2017年9月7日木曜日

525

「イワン」の会話の続きです。

・・・・ヴィクトル・ユーゴーの『ノートル・ダム・ド・パリ』という作品に、ルイ十一世の御代にパリで、フランス皇太子の誕生を祝って、市政庁のホールで民衆のために『いと神聖なやさしき聖母マリヤの慈悲深き裁判』という無料の教訓劇を催すところがあるけど、それには聖母ご自身が登場して、慈悲深い裁判を行うしさ。わが国でもピョートル大帝以前の昔、モスクワで、ほとんど同じような、特に旧約聖書から題材をとった芝居が、やはりときおり演じられていたんだ。しかし、芝居以外にも、当時は世界中に、必要に応じて聖者や天使や、天上のすべての力が登場してくる物語とか《詩》とかが、おびただしく氾濫していたもんさ。わが国の修道院でも、こういう詩の翻訳や筆写、さらには創作さえやっていたし、しかもそれがタタール人の支配下(訳注 十三世紀半ばから十五世紀末まで)でなんだからな。たとえば、さる修道院の詩(と言っても、もちろんギリシャ語からの翻訳だけれど)に『聖母マリヤの苦悩の遍歴』というのがあるが、これなぞはダンテにも劣らぬ光景と大胆さにあふれたものだよ。聖母が地獄を訪れ、大天使ミハイルの案内で《苦悩》を見てまわる。さまざまな罪びとやその苦しみを見るのだが、その中に、火の池に落ちたきわめて注目すべき範疇の罪びとがいるのだ。彼らのうちにはその池に深く沈んで、二度ともう浮かびあがれぬような連中もいて、『神もすでに彼らを忘れたもう』-実に深みのある力強い表現だろう。ところで、はげしく心を打たれた聖母は、泣きながら神の御座の前にひれ伏して、地獄に堕ちたすべての者に、自分が地獄で見たすべての者に、分けへだてなく、恵みを乞う。この聖母と神との対話がたいそう興味深いんだ。聖母は懇願し、立ち去ろうとしない。そして神が、聖母の息子(訳注 キリストのこと)の釘付けにされた手足をさし示して、あの子の迫害者たちをどうして赦せるだろうとたずねられたとき、聖母はすべての聖者や、殉教者、天使、大天使たちに、自分といっしょにひれ伏して、分けへだてなくすべての者に恵みを乞うように命ずるのだ。こうして結局、聖母の願いは神にきき入れられ、毎年、神聖金曜日から精霊降臨祭まで、地獄の責苦は休止されることになるのだが、ここで地獄の罪びとたちは神に感謝して、『主よ、こう裁きたもうたあなたは正しい』と叫ぶんだよ。・・・・

ここで「イワン」の話を区切ります。

まず、この物語と直接関係はありませんが、ヴィクトル・ユーゴーの『ノートル・ダム・ド・パリ』について調べました。

「『ノートルダム・ド・パリ』(Notre-Dame de Paris)は、ヴィクトル・ユーゴーの小説。『ノートルダムのせむし男』の邦題でも知られている。出版は1831年。あらすじは、舞台は荒んだ15世紀(1482年)のパリ。教会の持つ権限が、弾圧と排除を生み出す時代の物語。ノートルダム大聖堂の前に、一人の醜い赤ん坊が捨てられていた。彼は大聖堂の助祭長、フロロ(Frollo)に拾われ、カジモド(Quasimodo)という名をもらう。彼は成長し、ノートルダムの鐘つきとなる。パリにやって来た美しいジプシーの踊り子エスメラルダ(Esmeralda)に、聖職者であるフロロは心を奪われる。欲情に悩み、ついにはカジモドを使ってエスメラルダを誘拐しようとする。しかしカジモドは捕らえられ、エスメラルダは衛兵フェビュス(Phoebus)に恋するようになる。フェビュスとエスメラルダの仲は深まるが、実はフェビュスは婚約者がいる不実な男だった。捕らえられたカジモドは広場でさらし者になるが、ただ一人エスメラルダだけは彼をかばう。カジモドは人間の優しさを生まれて初めて知り、彼女に恋をする。フロロも彼女に想いを募らせるが、エスメラルダの心はフェビュスにある。フロロは逢引をするふたりをつけて行き、フェビュスを刺して逃げる。エスメラルダはフェビュス殺害未遂の濡れ衣を着せられ、魔女裁判の元に死刑が言い渡される。カジモドはエスメラルダを救いノートルダム大聖堂にかくまう。しかし、エスメラルダはカジモドのあまりの醜さにまともに顔を見ることすらできなかった。フロロはパリの暴動の矛先をノートルダム大聖堂に向けさせ、混乱の中エスメラルダを連れ出し、助命と引き換えに愛人になるよう迫るが、彼女はフェビュスを刺したフロロを拒んだ。フロロは彼女を衛兵に引き渡し、エスメラルダは兵士達に捕まり、処刑される。大聖堂の塔の上からそれを見届けるフロロを、カジモドは塔から突き落として殺す。数年後、処刑場を掘り起こすと、白い服装をしていた女性エスメラルダと思われる白骨に、異様な骨格の男の白骨が寄り添っており、それらを引き離そうとすると、砕けて粉になってしまった。」

