「スメルジャコフ」が十二歳の時、「グリゴーリイ」は彼に宗教史を教えようとしましたが、失敗しました。
せせら笑ったというのです。
「どうしたい?」と眼鏡の奥からこわい目で見つめて、「グリゴーリイ」はだずねました。
「いえ、べつに。ただ、神さまが世界を創ったのは最初の日で、太陽や月や星は四日目なんでしょ。だったら、最初の日にはどこから光がさしたんですかね?」
「グリゴーリイ」は呆然としました。
少年は小ばかにしたように先生を眺めていました。
その眼差しには何か不遜な色さえありました。
「グリゴーリイ」は我慢できずに、「ここからだ!」と叫ぶなり、生徒の頰をはげしく殴りつけました。
少年は口答え一つせずに、頰びんたをこらえましたがまた何日間か片隅にもぐりこんでしまいました。
たまたまこれと符合するように、一週間たって、その後一生の持病となった癲癇の発作が生れてはじめて起こったのです。
このことを知ると、「フョードル」はさながら少年に対する見方をふいに変えたのようでした。
それまでは、一度も叱ったことはなく、会えば、いつも一カペイカを与えてはいたものの、なんとなく無関心に眺めていたものでした。
そして、機嫌のいいときには、食卓から何か甘いものを少年に届けてやることもありました。
ところが今、病気のことを知ると、本気で心配しはじめ、医者をよんで、治療にあたらせようとしかけましたが、全治はとても不可能であることがわかりました。
発作は平均して月に一度でしたが、期間はさまざまでした。
発作の程度もさまざまで、軽いこともあり、ひどくはげしいときもありました。
「フョードル」は少年に体罰を加えることを「グリゴーリイ」にきびしく禁じ、少年を母屋の自分のもとへ出入りさせるようにしました。
何事によらず、少年に勉強を教えることも、当分は禁止しました。
ところが、少年が十五くらいになったころのある日、「フョードル」は、少年が本棚のまわりをぶらついて、ガラスごしに表題を読んでいるのに気づきました。
「フョードル」には百冊あまりに及ぶかなりの蔵書がありましたが、彼自身の読書している姿など、だれも見たことはありませんでした。
彼はすぐ本棚の鍵を「スメルジャコフ」に渡し、「さ、読むといい。庭をぶらぶらしてるくらいなら、図書係になるんだな。座って読みな。ほら、これを読め」と言って、少年に『ディカニカ近郊夜話』(訳注 ゴーゴリの最初の短編集。農村の伝説や怪談にもとづく幻想的な作品が多い)をぬきだしてやりました。
要するに「スメルジャコフ」はあまりかわいい子供ではなかったということですね。
親代わりの「グリゴーリイ」も一生懸命彼を教育しようとしますがダメでした。
まだ子供でありながら人を小ばかにするような「スメルジャコフ」に腹を立てています。
そんな中で癲癇を発症したのですが、ここで「フョードル」は突然に「少年に対する見方をふいに変えた」と書かれていますが、これはどういうことでしょうか。
自分が父親だという自覚が生じたのでしょうか。
そうだとしたらそれは理屈ではなく本能的なもののような気がします。
「フョードル」は前からいろいろな知識があり、いわゆるインテリ的なところがあったのですが、ここで彼が蔵書を百冊あまり持っていたということが書かれています。
だれも彼が読書する姿など見たことがないとのことですが、前に「フョードル」は毎晩、寝床に入るのが非常に遅く、朝方の三時か四時でしたが、それまではいつも、ずっと部屋の中を歩きまわったり、肘掛椅子に腰かけたりして、考えごとをしていて、彼はそういう習慣を作り上げたと書かれていましたので、辻褄が合います。
「フョードル」は会話の中でつぎつぎと本の内容を引用したり、紹介したりしていますので、百冊の蔵書もかなり読み込んでいたように思います。
朝方の三時か四時まで何をしているのかと疑問に思ったのですが、そんな時、本を読んだりもしていたのでしょう。
蔵書の中から「フョードル」が選んであげたゴーゴリの『ディカニカ近郊夜話』は、ネットで内容を個人的に紹介している方がいました。
「これはゴーゴリのデビュー作で、ゴーゴリの生まれ故郷のウクライナに伝わる民話に題材を求めて、アレンジした、民俗色あふれる、とても楽しい魅惑的な物語り集である。濃厚な小ロシアの民間伝承や風俗はまさに色彩にあふれている。アラビアンナイトのような奇譚のロシア(ウクライナ)版といったらいいだろうか?内容的には民話であり全8編の物語からなっている。その全てが妖怪や魔物の登場する奇譚ファンタジーとなっている。以下あらすじを紹介することとしよう。「ソロティンツイの定期市」失われた赤い長上着を探す悪魔が定期市に現れるというお話と市場の人々の人情話を絡めた好編。「イワンクパーラの前夜」一年に一度蕨の花が咲きそれを手に入れたものは埋蔵金を見つけられるという。主人公は悪魔と妖婆に魂を売り富と恋を手に入れるが結局は良心の呵責に苦しみ発狂してしまう。『5月の夜、または水死女」月夜に水の精が遊び戯れるという伝説と、ウクライナの5月の情景が活写される、村の人物の描写が面白い。「紛失した国書」悪魔に取り付かれた男を救おうとしてかえって大事な国書を奪われた主人公が妖女と深夜カルタをして勝ち、国書を取り戻すというお話。「降誕祭の前夜」冬のウクライナの農村風景や農民が活写された好編、悪魔や妖女も登場するが全然怖くない。「恐ろしき復讐」魔法使いが自分の娘に邪恋を抱き婿を殺し果ては娘まで殺してしまい、最後は自分も破滅するという恐ろしいお話。他のお話は滑稽な面がたっぷりあるがこれはそれもない、シリアスドラマ仕立てとなっている。「呪禁のかかった土地」悪魔が宝を見つけられないように様々な恐怖を使って宝を守るというお話。「イワンフヨードロビッチシュポーニカとその叔母」これは全然空想的な要素のないお話。(悪魔も出てこない、)ある主人公の幼年時代から青年時代を、事細かに描きつくしている。邦訳は岩波文庫に戦前の訳本のみ、ありますが挿絵がまたいいですね。恐らく原書の挿絵でしょうがウクライナの往時の風俗がじかに見れてこの挿絵は抜群です。岩波文庫はもう絶版でしょうが古書店を探せばあるでしょう。文章は昭和12年刊ですからかなり旧漢字も多くてさすがに読みずらいです、青空文庫に訳本の全文がありました)これは岩波文庫版ではありませんが。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000207/card47123.htmlこの本はゴーゴリの傑作と私てきには思います。」
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