舌足らずに言いました。

「この何日かずっと、あなたがいつかそう言って見えるだろうと、予感してはいましたけれど・・・・あの人がよぶだろうってことは、ちゃんとわかっていました!・・・・むりですわ、そんな!」

「むりでも、なさってください。兄がはじめて、どんなにあなたを侮辱したかに気づいて、ショックを受けていることを、思い起してください。生れてはじめてなんです、今まで一度としてこれほど完全に理解したことはなかったんですから! 兄は言っています。もしあなたが来るのを断ったら、『今後一生、俺は不幸になるんだ』って。いいですか、懲役二十年の流刑囚がまだ幸福になるつもりでいるんですよ、これが哀れじゃありませんか? 考えてもみてください。あなたが訪問なさるのは、無実の罪で滅びた人間じゃありませんか」

ここでは「アリョーシャ」は「脱走」のことを棚上げして話していますね、それとも「脱走」は「脱走」で別の次元のことであり、やるべきことにひとつひとつ切りをつけようとしているのかもしれません。

挑むような言葉が「アリョーシャ」の口をついて出ました。

「兄の手は汚れていません、血に染まってはいないんです! 兄のこれからの数限りない苦悩のために、今こそ見舞ってやってください! 行って、闇の中に兄を送りだしてやってください・・・・戸口に立つだけでいいんです・・・・あなたはそうすべきなんです、そうする義務がある(五字の上に傍点)んです!」

「アリョーシャ」は信じられぬほどの力で《義務がある》という言葉を強調して、結びました。

「行くべきでしょうけれど・・・・でも、できませんわ」

「カーチャ」が呻くように言いました。

「あの人はじっと見つめるでしょうし・・・・あたくし、行けませんわ」

「二人の目が合わなければいけないんです。もし今決心なさらなかったら、これからの一生をどう生きていらっしゃるおつもりですか?」

まさしく、このあたりは、作者が「アリョーシャ」に乗り移って喋っているように思います。

「一生苦しみぬくほうがましですわ」

「いらっしゃらなければいけません、いらっしゃる義務がある(五字の上に傍点)はずです」

ふたたび「アリョーシャ」が容赦なく強調しました。

「でも、なぜ今日、なぜ今すぐにですの? 病人を置いて行くわけには・・・・」

「ちょっとの間くらい大丈夫です。ほんのちょっとの間じゃありませんか。あなたがいらしてくださらなければ、兄は今夜までに高熱を出すでしょう。僕は嘘は言いません、同情してやってください!」

「あたくしのほうこそ同情していただきたいわ」

「カテリーナ」は悲痛に責めて、泣きだしました。

「じゃ、つまり、来てくださるんですね!」

彼女の涙を見て、「アリョーシャ」が断固として言い放ちました。

「あなたがすぐ来てくださると、兄に言いに行ってきます!」

「だめ、絶対におっしゃらないで!」

「カテリーナ」がぎょっとして叫びました。

「あたくし伺います、ですけど前もっておっしゃたちなさらないで。だって、伺いますけど、ことによると、中へ入らないかもしれませんし・・・・まだわかりませんもの・・・・」

彼女の声がとぎれました。

呼吸が苦しそうでした。

「アリョーシャ」は帰るために席を立ちました。

「もし、だれかと出会ったりしたら?」

ふたたび蒼白になって、彼女がふいに低い声で口走りました。

「向うでだれにも会わぬようにするためにも、今すぐでなければいけないんです。今ならだれも来ません、これは確かに言えることです。じゃ、お待ちしてますから」

彼はだめを押すように言って、部屋を出ました。

「アリョーシャ」が人に対してこれほど強引な発言をするのには驚きました、人格が変わったように思えます、今までは正しいことを口にしてもそれが拒絶されたら一歩引いて、別の方法で対処するような人間だったような印象がありましたが、今回の駄々っ子のような強引さはそれだけの理由があるからなんでしょうが。


このような押し問答をしつこいくらい書いていることも驚きますが、最後の最後になってまで、このような内容で押し進めようとする作家の気力に敬服します。


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