ところが、以下のような文章をネットで見つけましたので、一部分を引用しておきます。

「・・・・イワンが引用、言及する作品の原典に当たり、背景となっている歴史、宗教的事象を調べると、驚くべきことに、彼の知識や認識には重大な誤謬があることがわかる。一例をあげよう。「大審問官」の冒頭部で、イワンは前置きが必要だと言って、ヴィクトル・ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』の一挿話に言及する。当該原文はこうである――「ヴィクトル・ユゴーの «Notre Dame de Paris» には、ルイ十一世の治世に、フランス皇太子の生誕を祝って、パリ市役所の大広間で «Le bon jugement de la très sainte et gracieuse vierge Marie» と題する教訓劇が民衆向けに無料で上演される場面があるがね、そこには聖母自身が舞台に登場して、«bon jugement» をおこなうんだよ」。ユゴーを一読すればわかるが、このわずか4行たらずの文に5か所の錯誤を指摘できる(下線部)。そもそも『ノートル=ダム』冒頭のこのエピソード自体が公現祭の「愚者の祭り」を背景とする、騒々しくも下世話なカーニヴァル的なものであって、イワンが自らの存在と思想のすべてをかけて語る深刻きわまりない物語詩の前置きにはふさわしくないと言わなければならない。これは作者の単なる「不注意」だろうか(グロスマン、江川卓はそう考える)。だが、ドストエフスキーがユゴーを長年愛読し、『ノートル=ダム・ド・パリ』を「天才的な力強い作品」と高く評価し、しかもそのロシア語訳が『ヴレーミャ』1862年9号に掲載されたことを考慮するならば、「不注意」説はとうてい首肯できるものではない。こうは考えられないだろうか――作者はユゴーの作品に通暁しているが、イワンは知らない、彼はおそらく『ノートル=ダム』を読んでいないのだ。そして「大審問官」での錯誤がこの一件にとどまらず、イワンの知識の不備、欠落、混乱が歴史、宗教、
文化の諸事象に及ぶ以上、これはドストエフスキーの確信犯的な作為と見なすほかないのではないか。作家がこの24歳の青年を、イロニーをこめて、「学者」と呼んだことを忘れてはならない。・・・・」とのことですが、おもしろいですね。


「ルイ11世(Louis XI, 1423年7月3日 - 1483年8月30日)は、フランス・ヴァロワ朝の王(在位:1461年 - 1483年)。慎重王(le Prudent)と呼ばれる。」とのこと。

ピョートル1世については「(ロシア語: Пётр I Алексеевич;ラテン文字表記の例: Pyotr I Alekseevich, 1672年6月9日(ユリウス暦5月30日) - 1725年2月8日(ユリウス暦1月28日))は、モスクワ・ロシアのツァーリ(在位:1682年 - 1725年)、初代ロシア皇帝(インペラートル / 在位:1721年 - 1725年)。大北方戦争での勝利により、ピョートル大帝(ピョートル・ヴェリーキイ / Пётр Вели́кий)と称される。ツァーリ・アレクセイ・ミハイロヴィチの六男、母はナタリヤ・ナルイシキナ。ロシアをヨーロッパ列強の一員とし、スウェーデンからバルト海海域世界の覇権を奪取してバルト海交易ルートを確保。また黒海海域をロシアの影響下におくことを目標とした。これらを達成するために治世の半ばを大北方戦争に費やし、戦争遂行を容易にするため行政改革、海軍創設を断行。さらに貴族に国家奉仕の義務を負わせ、正教会を国家の管理下におき、帝国における全勢力を皇帝のもとに一元化した。また歴代ツァーリが進めてきた西欧化改革を強力に推進し、外国人を多く徴用して、国家体制の効率化に努めた。1721年11月2日には大北方戦争の勝利を記念し、元老院にインペラートルの称号を贈らせ、国家名称をロシア帝国に昇格させた。ロシアを東方の辺境国家から脱皮させたその功績は大きく、「ロシア史はすべてピョートルの改革に帰着し、そしてここから流れ出す」とも評される。なお、ピョートルの存命時のロシアはグレゴリオ暦を採用しておらず、文中の日付はユリウス暦である。」とのこと。

