「じゃ、まるで向うの人のほうがあたしたちより立派みたいね? あたしだったら、イギリスの青年が三人たばになってきたって、ロシアのスマートな殿方を見変えたりしないけど」
一八一二年のナポレオン一世のロシア侵攻には、イギリス兵はいないと思うのですが、「マリヤ」はどうしてフランス兵と言わなかったのでしょうか。
「マリヤ」がやさしく言いました。
おそらくその瞬間、悩ましげな目をしてみせたにちがいありません。
(351)で「スメルジャコフ」は「女性を、男性と同様、軽蔑しているらしく、女性に対してはきちんとした、ほとんど近寄りがたいほどの態度」だということでしたので、ここまで女性と近づきになれたのは不思議なことですね。
「そりゃ、その人の好みにもよりますけどね」
「でも、そういうあなた自身もまるで外国人みたい。すごく上品な外国人みたいよ。こんなこと言うの、とても恥ずかしいんだけど」
「知りたけりゃお教えしますけどね、ふしだらな点では向うのやつもロシア人も似たようなもんですよ。どいつもこいつも悪党ばかりでさ。ただ、向うの人はエナメルの革長靴か何かをはいてるのに、ロシアの極道者は乞食同然なためにいやなにおいをさせて、それをいっこう悪いとも思っていないということだけでね。ロシアの百姓なんか、昨日フョードル・パーヴロウィチがまさしくおっしゃったとおり、鞭でたたきのめしてやる必要があるんでさあ、もっともそいういうご当人も、息子さんたちも、みんな気違いですけどね」
この「ロシアの百姓なんか、昨日フョードル・パーヴロウィチがまさしくおっしゃったとおり、鞭でたたきのめしてやる必要があるんでさあ」という「スメルジャコフ」の発言が何をさしているのかがわかりませんでした。
モークロエ村で娘を鞭打ちした後、嫁にするという風習のことでしょうか。
しかしこの話なら(363)で「お前らはもう退っとれ」「向うへ行け、スメルジャコフ」と酔っ払った「フョードル」の「命令ですぐに召使たちが退散すると」となっていますので、その場には「スメルジャコフ」はいなかったはずです。
「あなたはイワン・フョードロウィチをとても尊敬してるって、こ自分で言ってらしたじゃないの」
「でもあの人はわたしのことを、いやなにおいをたてる下男だなんて言ったんですからね。あの人は、わたしが謀叛を起こしかねないと思ってるんでさあ。とんだ誤解ですよ。わたしはまとまった金さえ懐ろにしてりゃ、とうの昔のこんなところにいませんよ。ドミートリイ・フョードロウィチなんぞ、品行だって、頭の程度だって、素寒貧ぶりだって、どんな下男にも劣るほどだし、何一つできやしないのに、それでもみんなから敬われていますものね。そりゃわたしは一介の田舎コックでしかないけれど、運さえ向けばモスクワのペトロフカ通りでカフェ・レストランくらい開いてみせまさあ。だって、わたしの料理は別格ですからね、外国人を除けばモスクワだって、ただの一人もあんな特別な料理を出せる人間はいやしませんよ。ところが、ドミートリイ・フョードロウィチは文なしのおけら(三字の上に傍点)のくせに、あの人が決闘を申し込めば、いちばん立派な伯爵家の御曹司でも応ずるんですからね、いったいあの人のどこがわたしより偉いっていうんです? あの人がわたしなんぞとは比較にならぬくらい、ずっとばかだからですよ。何の役にも立たぬことに、すごい大金を湯水のように使ったりして」
正しさからいえば「スメルジャコフ」の発言はもっともです。
「決闘ってすてきだと思うわ」
だしぬけに「マリヤ」が言いました。
「どうして、またそんな?」
「とっても恐ろしいし、勇敢じゃないの。特にだれか女の人をめぐって、若い将校がピストルを手に射ち合うなんてカッコいいわ。まさに一幅の絵ですもの。ああ、もし若い娘にも見物させてくれるんだったら、あたし、ぜひ見たいもんだわ」
「自分がねらうときはいいけど、自分に銃口が向けられてごらんなさい、それこそなんとも愚劣な気持がするでしょうよ。あなたなんか、その場から逃げだしまさあね、マリヤ・コンドラーチエヴナ」
「じゃ、あなたも逃げだすかしら?」
しかし、「スメルジャコフ」は返事はしませんでした。
一瞬の沈黙ののちに、ふたたびギターの和音がひびき、裏声が最後の小節をうたいだしました。
いかなる努力をしようとも
この地を遠く去り行かん。
浮世の味を楽しみて、
都に住まん、このわれは!
嘆き悲しみなどすまい、
嘆き悲しみなどすまい、
嘆かん心さらになし!

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