2017年7月7日金曜日

463

「あなたに一つたいへんなお願いがございますの、アレクセイ・フョードロウィチ」

彼女はまっすぐ「アリョーシャ」を見つめながら、一見まるで本当に今しがた何事も起らなかったかのような、冷静な、淡々とした声で切りだしました。

「一週間前に、そう、たしか一週間ほど前に、ドミートリイ・フョードロウィチがある気短な、とても対面にかかわる、間違った行いをなさったんです。この町にあまり芳しくない場所がありますの、さる飲屋ですけれど。そこであの人が例の退役将校に、ほら、いつぞやお父さまが何かの事件でお使いになったとかいう例の二等大尉にお会いになったんです。どういうわけか、ドミートリイ・フョードロウィチはその二等大尉にひどく腹を立てて、顎ひげをつかむなり、そんな屈辱的な格好のまま衆人環視の中で往来に引きずりだし、往来でも永いことひきまわしていたそうですわ。話によりますと、その二等大尉の息子さんで、ここの中学校で学んでいる、まだほんの小さな坊やが、それを見て、そばを駆けまわりながら、大声で泣き叫び、父親のために赦しを乞い、みんなにすがりついて助けてくれるように頼んだりしたのに、みんなはげらげら笑っていたそうなんです。ごめんなさい、アレクセイ・フョードロウィチ、あたくし彼の(二字の上に傍点)こんな恥ずべき行為を思いだすたびに、憤りを禁じえませんの・・・・まさに怒りと、持前の激情に狂ったときのドミートリイ・フョードロウィチでなければ、とうていなしえないような行為の一つですわ! あたくし、お話しすることもできませんわ、とてもそんな気力がございませんの・・・・言葉につまってしまいますもの。ひどい目に会わされたその人のことを調べたら、とても貧しい人だってことがわかったんです。苗字はスネギリョフといいますの。勤め先で何か落度があって、馘にされたんだそうですけれど、あたくしにはそれはとても話せませんわ。今その人は家族をかかえて、それも病気のお子さんたちと、どうやら気が狂っているらしい奥さんとの不幸な家族をかかえて、おそろしい貧困に落ちこんでいるんです。この町にはもうだいぶ古くからいらして、何かのお仕事をしたり、どこかで清書係をなさったりしていたのに、それが今ふいに何の収入もなくなってしまったんですわ。あたくし、あなたをちらと見て・・・・つまり、こう思いましたの。あたくし、どうしたのかしら、なんだか混乱してしまって。いえね、あなたにお頼みしようと思ったんですの。アレクセイ・フョードロウィチ、あなたはほんとに気立てのやさしい方ですもの。ぜひその人のところへ行って、口実を見つけて、そのお屋敷に、いえ、つまりその二等大尉の家に入って–まあ、ほんとにあたくし、どうかしてますわ、そしてデリケートに気を使って、つまりあなたでなければとてもできないような具合に(アリョーシャはふいに真っ赤になった)、この寸志を、ここに二百ルーブルありますけれど、これを渡していただきたいんです。きっと受けとってくれますわ・・・・つまり、受けとるように説得してほしいんですの・・・・それともおいや、どうかしら? おわかりいただけるでしょうけれど、これは告訴させぬための示談金というわけではなく(なぜって、その人はどうやら告訴する気らしいんですもの)、ただのお見舞いというか、援助したい気持のあらわれにすぎませんし、それもあたくしからの、ドミートリイ・フョードロウィチの婚約者であるあたくしからのもので、あの人自身からではないんです・・・・一言で言えば、あなたなら立派におできになりますわ・・・・あたくしが自分で参ってもよろしいんですけれど、あたくしなぞよりあなたのほうがずっとお上手にやってくださいますもの。その人はオジョールアナヤ通りの、カルムイコワという平民の女性の家に暮していますわ・・・・お願いですわ、アレクセイ・フョードロウィチ、あたくしのためになさってくださいませんか。ではこれで・・・・あたくし少し・・・・疲れましたので・・・・いずれまた・・・・」