聖母マリアについて「(せいぼマリア、ヘブライ語: מִרְיָם‎, Miryām, アラム語: ܡܪܝܡ‎, Maryām, ギリシア語: Μαρία, María)は、イエス・キリスト(ナザレのイエス)の母、ナザレのヨセフの妻。ヨアキムとアンナの娘とされている。「聖母(せいぼ)」はカトリック教会、聖公会で最も一般的な称号である。おとめマリア、処女マリア、神の母マリアとも。正教会の一員である日本ハリストス正教会では生神女マリヤ(しょうしんじょマリヤ)の表現が多用される。」とのこと。

ミカエルについて「(ヘブライ語:מִיכָאֵל [Mîā’ēl])は、旧約聖書の『ダニエル書』、新約聖書の『ユダの手紙』『ヨハネの黙示録』、旧約聖書外典『エノク書』などに名があらわれる天使。日本正教会では教会スラヴ語・ロシア語からミハイルと表記される。キリスト教ではミカエルが死の天使として人間の魂を秤に掛けるという。」とのこと。


なお、『聖母マリヤの苦悩の遍歴』は既に 14世紀にはロ シアの民衆の聞に流布していたとのことがどこかに書かれていました。


2017年9月6日水曜日

524

五 大審問官

「ところでこの場合も、前置きなしというわけにはいかないんだ、つまり序文ぬきというわけにはね、ちぇっ!」

「イワン」は笑いました。

「たいした作家気取りだろうが! さて、舞台は十六世紀。当時は、と言ってもお前だって学校で習って知っているはずだけれど、当時はちょうど、詩の中で天上のもろもろの力を地上に引きずりおろすことがはやっていた。ダンテのことはいうまでもなく、フランスでは裁判所の書記や、修道院の僧たちも一連の芝居をやって、マドンナや、天使、聖者、キリスト、さらには神そのものまで舞台に引っ張りだしたもんだ。当時はすべてが実に素朴だったからね。・・・・

短いですが、ここで切ります。

「ダンテ」とは、「ダンテ・アリギエーリ」、「ダンテ・アリギエーリ(イタリア語:Dante Alighieri、1265年 - 1321年9月14日)は、イタリア都市国家フィレンツェ出身の詩人、哲学者、政治家。ダンテの代表作は古代ローマの詩人ウェルギリウスと共に地獄(Inferno)、煉獄(Purgatorio)、天国(Paradiso)を旅するテルツァ・リーマで構成される叙事詩『神曲(La Divina Commedia)』であり、他に詩文集『新生(La Vita Nuova)』がある。イタリア文学最大の詩人で、大きな影響を与えたとされるルネサンス文化の先駆者と位置付けられている」とのこと。


『神曲(La Divina Commedia)』について「ダンテが『神曲』三篇の執筆を始めたのは1307年頃で、各都市の間を孤独に流浪していた時期である。『神曲』においては、ベアトリーチェに対する神格化とすら言えるほどの崇敬な賛美と、自分を追放した黒党および腐敗したフィレンツェへの痛罵、そして理想の帝政理念、「三位一体」の神学までもが込められており、ダンテ自身の波乱に満ちた人生の過程と精神的成長をあらわしているとも言える。とくにダンテが幼少期に出会い、その後24歳にして夭逝したベアトリーチェを、『新生』につづいて『神曲』の中に更なる賛美をこめて永遠の淑女としてとどめたことから、ベアトリーチェの存在は文学史上に永遠に残ることになった。『神曲』は地獄篇、煉獄篇と順次完成し、天国篇を書き始めたのは書簡から1316年頃と推定される。『神曲』が完成したのは死の直前1321年である。ダンテは1318年頃からラヴェンナの領主のもとに身を寄せ、ようやく安住の地を得た。ダンテはラヴェンナに子供を呼び寄せて暮らすようになり、そこで生涯をかけた『神曲』の執筆にとりかかる。そして1321年に『神曲』の全篇を完成させたが、その直後、外交使節として派遣されたヴェネツィアへの長旅の途上で罹患したマラリアがもとで、1321年9月13日から14日にかけての夜中に亡くなった。客死したダンテの墓は今もラヴェンナにあり、サン・フランチェスコ教会の近くに小さな霊廟が造られている。フィレンツェはたびたびラヴェンナにダンテの遺骨の返還を要求しているが、ラヴェンナはこれに応じていない。」とウィキペディアに書かれていました。


