2017年1月30日月曜日

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ここで女主人の家の庭の様子が説明されています。

庭は一ヘクタール(訳注 約三千坪強)か、それよりやや広い程度であり、庭木は四方の塀に沿って周囲に、リンゴや楓、菩提樹、白樺などが植えてあるだけだった、といかにも周囲の家の庭と比べて貧相なように書かれていますが、兎小屋に住む日本人の感覚からかけ離れています。

庭の中央は空地で、牧草地にあてられていて、夏にはここで四、五十キロの乾草がとれました。

そして、女主人は春になるとこの庭を何ルーブルかで貸していました。

塀のそばには、エゾイチゴやスグリや黒スグリの畑があり、家のすぐ近くには最近作られたものでしたが野菜畑もありました。

「ドミートリイ」は家からいちばん遠い庭の隅へ「アリョーシャ」を連れていきました。

そこには、鬱蒼と立ちならぶ菩提樹や、黒スグリ、ニワトコ、スイカズラ、ライラックなどの古い灌木の間に、ひょっこり、何やら古めかしい緑色のあずまやの跡のようなものが姿を現しました。

黒スグリはフランスではカシス、イギリスではブラックカラントと呼ばれています。

格子の壁をめぐらしたあずまやは、すっかり黒ずんで傾いていましたが、屋根があるので、まだ雨をしのぐことはできました。

このあずまやは、いつ建てられたのかもわかりませんが、人の話によると、五十年ほど前、当時の持主だった「アレクサンドル・カルロウィチ・フォン・シュミット」とかいう退役中佐が建てたということでした。

しかし、何もかももはや腐って、床は朽ち、床板はぐらぐらして、木材はじめついた匂いを放っていました。

あずまやの中には、地面に埋めこみになっている緑色の木のテーブルがあり、まわりに、これもやはり緑色のベンチが置かれていて、一応座ることができました。

「アリョーシャ」は兄の感激したような精神状態にすぐ気づきましたが、あずまやに入ると、コニャックの半分くらい入った壜とグラスがテーブルの上にのっているのが目につきました。

コニャック (Cognac) は、フランスのコニャック周辺で産出されるブランデーで、レミー・マルタン(Rémy Martin)やカミュ(Camus)やヘネシー(Hennessy)、マーテル(Martell)などが有名で、それ以外はブランデーと呼ぶようですね。

しかし、このころのロシアでそのようなお酒は販売されていたのでしょうか、疑問に思って、「ロシアのコニャック」で検索したところ、現在ロシア在住の方のブログなどの情報では、コニャックはたくさん売られているのですが、ロシアではブランデー全てを「コニャック」と呼んでいるらしいのです。

また、フランス政府はロシアで使われている広い意味でのブランデーを意味する「コニャック」を言語として使わず「ブランデー」と表現するように求めているそうだと書かれた内容の記事もありました。

さらに、アルメニアで作られる「アララト(ARARAT)」というブランデーがあり、ロシアでは「アルメニアコニャック」(Армянский коньяк)の愛称で親しまれ、ロシア語話者の間ではコニャックとして流通している、という「ウィキペディア」の記事もありました。


ここで「ドミートリイ」が飲んでいるのは、何だかよくわかりませんが、ウォッカよりは高級な強いお酒ということでしょう。


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