「フョードル」が「弁ずること、弁ずること!」と言った「バラムの驢馬」とは、召使の「スメルジャコフ」を揶揄した言葉でした。
ここからその「スメルジャコフ」が紹介されます。
彼はせいぜい二十四かそこらの、まだ若い男なのに、おそろしく人ぎらいで、寡黙でした。
しかし、それは、人見知りするとか、何か恥ずかしがっているというわけではなく、むしろ反対に、性格は傲慢で、あらゆる人間を軽蔑しているかのようでした。
「ところで、この召使に関してもせめて二言、三言なりと、それも特に今、語らずにはすまされまい。」と作者はわざわざ書いています。
確かに、この物語で「スメルジャコフ」は重要人物ですからね。
「それも特に今」と意味ありげに書かれています。
「スメルジャコフ」は「マルファ」と「グリゴーリイ」に育てられました。
「グリゴーリイ」の表現を借りるなら、《およそ感謝の念を知らずに》育ち、いつも隅の方から世間をうかがう、人見知りのはげしい少年でした。
彼は恐らく神がかり行者の「リザヴェータ・スメルジャーシチャヤ」と「フョードル」の子だと思いますが、母親の「リザヴェータ・スメルジャーシチャヤ」は《およそ感謝の念を知らずに》とは正反対の性格でしたので、《およそ感謝の念を知らずに》というのは、むしろ「フョードル」に似たのかもしれませんね。
その少年時代には、猫を縛り首にして、そのあと葬式をするのが大好きでした。
法衣のように見せるため、シーツを身にまとい、猫の死骸の上で香炉よろしく何かを振りまわしながら、歌をうたうのでした。
これらはすべて、ごく内緒にこっそりと行われました。
ある日、「グリゴーリイ」が葬式の稽古をやっているところを押え、鞭でこっぴどくお仕置きをしました。
少年は片隅にもぐりこみ、一週間くらいそこから白い目でにらんでいました。
「俺たちをきらってやがるんだよ、あの性悪め」と「グリゴーリイ」は「マルファ」に言いました。
「だれのことも好いちゃいねえんだ。お前、それでも人間かよ」と、だしぬけに「グリゴーリイ」は「スメルジャコフ」に直接食ってかかりました。
「お前なんぞ、人間でねえわさ。お前は風呂場の湯気の中から湧いて出たんだ、それがお前さ・・・」と。
あとでわかったことですが、、「スメルジャコフ」はこの言葉を絶対に赦すことができなかったのです。
「グリゴーリイ」は彼に読み書きを教え、十二歳になると、宗教史を教えにかかりました。
しかし、この仕事はすぐに不毛に終りました。
ある日、それもせいぜい二回目か三回目の勉強のとき、少年が突然せせら笑ったのです。
現代でも、残虐な事件を起こした犯人の過去を調べると少年時に小動物を殺していたという話をよく聞きます。
しかし、子供の残虐性は通常よくあることでその程度にもよるでしょうが、この時代にこのようなことを書くというのは、作者の人間観察の洞察力の深さをあらわしています。
また、「スメルジャコフ」は自分が風呂場の湯気から湧いて出たと言わたことを絶対に赦せなかったと書かれていますが、これは冗談でも言ってはならないことですね。
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