2017年9月5日火曜日

523

「反逆? お前からそんな言葉は聞きたくなかったな」

「イワン」がしみじみした口調で言いました。

「反逆などで生きていかれるかい、俺は生きていたいんだぜ。ひとつお前自身、率直に言ってみてくれ、お前を名ざしてきくんだから、ちゃんと答えてくれよ。かりにお前自身、究極においては人々を幸福にし、最後には人々に平和と安らぎを与える目的で、人類の運命という建物を作ると仮定してごらん、ただそのためにはどうしても必然的に、せいぜいたった一人かそこらのちっぽけな存在を、たとえば例の小さな拳で胸をたたいて泣いた子供を苦しめなければならない、そしてその子の償われぬ涙の上に建物の土台を据えねばならないとしたら、お前はそういう条件で建築家になることを承諾するだろうか、答えてくれ、嘘をつかずに!」

「反逆などで生きていかれるかい、俺は生きていたいんだぜ。」というのは、神に逆らって生きていかれるかということでしょうが、「ミウーソフ」などもそうですが、このころはそういう思想の立場の人はたくさんいたように思いますが。

「いいえ、承諾しないでしょうね」

「アリョーシャ」が低い声で言いました。

「それじゃ、お前に建物を作ってもらう人たちが、幼い受難者のいわれなき血の上に築かれた自分たちの幸福を受け入れ、それを受け入れたあと、永久に幸福でありつづけるなんて考えを、お前は認めることができるかい?」

「いいえ、認めることはできません。兄さん」

ここで言われていることに反して現代の民主主義は少数者を切り捨てて成り立つ仕組みです。

理念的には一人の人間をも切り捨てることは許されないことですが、この現実世界では多数者の意見でそれを容認しており、見て見ぬ振りをしています。

ふいに目をかがやかせて、「アリョーシャ」が言いました。

「兄さんは今、この世界じゅうに赦すことのできるような、赦す権利を持っているような存在がはたしてあるだろうかと、言ったでしょう? でも、そういう存在はあるんですよ、その人(訳注 キリストのこと)ならすべてを赦すことができます。すべてのこと(六字の上に傍点)に対してありとあらゆるものを赦すことができるんです。なぜなら、その人自身、あらゆる人、あらゆるもののために、罪なき自己の血を捧げたんですからね。兄さんはその人のことを忘れたんだ、その人を土台にして建物は作られるんだし、『主よ、あなたは正しい。なぜなら、あなたの道は開けたからだ』と叫ぶのは、その人に対してなんです」

「ああ、それは《ただ一人の罪なき人》と、その人の流した血のことだな! いや、俺は忘れてやしない。むしろ反対に、お前がいつまでもその人を引っ張り出してこないんで、ずっとふしぎに思っていたくらいさ。なにしろ、たいていの議論の際にお前の仲間はみんな、真っ先にその人を押したてるのが普通だからな。あのね、アリョーシャ、笑わないでくれよ、俺はいつだったか、そう一年くらい前に、叙事詩を一つ作ったんだよ。もし、あと十分くらい付き合ってくれるんなら、そいつを話したいんだけどな」

「兄さんが叙事詩を書いたんですか?」

「いや、書いたわけじゃないよ」

「イワン」は笑いだしました。

「それに俺は生れてこの方、一度だって二行の詩さえ作ったことはないからな。でも、この叙事詩は頭の中で考えついて、おぼえてしまったんだ。熱心に考えたもんさ。お前が最初の読者、つまり聞き手になるわけだ。実際、作者としてはたとえたった一人の聞き手でも、失う法はないものな」

「イワン」は苦笑しました。

「話そうか、そうしようか?」

「大いに聞きたいですね」

「アリョーシャ」が言いました。

「俺の叙事詩は『大審問官』という表題でね。下らぬ作品だけど、お前にはぜひきかせたいんだよ」

「叙事詩」とは「物事、出来事を記述する形の韻文であり、ある程度の長さを持つものである。一般的には民族の英雄や神話、民族の歴史として語り伝える価値のある事件を出来事の物語として語り伝えるものをさす。口承文芸として、吟遊詩人や語り部などが伝え、その民族の古い時代には次世代の教養の根幹を成したり、教育の主要部分となることも多かった。後世に書き残され、歴史資料に保存されることになったものが多い。」また「厳密な意味で、日本に叙事詩が存在しない」とのことですが、アイヌのユーカラは叙情詩ですね。


また、「叙情詩」とは「詩歌の分類の一種。詩人個人の主観的な感情や思想を表現し、自らの内面的な世界を読者に伝える詩をいう。叙情詩とも言うが、「汲み出す」の意味から「表現する」を表すようになった漢字「抒」を使うのが本来的である。叙事詩と劇詩とともに詩の三大区分の一つである。抒情には、直接内面を表現するもの、風景に寄せて内面を表現するもの、事物に託して内心を表現するもの、歴史的事件や人物に寄せて内面を表現するものなどさまざまな方法がある。」とのこと。


