2017年10月3日火曜日

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「ことによると、そういう兄さん自身、フリーメイソンかもしれませんね!」

ふいに「アリョーシャ」の口からこんな言葉がとびだしました。

「兄さんは神を信じていないんだ」

彼は付け加えたが、それにはもはや極度の悲しみがこもっていました。

おまけに彼には、兄が嘲笑をうかべて眺めているような気がしたのでした。

「兄さんの詩はどういう結末になるんですか?」

下を見つめたまま、だしぬけに彼はたずねました。

「それとも、あれで終りなの?」

「こんな結末にするつもりだったんだ。審問官は口をつぐんだあと、囚人が何と答えるか、しばらく待ち受ける。相手の沈黙が彼には重苦しくてならない。囚人がまっすぐ彼の目を見つめ、どうやら何一つ反駁する気もない様子で、終始静かに誠実に耳を傾けていたのが、彼にはわかっていた。老審問官にしてみれば、たとえ苦い恐ろしいことでもいいから、相手に何か言ってもらいたかった。だが、相手はふいに無言のまま老人に歩みよると、血の気のない九十歳の老人の唇にそっとキスするのだ。これが返事のすべてなのだ。老人は身ぶるいする、唇の端で何かがぴくりと動く。老人は戸口に歩みより、扉を開けて言う。『出て行け、もう二度と来るなよ・・・・まったく来ちゃならんぞ・・・・絶対に、絶対にな!』そして《町の暗い広場》へ放してやるのだ。囚人は立ち去ってゆく」

「で、老人は?」

「今のキスは胸に残って燃えているのだが、老人は今までどおりの理念に踏みとどまるのさ」

「兄さんもその老人といっしょなんでしょう、兄さんも?」

「アリョーシャ」が悲痛に叫びました。

「イワン」は笑いだしました。

「だって、こんなものはたわごとなんだぜ、アリョーシャ。いまだかつて二行の詩も書いたことのない愚かな学生の愚かな詩にすぎないんだよ。どうしてそうまじめに取るんだい? まさか俺が、キリストの偉業を修正する人々の群れに加わるために、これからまっすぐイエズス会の連中のところへ出かけて行くなんて、考えてるんじゃないだろうな? ええ、冗談じゃないよ、俺に何の関係がある? さっきも言ったじゃないか、俺はせいぜい三十まで生きのびりゃいいんで、そのあとは杯を床にたたきるけるだけさ!」

「じゃ、粘っこい若葉は、大切な墓は、青い空は、愛する女性はどうなるんです! どうやって兄さんは生きてゆけるんです? それらのものをどうやって愛するんですか?」

「アリョーシャ」が悲しそうに叫びました。

「心と頭にそんな地獄を抱いて、そんなことができるものでしょうか? いいえ、兄さんはきっとその連中の仲間に入りに行くにきまっている・・・・もしそうじゃなければ、自殺するほかありませんよ、耐きれずにね!」

「どんなことにも耐えぬける力があるじゃないか!」

もはや、冷たい嘲笑をうかべながら、「イワン」が言い放ちました。

「どんな力です?」

「カラマーゾフの力さ・・・・カラマーゾフ的な低俗の力だよ」

「それは放蕩に身を沈めて、堕落の中で魂を圧殺することですね、そうでしょう、ええ?」

「たぶんね、それも・・・・せいぜい三十までなら、ことによると避けられるかもしれないし、そのあとは・・・・」

「どうやって避けるんです? 何によって避けるんですか? 兄さんのような思想をいだいていて、そんなことは不可能ですよ」

「これもまたカラマーゾフ流にやるのさ」

「それが《すべては許される》ということですか? すべては許される、そうですね、そうなんでしょう?」

「イワン」は眉をひそめ、ふいに何か異様なほど青ざめました。

この「イワン」の「大審問官」の結末を語る彼は「老審問官にしてみれば、たとえ苦い恐ろしいことでもいいから、相手に何か言ってもらいたかった」と言っていますが、これは彼自身の言葉のように聞こえますね。

しかし、キリストは何も喋らず老審問官にキスするのみです。

このことは、肝心なこと、大事なことは言葉では伝わらないということだと思います。

「アリョーシャ」の指摘する《すべては許される》は、(221)で「イワン」が「この町の主として上流婦人を中心とする集まり」で話したこととして「ミウーソフ」によって紹介されました。

それは「・・・・たとえば現在のわれわれのように、神も不死も信じない個々の人間にとって、自然の道徳律はただちに従来の宗教的なものと正反対に変わるべきであり、悪行にもひとしいエゴイズムでさえ人間に許されるべきであるばかりか、むしろそういう立場としては、もっとも合理的な、そしてもっとも高尚とさえ言える必然的な帰結として認められるべき・・・・」というものでした。

「ドミートリイ」はこの話を聞いて、『悪業は許されるべきであるばかりか、あらゆる無神論者の立場からのもっとも必要な、もっとも賢明な出口として認められさえする』と確認し、その場で聞いていた「パイーシイ神父」は「そのとおりです」と言っています。

さらに(257)で、「ラキーチン」はその時のことを反芻して、『不死がなければ、善行もないわけであり、したがってすべてが許される』というばからしい理論をきかされたが、(それはそうと、あのときミーチャは『おぼえときましょう!』なんて叫んでたっけな)、卑劣漢には魅力的な理論さ・・・と「アリョーシャ」に語りました。


さらに「ラキーチン」は「彼の理論なんざ、卑劣そのものだ、人類は、たとえ不死を信じなくとも、善のために生きる力くらい、ひとりで自分の内部に見いだすさ!自由、平等、同胞主義などへの愛の中にみいだすにちがいないんだ・・・」と言いました。


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