「カテリーナ」の長い話でした。

この中で「あの人が例の退役将校に、ほら、いつぞやお父さまが何かの事件でお使いになったとかいう例の二等大尉にお会いになったんです」というのは、ずっと前の(335)で「親父の代理人をしている例の二等大尉がグルーシェニカに俺名義の手形を渡しているんだ。」というところに登場する人物です。

また、「その二等大尉の息子さんで、ここの中学校で学んでいる、まだほんの小さな坊やが、それを見て、そばを駆けまわりながら、大声で泣き叫び、父親のために赦しを乞い、みんなにすがりついて助けてくれるように頼んだ」のは、もちろん「アリョーシャ」の指に噛みついた少年ですね。

本来なら、「アリョーシャ」にあれだけひどいことを言われているわけですので、頼みごとなどする気持にはなれないと思いますが、そのあたりが普通の精神の持ち主ではないのですね。

かりに、そんなことがなくても「あたくし、あなたをちらと見て・・・・あなたにお頼みしようと思ったんですの」というのは、人を馬鹿にしたひどい話だと思います。

彼女はふいにすばやく身をひるがえすと、ふたたび戸口のカーテンの奥に姿を消してしまったので、「アリョーシャ」は一言も口をきく暇がありませんでした。

が、彼としては話をしたかったのです。

胸がいっぱいでしたので、赦しを乞うなり、自分を責めるなり、せめて何か言っておきたかったし、それをせずに部屋を出るのはどうにもいやでした。


それにしても「カテリーナ」は言いたいことだけ言って退散していますがどういうことでしょう。


2017年7月6日木曜日

462

彼、「イワン」はゆがんだ微笑をうかべてシラーの『手袋』の詩を付け加え、彼もまたシラーをそらんずることができるのだという、以前なら「アリョーシャ」にはとても信じられなかったような事実を、まったく思いがけなく立証してみせました。

これはどういうことでしょうか、「イワン」はもっと実際的な学問に傾倒していて、シラーの詩なぞは読まない人間だということでしょうか、そのように「アリョーシャ」は思っていたということでしょう。

