2017年9月3日日曜日

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「イワン」の発言の続きからです。

「・・・・その報復もそのうちどこか無限のかなたでなどじゃなく、この地上で起ってもらいたいね。俺がこの目で見られるようにな。俺はそれを信じてきたし、この目で見たいのだ。もしその時までに俺が死んでしまうようなら、よみがえらせてほしい。だって、俺のいないところですべてが起るとしたら、あまりにも腹立たしいものな。俺が苦しんできたのは決して、自分自身や、自己の悪行が苦しみを、だれかの未来の調和にとっての肥料にするためにじゃないんだ。俺は、やがて鹿がライオンのわきに寝そべるようになる日や、斬り殺された人間が起き上がって、自分を殺したやつと抱擁するところを、この目で見たいんだよ。何のためにすべてがこんなふうになっていたかを、突然みんながさとるとき、俺はその場に居合わせたい。地上のあらゆる宗教はこの願望の上に創造されているんだし、俺もそれを信じている。しかし、それにしても子供たちはどうなるんだ。そのときになって俺はあの子供たちをどうしてやればいいんだ? これは俺には解決できない問題だよ。百遍だって俺はくりかえして言うけれど、問題はたくさんあるのに、子供だけを例にとったのは、俺の言わねばならぬことが、そこに反駁できぬほど明白に示されているからなんだ。そうじゃないか、たとえ苦しみによって永遠の調和を買うために、すべての人が苦しまなければならぬとしても、その場合、子供にいったい何の関係があるんだい、ぜひ教えてもらいたいね。何のために子供たちまで苦しまなけりゃならないのか、何のために子供たちが苦しみによって調和を買う必要があるのか、まるきりわからんよ。いったい何のために、子供たちまで材料にされて、だれかの未来の調和のためにわが身を肥料にしたんだろう? 人間同士の罪の連帯性ってことは、俺にもわかるし、報復の連帯性もわかる。しかし、罪の連帯性なんぞ、子供にあるものか。もし、子供も父親のあらゆる悪行に対して父親と連帯責任があるというのが、本当に真実だとしたら、もちろん、そんな真実はこの世界のものじゃないし、俺には理解できんよ。なかには素頓狂なやつがいて、どのみち子供もいずれは大人になって罪を犯すにきまっている、なんて言うかもしれないけれど、現にあの子供はまだ大人になっていなかったんだ。わずか八歳で犬どもに食い殺されたんだからな。ああ、アリョーシャ、俺は神を冒瀆してるわけじゃないんだよ! やがて天上のもの、地下のものすべてが一つの賞讃の声に融け合い、生あるもの、かつて生をうけたものすべてが『主よ、あなたは正しい。なぜなら、あなたの道が開けたからだ!』と叫ぶとき、この宇宙の感動がどんなものになるはずか、俺にはよくわかる。母親が犬どもにわが子を食い殺させた迫害者と抱き合って、三人が涙とともに声を揃えて『主よ、あなたは正しい』と讃えるとき、もちろん、認識の栄光が訪れて、すべてが解明されることだろう。しかし、ここでまたコンマが入るんだ。

「イワン」の話の途中ですがここで区切ります。

実際のところ、話というのは最後まで聞かなければわからないのですが、長い話は便宜上途中途中で切っていくしかありませんので、その理解も間違っていることも多々あることをご了承ください。

「イワン」の頭の中には「革命」ということがあるのではないかと思います。

今となってはこの「革命」という言葉ほど手垢がついてイメージダウンした言葉はありません、が「イワン」の時代には輝いていたはずです。

作者はあえてこの言葉を使わなかったのか、使えなかったのかわかりませんが、「未来の調和」などという言葉を使っています。

ここでは、私は何も考えずに「革命」という言葉を使います。

報復が地上で起こってほしいとは、「革命」を待ち望んでいるのではないかと思います。

そして「革命」が自分の生きている間に起こってほしいと言っています。

そして「鹿がライオンのわきに寝そべるようになる日や、斬り殺された人間が起き上がって、自分を殺したやつと抱擁する」というのは空想的で理想主義的な表現ですが、あらゆる対立をなくし平等化された世界をこの目で見たいと言っています。

そしてさらに「何のためにすべてがこんなふうになっていたかを、突然みんながさとるとき、俺はその場に居合わせたい」と、これは世界史の理解であり、人間を理解する哲学のことですね。

しかし「イワン」は「俺の言わねばならぬこと」として「子供」のことを、つまり彼が言いたいことは人間一般のことですが、誰にもわかりやすいということで「子供」のことに固執します。

また、彼は「未来の調和」という言葉を使っていますが、これはどういう意味でしょう、辻褄合わせができた社会ということでしょうか、今起こっているさまざまな「ばかなこと」だらけの世界を捨て石として、将来的に出現する理想の社会のことでしょうか、仮に「報復」が「革命」だとすると「共産主義の世の中」ということになります。


「イワン」は「子供」というのは何の罪もないし、その存在に何の責任もないのだから、将来の理想社会のための辻褄合わせの捨て石にされるべきではないと言っています。


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