2019年1月12日土曜日

1017

「兄を信ぜずにはいられないのです。兄が僕に嘘をつかぬことを知っているのです。兄の顔を見て、嘘をついていないことがわかりました」

「顔だけですか? あなたの証拠はそれだけなんですね?」

「ほかに証拠はありません」

「すると、スメルジャコフ有罪説も、やはり兄上の言葉と顔の表情のほかには、ごく些細な証拠にももとづいていないわけですね?」

「ええ、ほかに証拠はありません」

これで検事は尋問を打ち切りました。

「アリョーシャ」の答えは傍聴席にきわめて幻滅的な印象をもたらしかけました。

「スメルジャコフ」のことはすでに公判前から町で噂にのぼっており、だれそれが何かをききこんだとか、何某がこれこれの証拠を示したとか取り沙汰されていましたし、「アリョーシャ」に関しては、彼が兄に有利な、そして召使の有罪を示す決め手の証拠を貯えたなどと語られていたのに、いざ蓋を開けてみれば何一つ出ず、被告の実の弟としてきわめて当然な、なにやら道義的な確信以外に、何の証拠もなかったからであります。

しかし、次に「フェチュコーウィチ」も尋問をはじめました。

いったいいつ被告は「アリョーシャ」に父への憎悪や、父を殺しかねないことを話したのかとか、それをきいたのは、たとえば悲劇の起る前に最後に会ったときのことかなどという質問に答えているうちに、「アリョーシャ」は突然、今になってやっと何事かを思いだし、思い当ったかのように、びくりと身ぶるいしました。

(403)で「カテリーナ」の家で彼女と「グルーシェニカ」とが揉め事になり、同席していた「アリョーシャ」が「よろめくようにして通りに出」で修道院に向かった時のことです。

「僕は今あることを思いだしました。自分でもすっかり忘れかけていたんですけど、あのときはそれほどはっきりしなかったのに、今になってみると・・・・」

そして「アリョーシャ」は、どうやらたった今ふいにある考えに行き当ったばかりらしく、夢中になって、あの晩、修道院へ帰る途中、木のそばで兄と最後に会ったとき、「ミーチャ」が自分の胸を、それも《胸の上部》をたたきながら、自分には名誉を挽回する手段がある、その手段はここに、胸のここのところにあるのだと、何度もくりかえして言ったことを思い出しました・・・・「僕はあのとき、兄が自分の胸をたたいているのは、心のことを言っているのだと思ったんです」

これは(404)で「その四辻に、一本だけ離れて立っている柳の下に、何やら人影が見えました。アリョーシャが四辻に足を踏み入れたとたん、その人影がつと動き、とびかかってきて、凄まじい声で叫びました、そして「金を出すか、生命をよこすか!」と「ドミートリイ」がふざけたときのことです。

「アリョーシャ」はつづけました。

「兄が直面している、僕にさえ打ち明ける勇気のなかったある恐ろしい恥辱から逃れる力を、自分の心の内に見いだせそうだ、と言っていると思ったのです。正直に言って、僕はあのとき、兄が父のことを言っているのだと思いましたし、父のところへ乗りこんで何か乱暴を働くことを考えて兄が恥ずかしさにふるえているのだろうと思ったのですが、実際にはたしかにあのとき、兄は胸の上にある何かを指さしていたようでした。ですから、あのとき僕は、心臓は全然そんなところじゃなく、もっと下なのにという思いがちらとしたのをおぼえています。ところが兄はずっと上の、この辺を、首のすぐ下あたりをたたいて、しきりにその辺を指さしていたのです。僕の考えはあのときは愚かしいものに見えましたけど、でもおそらく兄はあのとき、例の千五百ルーブルを縫いこんだお守り袋を指さしていたにちがいありません!」

「そのとおりだ!」

ふいに「ミーチャ」が席から叫びました。

「そうなんだよ、アリョーシャ、そうなんだ、あのとき俺は拳でそれをたたいていたんだ!」

この場面は(411)で、「待ってくれ、アレクセイ、もう一つ告白があるんだ、お前だけにな!」ふいに「ドミートリイ」が引き返してきました。「俺を見てくれ、じっと見てくれ。ほら、ここに、ここのところに、恐ろしい破廉恥が用意されているんだ(『ほら、ここに』と言いながら「ドミートリイ」は拳で自分の胸をたたいたが、それもまるで胸のどこかそのあたりに破廉恥がしまわれ、保たれているかのような、ことによるとポケットに入れてあるか、でなければ何かに縫いこんで首にでも下げているみたいな、奇妙な様子だった)。俺と言う人間はお前にももうわかったはずだ。卑劣漢さ、衆目の認める卑劣漢だよ!だけど、いいか、俺が過去、現在、未来にわたってどんなことをしようと、まさに今、まさしくこの瞬間、俺が胸のここに、ほら、ここにぶらさげている破廉恥にくらべたら、卑劣さという点で何一つ比較できるようなものはないんだ。この破廉恥は、現に着々と成就されつつあるんだし、それを止めるのは俺の気持一つで、俺はやめることも実行することもできるんだよ、この点をよく憶えといてくれ!でも、俺はやめずに、そいつを実行すると思ってくれていい。さっきお前に何もかも話したけれど、これだけは言わなかったんだ、俺だってそれほどの鉄面皮は持ち合わさんからな!今ならまだ俺はやめることができる。思いとどまれば、失われた名誉の半分をそっくり明日返すことができるんだ。しかし、俺は思いとどまらずに、卑しい目論見を実行するだろうよ、お前にはいずれ、俺があらかじめ承知のうえでこの話をしたという証人になってもらうよ!破滅と闇さ!べつに説明することもないよ、いずれわかるだろうからな。悪臭にみちた裏街と、魔性の女だ!さよなら。俺のことを祈ったりしてくれるなよ、そんな値打ちはないんだから。それに全然必要ないしな、まるきり必要ないよ・・・全然要らないことだ!あばよ!」というところです。

「フェチュコーウィチ」があわてて彼のところへとんで行き、落ちつくよう頼むと、すぐに「アリョーシャ」にくわしく質問しはじめました。

「アリョーシャ」は夢中になって記憶をたどりながら、おそらくその恥辱とは、その気になれば「カテリーナ・イワーノヴナ」に返せるはずの負債の半分の千五百ルーブルを、兄が肌身につけていながら、やはり返さずに、ほかのこと、つまり「グルーシェニカ」さえ同意してくれたら駈落ちの費用に当てよう決心した点にちがいないと、熱心に自分の推測を述べました。

「そうなんです、きっとそうだったんです」

だしぬけに興奮して、「アリョーシャ」が叫びました。

「兄はあのとき、恥辱の半分は、半分だけなら(兄は何度か、半分(二字の上に傍点)という言葉を言ったのです)、今すぐにでも取り除けるんだが、それができないくらい、性格の弱いところが俺の不幸なんだ、と叫んだのです・・・・それができない、実行する力のないことが、俺には前もってわかっているんだ、と叫んだのです!」


(兄は何度か、半分という言葉を言ったのです)と括弧書きで書かれていますが、「アリョーシャ」が実際に聞いたのは「失われた名誉の半分」という一箇所だけではないでしょうか。


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