彼は女主人の「ホフラコワ夫人」にさえ別れを告げずに、部屋を出て行きました。

「アリョーシャ」は悲しげに両手を打ち合せました。

「イワン」と彼は途方にくれたように、兄のうしろ姿に向って叫びました。

「帰ってきてよ、イワン! だめだ、だめだ、今となってはどんなことがあっても帰ってくるはずがない!」

悲しみに目を開かれた思いで、彼はまた叫びました。

「でも、みんな僕だ、僕がわるいんです、僕が言いだしたんです! イワンは敵意のこもった、不愉快な話し方をしました。不当な、敵意のこもった言い方を・・・・」

「アリョーシャ」は乱心したように叫びました。

「カテリーナ」がふいに隣の部屋へ出て行きました。

これだけのことを言われれば、相当なショックだろうと思いますが、「カテリーナ」は平常心のようです。

「あなたはべつに何もなさいませんでしたわ。天使のように立派に振舞ったじゃございませんか」

この「ホフラコワ夫人」の言葉も理解に苦しみます。

あれだけ思いきったことを言ったのに、「天使のように振舞った」とは。

悲しみに沈む「アリョーシャ」に、「ホフラコワ夫人」が感激した早口でささやきました。

「あたくし、イワン・フョードロウィチがお発ちにならぬよう、あらゆる努力をしてみますから」

「アリョーシャ」がひどく嘆かわしく思ったことに、彼女の顔には喜びがかがやいているのでした。

「ホフラコワ夫人」は「イワン」の出発を止めようとしているのですが、まだ「カテリーナ」が「イワン」と結婚するとでも思っているのでしょうか。

そこへ、「カテリーナ」がまたふいに戻ってきました。


その手に二枚の百ルーブル札が握られていました。


2017年7月5日水曜日

461

「あなたは・・・・あなたは・・・・あなたはちっぽけな神がかり行者だわ、それがあなたよ!」

もはや顔色も青ざめ、怒りに口をゆがめて、いきなり「カテリーナ」が断ち切るように言いました。

今度は、あれほど信頼していた「アリョーシャ」に対する攻撃にでましたね。

「イワン」がだしぬけに笑いだし、席を立ちました。

帽子を手にしていました。

「お前は誤解をしているよ、アリョーシャ」

彼は「アリョーシャ」がこれまで一度も見たことのない表情をうかべて、言いました。

作者はこの緊迫した場面をかきながらも、この「これまで一度も見たことのない表情をうかべて、言いました」という奥深い一文を書いていますが、これはお見事というしかありません。

さらに、次の行でそのむずかしい「表情」の説明までしています。

何か若々しい誠実さと、抑えがたいほど強烈な率直な感情とを示す表情でした。

「カテリーナ・イワーノヴナは一度だって僕を愛したことなんぞないんだ! 僕が自分の愛情をただの一言も決して口にしなかったとはいえ、この人を愛していることは、最初からずっと知っていたのさ。知ってはいたが、僕を愛してはくれなかった。僕がその人の親友だったことも、やはり一度だってありゃしない。プライドの高い女性は僕の友情なんぞ必要としなかったからね。その人は絶えず復讐するために、僕を身辺にひきつけておいたのさ。この数年にわたって絶えず、ひっきりなしにドミートリイから受けたいっさいの侮辱、二人の初対面の時以来の侮辱の仕返しを、僕に、僕の上に浴びせていたんだよ・・・・なにしろ、あの二人のいちばん最初の出会いも、この人の心には侮辱として刻みつけられているんだからね。この人はそういう心の持主なんだよ! 僕が終始やってきたことといえば、兄貴に寄せるこの人の愛情を拝聴することだけさ。僕は今から出かけますがね、カテリーナ・イワーノヴナ、いいですか、あなたが本当に愛しているのは兄貴だけなんです。そして、侮辱がつもればつもるほど、ますますあなたは愛していくんだ。そこがあなたの病的な興奮なんですよ。あなたが愛しているのは、まさに現在ありのままの兄貴なんだ。あなたを侮辱する兄貴を愛しているんです。もし兄が立ち直れば、あなたはとたんに兄を棄てて、すっかりきらいになるでしょうよ。しかし、あなたにとって兄は、ご自分の貞節という献身的行為を絶えず鑑賞し、兄の不実を非難するために、ぜひ必要なんです。すべてはあなたのプライドの高さからきているんですよ。そう、そこには侮辱や屈辱も多いでしょうが、それもこれもすべてプライドの高さが原因なんです・・・・僕はあまりにも若く、あまりにも強くあなたを愛しすぎた。あなたにこんなことを言うべきではない、さりげなくあなたのそばを離れて行くほうが僕としてもずっと立派だってことは、承知しています。そのほうがあなたにとっても、これほど侮辱ではなかったでしょうからね。でも僕は遠くへ行ってしまうんだし、もう二度と帰ってこないんだ。これが永遠のお別れですからね・・・・僕は病的な興奮なんぞにお付き合いしていたくないんですよ・・・・もっとも、もう言うことはありません、みんな言っちまったから・・・・さようなら、カテリーナ・イワーノヴナ、僕に腹を立てちゃいけませんよ、なぜって僕はあなたの百倍も罰せられているんですからね。もう二度とお目にかかれないという、その一事だけで、すでに罰せられているんです。さようなら。お別れの握手は要りません。あなたにあまり意識的に苦しめられたので、この瞬間、あなたを赦すわけにはいかないんです。いずれ赦すでしょうが、今は握手は要りません。
奥さま、わたしはご褒美をもとめてはありませぬ。(訳注 シラーの詩『手袋』の一節。女に決別を告げる詩)」

「イワン」がここですっかり説明してくれましたね。

「病的な興奮」というのは、いろいろあって、「カテリーナ」における「病的な興奮」による愛というのは、自分を侮辱する「ドミートリイ」を愛していることだと言っています。