2017年9月4日月曜日

522

「イワン」の話の続きです。

「・・・・そんなことを俺は認めるわけにはいかないんだよ。だから、この地上にいる間に、俺は自分なりの手を打とうと思っているんだ。わかるかい、アリョーシャ、そりゃことによると、俺自身がその瞬間まで生き永らえるなり、その瞬間を見るためによみがえるなりしたとき、わが子の迫害者と抱擁し合っている母親を眺めながら、この俺自身までみんなといっしょに『主よ、あなたは正しい!』と叫ぶようなことが本当に起るかもしれない、でも俺はそのときに叫びたくないんだよ。まだ時間のあるうちに、俺は急いで自己を防衛しておいて、そんな最高の調和なんぞ全面的に拒否するんだ。そんな調和は、小さな拳で自分の胸をたたきながら、臭い便所の中で償われぬ涙を流して《神さま》に祈った、あの痛めつけられた子供一人の涙にさえ値しないよ! なぜ値しないかといえば、あの子の涙が償われずじまいだったからさ。あの涙は当然償われなけりゃならない、それでなければ調和もありえないはずじゃないか。しかし、何によって、いったい何によって償える? はたしてそんなことが可能だろうか? 迫害者たちが復讐されることによってか? しかし、俺にとって復讐が何になる。なぜ迫害者のための地獄なんぞが俺に必要なんだ。子供たちがすでにさんざ苦しめられたあとで、地獄がいったい何を矯正しうると言うんだ? それに、地獄があるとしたら、調和もくそもないじゃないか。俺だって赦したい、抱擁したい、ただ俺は人々がこれ以上苦しむのはまっぴらだよ。そして、もし子供たちの苦しみが、真理を買うのに必要な苦痛の総額の足し前にされたのだとしたら、俺はあらかじめ断っておくけど、どんな真理だってそんなべらぼうな値段はしないよ。結局のところ俺は、母親が犬どもにわが子を食い殺させた迫害者と抱擁し合うなんてことが、まっぴらごめんなんだよ! いくら母親でも、その男を赦すなんて真似はできるもんか! 赦したけりゃ、自分の分だけ赦すがいい。母親としての測り知れぬ苦しみの分だけ、迫害者を赦してやるがいいんだ。しかし、食い殺された子供の苦しみを赦してやる権利なぞありゃしないし、たとえ当の子供がそれを赦してやったにせよ、母親が迫害者を赦すなんて真似はできやしないんだよ! もしそうなら、もしその人たちが赦したりできないとしたら、いったいどこに調和があるというんだ? この世界じゅうに、赦すことのできるような、赦す権利を持っているような存在がはたしてあるだろうか? 俺は調和なんぞほしくない。人類への愛情から言っても、まっぴらだね。それより、報復できぬ苦しみをいだきつづけているほうがいい。たとえ俺が間違っているとしても(十五字の上に傍点)、報復できぬ苦しみと、癒されぬ憤りとをいだきつづけているほうが、よっぽどましだよ。それに、あまりにも高い値段を調和につけてしまったから、こんなべらぼうな入場料を払うのはとてもわれわれの懐ろではむりさ。だから俺は自分の入場券は急いで返すことにするよ。正直な人間であるからには、できるだけ早く切符を返さなけりゃいけないものな。俺はそうしているんだ。俺は神を認めないわけじゃないんだ、アリョーシャ、ただ謹んで切符をお返しするだけなんだよ」

