「いったいどうなさったの、ママ?」
「ああ、あなたのその気まぐれですよ、リーズ、そのむら気なのよ。あなたの病気といい、熱にうなされるあの恐ろしい夜といい、あのひどい藪医者の、一生ついてまわるヘルツェンシトーベといい!何よりも、一生ついてまわるってことだわ、いつまでも、いつまでも!それに結局何もかも・・・そのうえあの奇蹟までがね!ああ、アレクセイ・フョードロウィチ、あの奇蹟には本当に心を打たれましたわ、感動しましたわ!そこへもってきて、今あっちの客間では、あたくしにはとても我慢できないような悲劇が起ってますでしょう、たまりませんわ。あらかじめはっきり申しあげておきますけど、あたくし、とても我慢できませんわ。ことによると、悲劇じゃなく、喜劇かもしれませんわね。それはそうと、ゾシマ長老は明日までもつでしょうか、生きのびられますかしら?ああ、恐ろしいこと!あたくし、どうしたのでしょう、ひっきりなしにこうして目をつぶると、何もかもが下らないことに思われてきますのよ」
「まことにすみませんが」と、だしぬけに「アリョーシャ」が話の腰を折りました。「何か指に繃帯するような、清潔な布をいただけませんでしょうか。ひどく怪我をしまして、今やりきれぬほど痛むものですから」
「ホフラコワ夫人」は指を怪我していて痛みをこらえている「アリョーシャ」の様子も気づかずに、興奮状態のままいろいろと話しています。
そして、「リーズ」のことを「気まぐれ」と言って批判していますが、本人も気まぐれなところがあり感情的で支離滅裂ですね。
また、彼女は昨日「ゾシマ長老」と面会したとき、自分には「疑い」があってそれは「来世」についての疑問であることだと言っています。
そして、「ゾシマ長老」から「実行的な愛をつむこと」つまり「自分の身近な人たちを、あくことなく、行動によって愛するよう努めてごらんなさい」と言われています。
このことからも類推できそうですが、彼女の性格は基本的に自己中心的であると言えるのではないでしょうか、それを昨日の「ゾシマ長老」は端的に指摘していると思います。
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