つまり、「ドミートリイ」が自分を侮辱しているからこそ愛しているのだと。

この逆説的な心理状態、ありうるとは思いますが。

そして、「その人は絶えず復讐するために、僕を身辺にひきつけておいたのさ。この数年にわたって絶えず、ひっきりなしにドミートリイから受けたいっさいの侮辱、二人の初対面の時以来の侮辱の仕返しを、僕に、僕の上に浴びせていたんだよ」という「イワン」の発言はどういうことでしょうか。

「カテリーナ」は侮辱している「ドミートリイ」ではなく、「イワン」にその侮辱の復讐をしているのだと言うのです。

そうして精神のバランスをとっているのかもしれませんが、「イワン」としてはやってられませんね。

侮辱しているからこそ愛しているというのは、愛憎という感情とは別のものでしょうか。

つまり、「カテリーナ」は、自分は侮辱されているが、侮辱されるような人間ではないと自分で思っているので、そうした侮辱自体が間違っているということを相手にわからせるまで、相手を縛り付けておくことを愛情だと思っているということでしょうか。

そして、その原因は「カテリーナ」のプライドの高さだと「イワン」は言っています。

以下はネットで見つけたシラーの『手袋』です。

自らのライオンの庭の前で
格闘の余興を待ちながら
フランツ王は座っていた
そして彼のまわりには王国の高官たち
高いバルコニーの上には
美しく着飾った貴婦人たち

王が指で合図をすると
大きな檻が開かれて
堂々とした足取りで
一頭のライオンが歩み出てくる
黙って見回す
まわりじゅうを
長いあくびをして
たてがみを震わせ
四肢を伸ばして
身を横たえた

そして王が再び合図をすると
すばやく開かれた
二番目の扉が
そこから走り出てきた
大きく身をひるがえし
一頭のトラが外へと
ライオンを見るや
大きな咆え声を上げ
尾を叩きつけた
恐ろしい弧を描いて
そして舌なめずりをすると
静かに円を描きながら
ライオンの脇を通り過ぎ
唸り声を上げながら
身を伸ばした
その傍に

そして王が再び合図をすると
ふたつの開かれた檻からとびだした
二頭のヒョウが一度に
二頭は激しい敵意で襲いかかる
トラを目がけて
トラは鋭い爪で掴みかかる
と そこへ咆哮と共にライオンが
立ちあがり そしてすべてが静まり返った
そして輪の中で
熱い殺意にあふれて
うずくまったのだ この恐ろしきネコどもは

そこへバルコニーの縁から落とされた
片方の手袋が美しき手より
トラとライオンの間
ちょうど真ん中に

騎士ドロルジュに向かってからかうように指をさし
令嬢クニグンデが振り返った
「騎士さん あなたの愛がとても熱いのなら
ちょうどあたしにいつもお誓いになっている通りなら
ねえ あたしにあの手袋を取ってきてくださいませんこと」

そこで騎士は急いで
恐ろしき闘技場へと降り
確固とした足取りで
猛獣たちの間から
彼は手袋を拾い上げた 大胆な指で

驚きと恐怖で
騎士たちや貴婦人たちは眺めていた
そして彼が手袋を取って戻ってくると
どの口からも彼への讃嘆がこだました
だがやさしい愛のまなざしで
それは彼に将来の幸運を約束しているものだったが
彼を令嬢クニグンデが迎え入れたとき
彼は手袋を彼女の顔へと投げつけ
「お礼など、お嬢様 私は必要ございません」

そして即座に彼女から去って行った


2017年7月4日火曜日

460

「自分で言ったことは、ちゃんと裏付けますわ。あたくしにはその人の意見が必要なのです、それだけではなく、その人の決定が必要なんですわ! その人のおっしゃるとおりにいたしますもの。むしろ、それほどあなたのお言葉を待ちこがれていますのよ、アレクセイ・フョードロウィチ・・・・それにしても、どうなさったの?」