「それは反逆ですよ」

「アリョーシャ」は目を伏せて、小さな声で言いました。

「イワン」の言うことは、あるところまでよく考えられていていますが、最後は自分本意になり、ああ言ったりこう言ったりで論理的ではありませんね。

要するにいろいろ言ったが「子供に罪はない」ということだけです。


そして、神の存在については門外の人間であり、「だから謹んで切符をお返しする」と。


2017年9月3日日曜日

521

「イワン」の発言の続きからです。

「・・・・その報復もそのうちどこか無限のかなたでなどじゃなく、この地上で起ってもらいたいね。俺がこの目で見られるようにな。俺はそれを信じてきたし、この目で見たいのだ。もしその時までに俺が死んでしまうようなら、よみがえらせてほしい。だって、俺のいないところですべてが起るとしたら、あまりにも腹立たしいものな。俺が苦しんできたのは決して、自分自身や、自己の悪行が苦しみを、だれかの未来の調和にとっての肥料にするためにじゃないんだ。俺は、やがて鹿がライオンのわきに寝そべるようになる日や、斬り殺された人間が起き上がって、自分を殺したやつと抱擁するところを、この目で見たいんだよ。何のためにすべてがこんなふうになっていたかを、突然みんながさとるとき、俺はその場に居合わせたい。地上のあらゆる宗教はこの願望の上に創造されているんだし、俺もそれを信じている。しかし、それにしても子供たちはどうなるんだ。そのときになって俺はあの子供たちをどうしてやればいいんだ? これは俺には解決できない問題だよ。百遍だって俺はくりかえして言うけれど、問題はたくさんあるのに、子供だけを例にとったのは、俺の言わねばならぬことが、そこに反駁できぬほど明白に示されているからなんだ。そうじゃないか、たとえ苦しみによって永遠の調和を買うために、すべての人が苦しまなければならぬとしても、その場合、子供にいったい何の関係があるんだい、ぜひ教えてもらいたいね。何のために子供たちまで苦しまなけりゃならないのか、何のために子供たちが苦しみによって調和を買う必要があるのか、まるきりわからんよ。いったい何のために、子供たちまで材料にされて、だれかの未来の調和のためにわが身を肥料にしたんだろう? 人間同士の罪の連帯性ってことは、俺にもわかるし、報復の連帯性もわかる。しかし、罪の連帯性なんぞ、子供にあるものか。もし、子供も父親のあらゆる悪行に対して父親と連帯責任があるというのが、本当に真実だとしたら、もちろん、そんな真実はこの世界のものじゃないし、俺には理解できんよ。なかには素頓狂なやつがいて、どのみち子供もいずれは大人になって罪を犯すにきまっている、なんて言うかもしれないけれど、現にあの子供はまだ大人になっていなかったんだ。わずか八歳で犬どもに食い殺されたんだからな。ああ、アリョーシャ、俺は神を冒瀆してるわけじゃないんだよ! やがて天上のもの、地下のものすべてが一つの賞讃の声に融け合い、生あるもの、かつて生をうけたものすべてが『主よ、あなたは正しい。なぜなら、あなたの道が開けたからだ!』と叫ぶとき、この宇宙の感動がどんなものになるはずか、俺にはよくわかる。母親が犬どもにわが子を食い殺させた迫害者と抱き合って、三人が涙とともに声を揃えて『主よ、あなたは正しい』と讃えるとき、もちろん、認識の栄光が訪れて、すべてが解明されることだろう。しかし、ここでまたコンマが入るんだ。

「イワン」の話の途中ですがここで区切ります。

実際のところ、話というのは最後まで聞かなければわからないのですが、長い話は便宜上途中途中で切っていくしかありませんので、その理解も間違っていることも多々あることをご了承ください。

「イワン」の頭の中には「革命」ということがあるのではないかと思います。

今となってはこの「革命」という言葉ほど手垢がついてイメージダウンした言葉はありません、が「イワン」の時代には輝いていたはずです。

作者はあえてこの言葉を使わなかったのか、使えなかったのかわかりませんが、「未来の調和」などという言葉を使っています。

ここでは、私は何も考えずに「革命」という言葉を使います。

報復が地上で起こってほしいとは、「革命」を待ち望んでいるのではないかと思います。

そして「革命」が自分の生きている間に起こってほしいと言っています。

そして「鹿がライオンのわきに寝そべるようになる日や、斬り殺された人間が起き上がって、自分を殺したやつと抱擁する」というのは空想的で理想主義的な表現ですが、あらゆる対立をなくし平等化された世界をこの目で見たいと言っています。

そしてさらに「何のためにすべてがこんなふうになっていたかを、突然みんながさとるとき、俺はその場に居合わせたい」と、これは世界史の理解であり、人間を理解する哲学のことですね。

しかし「イワン」は「俺の言わねばならぬこと」として「子供」のことを、つまり彼が言いたいことは人間一般のことですが、誰にもわかりやすいということで「子供」のことに固執します。

また、彼は「未来の調和」という言葉を使っていますが、これはどういう意味でしょう、辻褄合わせができた社会ということでしょうか、今起こっているさまざまな「ばかなこと」だらけの世界を捨て石として、将来的に出現する理想の社会のことでしょうか、仮に「報復」が「革命」だとすると「共産主義の世の中」ということになります。


「イワン」は「子供」というのは何の罪もないし、その存在に何の責任もないのだから、将来の理想社会のための辻褄合わせの捨て石にされるべきではないと言っています。


2017年9月2日土曜日

520

「ばかなことを言ってしまいましたけど、でも・・・・」

「ほら、そのでも(二字の上に傍点)ってのが問題なんだよ・・・・」

「イワン」が叫びました。

「いいかい、見習い僧君、この地上ではばかなことが、あまりにも必要なんだよ。ばかなことの上にこの世界は成り立っているんだし、ばかなことがなかったら、ひょっとすると、この世界ではまるきり何事も起らなかったかもしれないんだぜ。われわれは知るべきことはちゃんと知っているんだよ」

