2016年7月4日月曜日

95

「アリョーシャ」にはみんなと同じように真理を求め、生命をかけて行動する「わが国の現代青年」という一面もありました。

しかし、一般には不幸なことに、これら青年たちはある場合には生命を犠牲にすることが、もっとも簡単なことであるということがわかっていません。

また、青春期の5〜6年間を、自分の理想を達成するための力を10倍ほども強めるために、つらい困難な勉学や研究のために犠牲にすることがどれだけたいへんなことであるか、まったくと言っていいほどわかっていません。

しかし、「アリョーシャ」の場合は違っていました。

彼は多くの青年と同じように早く偉業をなしとげたいという思いは同じでしたが、みんなと反対の道を選びました。

このあたりは、どういう意味か、私はわかりません。

ロシアの青年たちは目先の目的のために命を犠牲にしがちであり、たいへん忍耐力のいることではあるが、今はじっと我慢してよりよい目的達成のためにもっと勉強したり研究したりする必要があるというようなことを言っているのでしょうか、わたしにはこの部分の意味がよくわかりませんでした。


0 件のコメント:

コメントを投稿