「カテリーナ」の批判ばかりになりますが、「その人のおっしゃるとおりにいたしますもの」とは何ということでしょう、先ほどは無視した人間に対して、もはや彼女の言葉の真実味が感じられません。

「僕は全然考えてもみませんでした。こんなこと、とても想像できませんでした!」

ふいに「アリョーシャ」は悲しげに叫びました。

「何が、何がですの?」

「兄がモスクワへ行ってしまうというのに、あなたが嬉しいと叫ぶなんて。あなたはわざとあんなことを叫んだんです! そのあとすぐに、そのことを喜んでいるわけじゃなく、反対に、友人を失うのは残念だなどと、弁解をはじめましたね。たけど、あれもわざと演技なさったんでしょう・・・・まるで舞台で喜劇でも演ずるみたいに!」

すごく思い切ったことを「アリョーシャ」は言ってくれました。

それは的を得たというか、正論だと思いますが、ここまで言ってしまうとこの後でちょっとまずいのでないかと心配になります。

また、この発言を聞いた「イワン」と「ホフラコワ夫人」もびっくりしたことでしょう。

「舞台で? なぜ?・・・・それ、何のことですの?」

「カテリーナ」は深いおどろきに包まれ、耳もとまで真っ赤になって、眉をひそめながら叫びました。

「いくらあなたが親友を失うのが残念だと、兄に力説なさったところで、やはり兄が行ってしまうのが嬉しいと、面と向って言い張っていることになりますよ・・・・」

なにかもうすっかり息をあえがせながら、「アリョーシャ」は言ってのけました。

彼はテーブルの前に立ち、坐ろうとしませんでした。

「何をおっしゃてるのか、わかりませんわ」

「僕自身もわからないんですけど・・・・ふいに目がぱっと開いたような気がしたんです・・・・こんなことを言ってはいけないと、承知してはいるんですが、やっぱり何もかも言ってしまいます」

「アリョーシャ」は相変わらずとぎれがちのふるえ声でつづけました。

「目が開いたというのは、つまり、あなたがたぶん、兄のドミートリイを少しも愛していないということなんです・・・・そもそもの初めから・・・・それにドミートリイもおそらく、あなたを全然愛してやしない・・・・最初から・・・・ただ尊敬しているだけなんです・・・・どうして今こんなことを思いきって言えるのか、本当のところ、僕にもわかりませんけれど、でも、だれかが真実を言わなければならないんです・・・・だって、ここではだれも真実を言おうとしないんですもの・・・・」

さらに強力な爆弾発言です。

そして、思ったことを言わずに去って行こうとする「イワン」と、不満があってもそれを言い出せない「ホフラコワ夫人」も批判しています。

「どんな真実?」

「カテリーナ」が叫びました。

その声には何かヒステリックなひびきがこもりはじめていました。

「こういうことです」

屋根からとびおりるような気持で、「アリョーシャ」はやっと言いました。

「今すぐドミートリイをよんでください。僕が見つけてきます。そして兄がここへ来たら、あなたの手をとらせ、それからイワン兄さんの手をとらせて、二人の手を結び合わさせるのです。なぜって、あなたはイワンを愛していらっしゃればこそ、苦しめているのですし・・・・なぜ苦しめるのかといえば、あなたはドミートリイを病的な興奮で愛し・・・・偽りの気持で愛しているからなんです・・・・それというのも、あなたが自分にそう信じこませて・・・・」

「ドミートリイ」をこの場に連れてくるというのも、予想できない強烈な発言ですね。

「アリョーシャ」はふと口をつぐみ、沈黙しました。

ついに「アリョーシャ」は「カテリーナ」の「ドミートリイ」への愛が「病的な興奮」ののせいだとまで言い切りましたね。

この「病的な興奮」ということは、わたしには朧げにしかわかりませんが、これは当時は誰もが明確に理解できる概念であったのかもしれません。


「アリョーシャ」もここでは、普段の彼らしくない思いきった直接的な言葉で「カテリーナ」を批判していますが、この状態は「一時的な興奮」であって「病的な興奮」とは違うわけですね。