「アリョーシャ」の「ばかなことを言ってしまいましたけど、でも・・・・」は先ほど「銃殺です!」という発言を反省してのことです。

しかし「イワン」は揚げ足をとるように、その「ばかなことの上にこの世界は成り立っている」と言います。

現実におこっているばかなことの全体が世界ということですね。

「兄さんは何を知ってるんです?」

「俺には何もわからないよ」

「イワン」はうわごとでも言うようにつづけました。

「それに今は何もわかりたくないしな。俺はあくまでも事実に即していたいんだ。だいぶ前から理解なんぞしないことに決めたんだよ。何事かを理解しようとすると、とたんに事実を裏切ることになってしますんで、あくまでも事実に即していようと決心したんだ・・・・」

ここでは「知る」と「わかる」が区別されています。

「知る」ことは見、聞き、知り情報を得るとことで、「わかる」ことは理解し、論理的に理屈をつけることです。

「兄さんは何のために僕を試したりするんです?」

「アリョーシャ」ははげしい感情をこめて悲痛に叫びました。

「最後に話してくれるんでしょうね?」

「もちろん言うとも。言うために、話をこうやって運んできたんだからな。お前は俺にとって大切な人間だから、お前を手放したくないし、ゾシマ長老なんぞに引き渡しはしないぜ」

「イワン」はしばし沈黙しました。

その顔はふいにひどく愁わしげになりました。

「まあ、きいてくれ。俺は、より明白にさせるために、子供ばかり例にあげたんだよ。地表から中心までこの地球全体にしみこんでいる、ほかの人間たちの涙については、もう一言も言わない。俺はわざとテーマを狭めてみせたんだ。俺は南京虫にもひとしい人間だから、何のためにすべてがこんな仕組みになっているのか、さっぱり理解できないってことを、謙虚に認めるよ。つまり、わるいのは人間自身なのさ。天国を与えられていたのに、不幸になるのを承知の上で、自由なんぞを欲し、天上の火を盗んだんだからな。つまり、人間なんぞ憐れむことはないってわけだ。ああ、俺の考えでは、俺のみじめな地上的、ユークリッド的頭脳では、俺にわかるのは、苦しみが現に存在していること、罪びとなどいないこと、すべては単純直截にそれからそれへと派生し、すべてが流れて釣り合いを保っていることくらいだよ。しかし、これだってユークリッド的なたわごとにすぎないんだ。なにしろ俺はそのことを知っているんだし、そんなたわごとに従って生きていくことには同意できないんだからな! 罪びとがいないからといって、そして俺がそれを知っているからといって、そんなことが俺にとって何になるというんだ-俺に必要なのは報復だよ、でなかったら俺はわが身を滅ぼしてしまうだろう。

