2019年3月22日金曜日

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「カーチャ」

突然「ミーチャ」が叫びました。

「君は僕が殺したと信じているの? 今は信じていないことはわかるけど、あのときは・・・・証言をしたときには・・・・ほんとに信じていたのかい?」

「あのときだって信じていなかったわ? 一度も信じたことなんかなくってよ! あなたが憎くなって、ふいに自分にそう信じこませたの、あの一瞬だけ・・・・証言していたときには、むりにそう思いこんで、信じていたけれど・・・・証言を終ったら、とたんにまた信じられくなったわ。それだけは知っておいて。あたし忘れていたわ、自分を罰するために来たのに!」

私は、彼女の本心が全くわかりません、一瞬の嘘の証言をしたなら、証言が終ってから本当のことを申し出るべきだと思います。

つい今しがたまでの愛のささやきとはおよそ似通ったところのない、なにやら突然まるきり新しい表情になって、彼女は言いました。

「君もつらいよな、女だもの!」

だしぬけに、なにかまったく抑えきれぬように、「ミーチャ」の口からこんな言葉がほとばしりでました。

「もう帰らせて」

彼女はささやきました。

「また来るわね、今はつらいの!」

彼女は席を立とうとしかけましたが、突然、甲高い悲鳴をあげて、あとずさりました。

ごく静かにではありましたが、ふいに部屋に「グルーシェニカ」が入ってきたのです。

だれも予期せぬことでした。

「カーチャ」はすばやく戸口に向いましたが、「グルーシェニカ」とすれ違うときになって、ふいに立ちどまり、白墨のように顔を青ざめさせて、ほとんどささやきにひとしい小声で呻くように言いました。

「あたくしを赦して!」

相手はひたと彼女を見つめ、一瞬待ってから、憎悪のこもった毒のある声で答えました。

「憎み合っている仲じゃないの! どっちも憎しみに燃えてるのよ! あんたも、あたしも、赦す余裕なんかあって? 彼を救ってくれたら、一生あんたのことを神さまに祈ってあげるわ」

「赦そうとは思わないのか!」

はげしい非難をこめて、「ミーチャ」が「グルーシェニカ」をどなりつけました。

「安心なさい、あなたのために救ってあげるから!」

「カーチャ」は早口にささやくと、部屋を走りでました。

「よく赦さずにいられたもんだな、あの人のほうから『赦して』と言ったのに!」

「ミーチャ」がまた大声で叫びました。

「兄さん、その人を責めちゃいけない、そんな権利はないはずです!」

「アリョーシャ」がむきになって兄に叫びました。

「傲慢な女が口先で言っただけじゃないの、心が言った言葉じゃないわ」

なにか汚らわしげに「グルーシェニカ」が言いすてました。

「あなたを救いだしたら、何もかも赦してやるわ・・・・」

彼女は胸の内で何かを押し殺したかのように、口をつぐみました。

彼女はまだ自分に返ることができませんでした。

あとでわかったのですが、彼女はこんな事態に出くわそうとはまったく予期せず、何一つ疑ってもみずに、偶然、入ってきたのです。

「アリョーシャ、あの人を追いかけてくれ!」

「ミーチャ」が大急ぎで弟をふりかえりました。

「あの人に言ってくれ・・・・どう言えばいいかな・・・・とにかく、このまま帰らせちゃいけない!」

「晩までにまた来ます!」

「アリョーシャ」は叫んで、「カーチャ」を追いました。

追いついたのは、もう病院の塀を出てからでした。

彼女は足早に歩き、急いでいましたが、「アリョーシャ」が追いついたとたん、早口に言いました。

「いいえ、あの女の前で自分を罰するなんて、あたくしにはできないわ!『あたくしを赦して』と言ったのは、とことんまで自分を罰したかったからなのよ。でも、赦してくれなかった・・・・あの女のああいうところが好きなの!」

ゆがんだ声で「カーチャ」は言い添えました。

その目がはげしい憎悪にきらりと光りました。

「兄はまったく予期していなかったんです」

「アリョーシャ」がつぶやきかけました。

「てっきり来ないものと思っていたので・・・・」

「そうでしょうとも。その話はやめましょう」

彼女はぴしりと言いました。


「ねえ、あたくし今はごいっしょにお葬式へ行くことはできませんわ。ご霊前にお花を届けておきました。お金はたぶんまだあるはずですわ。もし必要になったら、今後も決してあの人たちを見すてはしないとお伝えになって・・・・じゃ、ここでお別れしましょう。どうか、あたくしを一人にしてください。あなただって遅れたでしょうに。もう午後の礼拝の鐘が鳴っていますもの・・・・あたくしを一人にしてください、どうか!」


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