2017年7月3日月曜日

459

「あら、あなたとお別れするのが嬉しいというわけじゃございませんのよ、もちろん違いますわ」ふいにやさしい社交的な微笑をたたえて、訂正するかのように彼女は言いました。「あなたのようなお友達が、そんなことをお思いになるはずはありませんわね。それどころか、あなたを失うなんて、あまりにも不幸すぎますわ(彼女はいきなりイワンのところに走りより、両手をとると、熱烈な思いをこめて握りしめた)。嬉しいというのは、こういうことですの。つまり、今あなたがモスクワにいらっしゃれば、叔母やアガーフィヤ姉さんに、あたくしのこんな状態を、今のあたくしの恐ろしさを、あなたご自身の口から、じかに伝えていただけるでしょう。アガーフィヤ姉さんには何もかもありのままに、叔母にはあなたにおできになる範囲で適当に匙加減していただいて。あなたには想像もつかないでしょうけれど、あたくし、叔母たちにこの恐ろしい手紙をどう書いたものかと思い悩みながら、昨日から今朝にかけて、それは不幸な気持でしたのよ・・・・だって、こんなこと手紙では、どうやったって絶対に伝えられませんもの・・・・でも今度は、あなたが向うで何もかもじかに説明してくださるでしょうから、手紙を書くのも楽になりましたわ。ああ、ほんとに嬉しい! でも、嬉しいのはそのことだけですわよ、信じてくださいましね。あなたご自身は、あたくしにとって、もちろんかけがえのないお方ですもの・・・・じゃ、今すぐ行って、手紙を書いてきますから」

この「カテリーナ」の発言もひどいものですね、本当は自分のことだけしか考えてないのがわかります。

「カテリーナ」が「嬉しい」と言ったのは、自分が手紙をうまく書くのが面倒なので、「イワン」が口頭で伝えてくれるからです。

しかし、「イワン」としては、走りよって、両手をとって、熱烈な思いをこめて握りしめられれば、愛するものとしては勘違いしがちですね。

突然こう結ぶと、彼女は部屋を出るため、すでに一歩踏みだしさえしました。

「でも、アリョーシャが? アレクセイ・フョードロウィチの意見を、ぜひききたいとおっしゃってたじゃありませんか?」

「ホフラコワ夫人」が叫びました。

その言葉には、棘のある腹立たしげな調子がひびいていました。

わたしもこのままだと「カテリーナ」が「アリョーシャ」のことを無視しているんじゃないかと思っていましたので、ここでの「ホフラコワ夫人」の発言は我が意を得たりという感じでした。

「あたくし忘れていませんわ」

ふいに「カテリーナ」は足をとめました。

言葉では「忘れていません」と言っても忘れていたのだと思いますが、仮に本当に忘れていなければ、「アリョーシャ」を無視する失礼な行為ということになります。

また、本当は忘れていたのなら、咄嗟の嘘になります。

「それに、なぜこんなときにあたくしをそれほど敵視なさるんですの、奥さま?」

悲痛な、熱っぽい非難をこめて、彼女は言いました。


「ホフラコワ夫人」は「カテリーナ」に忠告したのであり、これを「敵視」と言うこと自体が自分の嘘を自分では知っていてそういう虚偽の態度をとったことを認めることになるのではないでしょうか。


2017年7月2日日曜日

458

「僕は自分の考えを述べただけです」と、彼は言いました。「ほかのどんな女性が言っても、そういう言葉は弱々しい、とってつけたものにひびくでしょうが、あなたの場合は違う。ほかの女性なら嘘でしょうが、あなたなら真実なんです。どう理由づければいいのか、わかりませんが、あなたがこの上なく誠実であることが僕にはわかるんです。だからあなたは正しいんですよ・・・・」

この「イワン」の発言は、恋しているとしか思えませんね。

冷静な「イワン」も恋には勝てません。

「でも、そんなのはこの瞬間だけじゃありませんか・・・・この瞬間とはいったい何でしょう? 昨日の屈辱にすぎないじゃありませんか、この瞬間とはそれだけのものですわ!」

