「アリョーシャ」はよくよく考え抜いた末に「不死と神は存在する」と確信しました。
そして、自分はそのために生きて、中途半端な妥協など受け入れないという決心をしました。
しかし、彼の考えた結論が反対に「不死や神は存在しない」となっていれば、すぐに無神論者か社会主義者になっていたでしょう。
なぜならば、と、次はカッコ書きで書かれています。
(なぜなら、社会主義とは、単に労働関係や、いわゆる第四階級の問題ではなく、主として無神論の問題でもあり、無神論の現代的具体化の問題、つまり、地上から天に達するためではなく、天を地上に引きおろすために、まさしく神なしに建てられるバベルの塔の問題でもあるからだ)と。
そして、「第四階級」とは何か、訳注が付けられています。
それによると、封建社会で第一階級は国王や大名、第二階級は貴族、僧侶、第三階級はブルジョアジーを中心とする平民、そして第四階級はプロレタリアートを示すそうです。
この辺も私にとってはたいへん難しいです。
まず「社会主義」というのは、思想であったり、運動であったりするのですが、その定義はいろいろあると思います。
ひとことで言うことは、できないでしょうが、無理やり言ってしまえば、単純すぎるかもしれませんが「平等」ということではないでしょうか。
私の想像でしかありませんが、「アリョーシャ」が目をつけたのもそういう社会的な矛盾を解消しようというところからで、その手段が宗教であっても、社会革命であってもよかったのかもしれません。
0 件のコメント:
コメントを投稿