ここで、「イワン」の話をいったん切ります。

突然「報復」という言葉が出てきました。

「イワン」はこの地球上で起こっていることすべてに納得がいかないのですね。


そして、自分を納得させるためには「報復」しかないと思っているのですが、「報復」の具体的な意味がここではまだわかりません。


2017年9月1日金曜日

519

「かまいません、僕も苦しみたいんですから」

「アリョーシャ」はつぶやきました。

「もう一つ、もう一つだけこんな光景を披露しておこう、それも好奇心から話すので、ひどく特徴的な光景なんだ。なにより、ついこの間ロシアの古文書集の一つで読んだばかりだしな。『古記録』だったか、『古代記』だったか、調べてみなけりゃならないけど、どこで読んだのか、それさえ忘れちまったよ。まだ今世紀のはじめ、農奴制下のいちばん陰惨な時代の話だ。まったく民衆の解放者(訳注 一八六一年に農奴制を廃したアレクサンドル二世を意味する)万歳だよ! ところで、今世紀のはじめ、さる将軍がいた。有力な縁故に恵まれた将軍で、きわめて裕福な地主だったけれど、軍務から引退するや、これで自分の領民たちの生死まで左右する権利を獲得したとほとんど信じきってしまったような地主の一人だったんだ。たしかに、こういう地主は当時でもすでにごく少数だったらしいが、そのころはそんな連中がいたんだよ。将軍は二千人もの農奴を擁する領地に暮し、威張りかえって、近隣の小地主たちを居候か、お抱えの道化みたいに見下していた。犬舎には数百匹の猟犬がいるし、ほとんど百人近い犬番がみな揃いの制服を着て、馬に乗っているんだ。ところがある日、召使の忰で、せいぜい八つかそこらの小さな男の子が、遊んでいるはずみに、なんとなく石を投げて、将軍お気に入りのロシア・ハウンドの足を怪我させちまったのさ。『どうして、わしのかわいい犬がびっこをひいとるんだ?』と将軍がたずねると、実はこの少年が石をぶつけて足を怪我させたのでございます、という報告だ。『ああ、貴様の仕業か』将軍は少年をにらみつけて、『こいつを引っ捕えろ!』と命ずる。少年は捕えられ、母親の手もとから引きたてられて、一晩じゅう牢に放りこまれた。翌朝、夜が明けるか明けぬうちに、将軍が狩猟用の盛装をこらしてお出ましになり、馬にまたがる。まわりには居候どもや、猟犬、犬番、勢子たちが居並び、みんな馬に乗っているし、さらにそのまわりには召使たちが見せしめのために集められ、いちばん前に罪を犯した少年の母親が据えられているんだ。やがて少年が牢から引きだされる。霧のたちこめる、陰鬱な、寒い、猟には持ってこいの秋の日でな。少年を裸にしろという将軍の命令で、男の子は素裸にされてしまう。恐ろしさのあまり、歯の根が合わず、うつけたようになってしまって、泣き叫ぶ勇気もない始末だ・・・・『そいつを追え!』将軍が命令する。『走れ、走れ!』犬番たちがわめくので、少年は走りだす・・・・『襲え!』将軍は絶叫するなり、ボルゾイの群れを一度に放してやる。母親の目の前で犬に噛み殺させたんだよ。犬どもは少年をずたずたに引きちぎってしまった!・・・・将軍は後見処分にされたらしいがね。さて・・・・こんな男をどうすればいい? 銃殺か? 道義心を満足させるために、銃殺にすべきだろうか? 言ってみろよ、アリョーシャ!」

「銃殺です!」

ゆがんだ蒼白な微笑とともに眼差しを兄にあげて、「アリョーシャ」が低い声で口走りました。

「でかしたぞ!」

「イワン」は感激したように叫びました。

「お前がそう言うからには、つまり・・・・いや、たいしたスヒマ僧だよ! つまり、お前の心の中にも小さな悪魔がひそんでいるってわけだ、アリョーシャ・カラマーゾフ君!」

ここで「勢子」とは、「勢子(せこ、せご)とは、狩猟を行う時に、山野の野生動物を追い出したり、射手(待子:まちこ、立間:たつま)のいる方向に追い込んだりする役割の人を指す。かりこ(狩子、狩り子)、列卒ともいう。多人数で行う巻狩りなどの狩猟法で、勢子は活躍した。領主などの権力者が行うような大規模な巻狩では参加する勢子の人数が数百人を超えることもしばしあった。」とのこと。

「後見処分」とはどういうものかはわかりませんでした。

また、「スヒマ僧」についてもよくわかりませんでしたが、ネットで見つけた「ロシア正教会」関係の文章では、修道士に「リヤサフォル」「小スヒマ」「大スヒマ」三つの段階があって、「リヤサフォル」とは修道請願はまだ行わないけども道徳上は修道士と同じで修道院規則を守る責任があり、「リヤサ」を身にまとうのでこの言葉があるそうで「小スヒマ」の「スヒマ」とは、内面的な悔い改めを現す外面的な従順という意味があり「大スヒマ修道士(スヒムニク)」はかなり厳しい斎(ものいみ)や祈祷の生活を送ると書かれていました。

これで一応「イワン」の例証も終わりました。

結局、「イワン」は「人類の苦悩」について話すためまず「子供の苦悩」についての話を中心に語りました。

そして、彼は立派なコレクションができるくらいある種の事実を集めており、特にロシアの子供の話はたくさん集めているということです。


その中で今紹介されたのは、①最近モスクワでさるブルガリヤ人からきいた話でトルコ人やチェルケス人たちの残虐行為として母親の目の前で赤ん坊を宙に放りあげ、それを銃剣で受けとめたり、赤ん坊を笑わせた瞬間に銃殺した件、②羊飼いたちのところで小さな野獣のように育ったリシャールという凶悪な殺人犯の話で、彼が獄中で改心したにもかかわらずギロチンで首をはね落とされた件、③「ネクラーソフ」に詩にあるようにロシアでは百姓が疲れた馬の目を鞭で打ち据えることが往々にしてあるという件、④「実業家クロネベルグの事件」のことで、教養あるインテリの紳士と奥さんが、七つになる自分の娘を細枝で鞭打ち、裁判で無罪になった件、⑤《教養豊かで礼儀正しく、官位も高い尊敬すべき人士》である両親が五歳の小さな女の子を殴る、鞭打つ、足蹴にし、母親が便所に閉じこめた件、⑥今世紀のはじめ、農奴制下のいちばん陰惨な時代の話で、ある裕福な地主が自分の犬に怪我をさせた八つかそこらの小さな男の子を母親の前で犬に噛み殺させた話、以上です。