どうやら口をはさむつもりはなかったらしいのだが、こらえきれなくなった「ホフラコワ夫人」が、だしぬけにきわめて正当な考えを述べた。

作者は、客観的描写を捨てて「ホフラコワ夫人」の意見を「きわめて正当な考え」と自分の考えを書いています。

「そう、そうです」横槍を入れられたのがどうやら癇にさわったらしく、突然むきになって、「イワン」がさえぎりました。「そうですよ、しかし、ほかの女性ならこの瞬間は単に昨日の印象にすぎないし、ほんの一瞬でしかないとしても、カテリーナ・イワーノヴナの性格では、この瞬間が一生涯つづくでしょうよ。ほかの人にとっては単なる約束にすぎないものも、この人にとっては永遠の、つらい、おそらく気重な、しかしたゆみない義務になるのです。そしてこの人は、その義務をはたすという感情によって生きてゆくんですよ! カテリーナ・イワーノヴナ、あなたの生活はこれから、自分の感情、自分の献身的行為、自分の悲しみを、苦悩の目で見つめることのうちに過ぎてゆくでしょうが、いずれはその苦しみも和らぎ、あなたの生活も今度はもう、立派になしとげられた、意志堅固な誇らしい計画に対する快い鑑賞に変るのです。実際その計画はある意味では誇らしくもあるし、いずれにせよ絶望的なものですが、あなたに征服されたわけですからね。その意識が最後にはあなたに完全な満足をもたらし、他のすべてを耐え忍ばせることでしょうよ・・・・」

彼は何か悪意のこもった口調で断定的に言い切りました。

明らかに、わざとそうしたらしく、ことによると自分の意図、つまり、わざと冷やかし顔にしゃべろうという意図を、隠すつもりもなかったのかもしれません。

ここでわかったのですが、「イワン」も頭にきているのでしょう。

「まあ、そんな、そんなことは違います!」と、また「ホフラコワ夫人」が叫びました。

「アレクセイ・フョードロウィチ、あなたも何かおっしゃってください! あなたが何とおっしゃるか、あたくし、せつないほど知りたいんです!」と、「カテリーナ」は叫び、ふいに涙にむせびました。

「アリョーシャ」はソファから立ちあがりました。

「何でもないんです、大丈夫!」彼女は泣きながらつづけました。「気持が乱れているためですわ、ゆうべ眠れなかったので。でも、あなたやあなたのお兄さまのようなお友達が二人もついていてくださるのですもの、まだ心丈夫でいられますわ・・・・だって、あたくしにはわかっていますの・・・・お二人とも決してあたくしを見すてないってことが・・・・」

自信過剰な発言ですね。

発言を求められている「アリョーシャ」はまだしゃべりません。

「残念ながら、僕はおそらく明日、モスクワへ発って、永いことあなたを見すてなければならぬはずなんです・・・・これは、残念ながら、変更できないので・・・・」

だしぬけに「イワン」が言いました。

「明日モスクワへ!」ふいに「カテリーナ」の顔全体がゆがみました。「でも・・・・まあ、なんて嬉しいことでしょう!」

一瞬のうちにすっかり一変した声で彼女は叫びました。

涙も一瞬のうちに消え、跡も残りませんでした。

「アリョーシャ」をこの上なくびっくりさせた、この驚くべき変化が、まさしく一瞬のうちに起ったのでした。

たった今何かの感情のはげしい発作にかられて泣いていた、辱しめられた哀れな娘に代って、突然、完全に自己を抑え、まるでふいに何か嬉しいことでもあったかのように、きわめて満足そうな色さえうかべた女性が出現したのです。

