2017年10月1日日曜日

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「イワン」は口をつぐみました。

話しているうちに熱を帯び、夢中になって話していたのですが、語り終えて、ふと微笑しました。

終始無言できいていた「アリョーシャ」は、終り近くになると極度に興奮し、幾度となく兄の話をさえぎろうとしかけては、自分を抑えていたらしかったのですが、ふいにまるで席を蹴って立つといった様子で話しだしました。

「でも・・・・そんなの、ナンセンスですよ!」顔を赤くして彼は叫びました。

「兄さんの詩はイエスの賛美であって、兄さんの望んでいたような・・・・非難じゃありません。それに自由に関する兄さんの言葉など、だれが信ずるというんです? そんなふうに、そんなふうに自由を理解しなけりゃいけないんですか! それがロシア正教の解釈でしょうか・・・・そんなのはローマですよ、それもローマのすべてというわけじゃない。そう言っては間違いです-そんなのはカトリックの中のいちばんわるい部分ですよ。異端審問官とか、イエズス会のような連中です!・・・・おまけに、兄さんの大審問官みたいにファンタスチックな人物なぞ、まったくありえませんしね。人々の罪をわが身にかぶるとは、どういうことです? 人々の幸福のために何かの呪いを背負いこんだ、秘密の担い手とは、どういう人なんです! いつの世にそんな人たちがいました? 僕たちはイエズス会の人々を知っていますし、世間ではずいぶん悪く言われてますけど、はたして兄さんの詩に出てくるような人たちでしょうか? 全然違いますよ、まるきり違います・・・・あの人たちは、皇帝を、つまりローマ教皇を頭に頂いた、未来の世界的な地上の王国を作るためのローマの軍隊にすぎないんです、・・・・それがあの人たちの理想ではあるけど、べつに何の秘密も、高尚な悲哀もありゃしませんよ・・・・権力と、地上的な薄汚れた幸福と、奴隷化という、もっとも単純な欲望でしかないんです・・・・その奴隷化とは、未来の農奴制のようなもので、彼らが地主になるのが目的ですけどね・・・・あの人たちの考えていることは、これで全部です。もしかすると、あの人たちは神も信じていないかもしれませんしね。兄さんの苦悩する大審問官なんて、幻想でしかありませんよ・・・・」

「アリョーシャ」はだいぶん気が動転しているようですが、「イワン」の詩の中の「自由」の扱いについてはおかしいと言っています。

確かに「自由」と言う言葉は見方によっては可能性ともとれるし、強要ともとれます。

そしてまた「イエズス会」が出て来ますが、当時のロシア正教の環境の中では一番目の敵にされていたのでしょうね。


「イワン」の「大審問官」は「イエズス会」などとは全く違い、彼が作り出した人物ですので、頓珍漢な批判と言わざるを得ません。


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