2016年8月16日火曜日

138

「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」は庵室の《形式主義》にひとわたりざっと目を走らせ、射るような視線を長老にそそぎました。

「彼は自分の目を高く買っていた。そんな欠点があるのだ。が、いずれにせよ、彼がすでに五十歳、つまり、聡明で世馴れた、生活の心配のない人間なら必ず自分に対して、ときには意に反してさえ、敬意をいだくようになる年輩になっていることを考慮に入れるなら、大目に目てやるべき欠点である。」

これは、自信過剰ということでしょうか、それを年輩者の「大目に見てやるべき欠点」と言っていますね。

「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」の場合は、自らの思想に基づく批評的で挑戦的な志向がありますので、この庵室内のことすべてが権威的で《形式主義》的なものと捉えて、ある意味用心深くなっているのでしょう。

彼は、「最初の瞬間から」長老が気に入りませんでした。

ここで長老の容姿について書かれています。

まず、長老の顔には「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」以外の多くの者にも気に入らぬと思われるような何かがありました。

それは、彼が小柄で猫背で足が弱く、病気のせいでまだ六十五歳でしかないのに老けて、十くらい上に見えたことと、顔全体がしなびて、細かい小皺におおわれていて、それは特に目のまわりに多く、目は小さく、色は明るいが、「まるで二つのきらきら光る点のように、よくかがやき、すばやく動」きました。

また、白い髪が残っているのは、小鬢のあたりだけで、しょぼしょぼしたまばらな顎ひげがくさび型に生え、しばしば薄笑いをうかべる唇は二本の細引きのように細いのでした。

鼻は長いというほどではありませんでしたが、まるで鳥の嘴のように尖っていました。


以上、いろいろ書かれていますが、要するに老けているということでしょうね。


0 件のコメント:

コメントを投稿