ここで「カテリーナ」は、いろいろな性格の上にさらに感情の起伏の激しさを付け加えます。


もうこうなると、彼女の性格がよくわからなくなってきます。


2017年7月1日土曜日

457

「何をおたずねになっているのか、僕にはわかりませんけど」と、「アリョーシャ」は顔を真っ赤にしていいました。「僕にわかっているのは、僕があなたを敬愛していて、この瞬間、自分自身に望むよりはるかに多くの幸せをあなたのために望んでいる、ということだけです! でも、僕はこういう問題は何もわかりませんから・・・・」と、なぜかふいに彼は急いで付け加えました。

「こういう問題ではね、アレクセイ・フョードロウィチ、こういう問題で今いちばん大切なのは、名誉と義務と、さらにもう一つ、何かはわかりませんが、おそらく義務そのものより高尚な何かですわ。そうした制しがたい感情のことをあたくしの心が教えてくれ、有無を言わさずあたくしを引っ張ってゆくのです。もっとも、すべてはほんのふた言につきてしまうので、あたくしはもう決心したんですの。たとえ彼があの・・・・性悪女と結婚しても」と、彼女は厳粛な口調になりました。「あたくしが決して、決して赦すことのできぬあの女と結婚したとしても、あたくしはやはり彼を見すてません!(十六文字の上に傍点)今このときからもう終生決して彼を見すてませんわ!」と、何かむりに絞りだしたような、青ざめた歓喜のはげしい感情をこめて、彼女は言いました。「それはつまり、あたくしが彼のあとを追いまわし、たえず彼の目に触れるようにして、苦しめるということじゃございませんのよ。違いますとも。あたくしはどこか別の、お望み町に去ります。でも、一生涯、終生変らず、倦むことなしに彼を見守りつづけますわ。彼があの女と連れ添ったばかりに不幸になったら、そういう事態は必ずすぐにやってくるでしょうが、そのときにあたくしのところへ戻ってくればいいのです。そのときこそ彼は親友を、妹を見いだすはずですもの・・・・もちろん、妹であるにすぎませんし、永久にそのままでしょうけれど、彼だって最後には、その妹が本当に自分を愛してくれ、一生を犠牲にしてくれた妹だということを納得するでしょう。あたくし、きっとそれをやりとげてみせます、どうしても最後には、彼にあたくしを認めさせ、恥じずに何もかも打ち明けるようにしてみせますわ!」と、彼女はわれを忘れたように叫びました。「あたくしは彼の神さまになって、彼に祈りを捧げさせるのです。彼だって自分の心変りの償いに、そのおかげで昨日あたくしが堪え忍ばねばならなかったことの償いに、少なくともそれくらいしても当然ですわ。そして、彼が不実で心変りしたにもかかわらず、あたくしが一生を通じて操正しく、いったん彼に与えた約束に忠実でありつづけることを、彼に見せてやるのです。あたくし・・・・あたくしは、彼の幸福のための手段にだけなるのです(それとも、どう言えばいいのかしら)、彼の幸福のための道具に、機械になりますわ、それもこれから先ずっと一生を通じて。そして彼に今後、一生涯それを見せてやるのです! これがあたくしの決心ですわ! イワン・フョードロウィチは手放しで賛成してくださいましたけど」

この「カテリーナ」の発言は自身の人間性が問われるかなりな問題発言でしょう。

彼女は自分が侮辱されたと思っており、その復讐心のために自分の一生を犠牲にすると言っているのだと思います。

こういったことは、愛情の裏返しだと言えなくもないのですが、いやそうではなくて、それを上回る自己愛がそういう発言をさせているのでしょう。

彼女は息を切らしていました。

おそらく彼女としては、もっときちんと、上手に、自然に自分の考えを述べたかったのだろうが、あまりにも性急な、あまりにも露骨な言い方になってしまいました。

若さに逸った点も多分にありましたし、多くの面に昨夜の憤りと、プライドを示そうという気持だけが反映していました。

彼女自身、そのことを感じとりました。

彼女の顔は何かふいに暗くなり、目の表情も不快げになりました。

「アリョーシャ」はすぐにそれらすべてを見てとり、心の中で同情が動きました。


兄の「イワン」が言い添えたのは、ちょうどそのときでした。