「スネギリョフ」の会話はまだ続きます。
ただ、あの子は学校からひどく傷だらけで戻ってくるようになりましてね。手前は一部始終を知ったのは、おとといのことでござります。たしかに、あなたさまのおっしゃるとおり、今後もう学校へはやらぬことにいたしましょう。あの子がたった一人でクラス全体を相手にまわして、自分から喧嘩を売り、憎しみの塊になって、心を燃やしていることを知ったとき、手前はあの子のためにそら恐ろしい気持ちになりましたんですよ。また散歩に出かけると、あの子がこうだずねるんです。『パパ、ねえパパ、お金持は世界でいちばん強いの?』手前はこう答えました。『そうだよ、イリューシャ、金持より強い人は世界にいないんだ』あの子は『パパ、それじゃ僕、うんとお金持になるよ、将校になって、みんなをやっつけてやる。皇帝さまにご褒美をもらって帰ってくるんだ、そうすればだれも笑ったりしないものね』そう言ったあと、しばらく黙っていてから、また言うんです。唇が相変らずふるえておりましてね。『パパ、この町はとってもいやな町だね、パパ!』『そうだね、イリューシャ、あまりいい町じゃないね』『パパ、ほかの町へ引っ越そうよ、だれも僕たちのことを知らないようないい町へさ』『引っ越そう、引っ越そうな、イリューシャ、お金を貯めたらすぐにな』手前は暗い考えからあの子の心を引き離すチャンスができたのを喜んで、どうやってほかの町へ引っ越そうかとか、馬と荷馬車を買おうだとか、あの子といっしょに空想しはじめたのでございます。ママと姉さんたちは荷馬車に乗せて、何かでくるんであげようね、パパたち二人は横について歩いて行こう、お前は時々は坐らせてあげるけど、パパはずっと歩くぞ、うちの馬だもの、大事にしてやらなけりゃいけないし、みんなが乗るわけにゃいかないものな、さあ出発だ、といった具合にですな。あの子はすっかり嬉しがりましてね、何よりも馬が自分のもので、それにのって行けるってことが嬉しかったんでございますよ。ご承知のとおり、ロシアの男の子は生れたときから馬といっしょみたいなものですからね。永いこと話しました。ありがたいことに、やっとあの子の気をまぎらせ、慰めてやることができた、と手前は思いました。これがおとといの夕方のことでしたが、昨日の夕方になると、もう様子ががらりと違っているのです。朝また学校に行ったのですが、暗い顔をして戻ってまいりました。とても暗い顔でございましたよ。夕方、あの子の手をとって散歩に連れだしても、黙りこくって口をきかないのです。ちょうど、かすかな風が起って、日がかげり、秋の気配でございました。それに、そろそろ暗くなりかけてきたので、散歩していても、二人とも気が滅入りましてね。手前はこう申しました。『なあ、坊や、どんなふうに引っ越しの支度をしようか』昨日の話に持っていこうと思いましてね。ところが黙っているのです。ただ、手前の手の中で小さな指がぴくりとふるえたのが、感じとれましたよ。いや、これはまずいぞ、また何かあったな、と思いましたね。そのうち、ちょうど今みたいに、この石のところまで来たので、手前はこの石に腰かけたのですが、空を見ると凧がいっぱい上がって、びゅんびゅん唸っているんですね。三十くらい凧が見えたでしょうか。今は凧上げのシーズンですのでね。『そうだ、イリューシャ、うちでもそろそろ去年の凧を上げようじゃないか。パパが直してあげるよ、どこにしまったあるんだい?』と手前は言ったのですが、あの子は黙って、わきを向いたまま、こちらに横顔を見せて立っているのです。そのときふいに風が唸りをあげて、砂埃を舞い上げましてね・・・・すると突然あの子が身体ごとぶつかってきて、両手で手前の首をかけ、しがみつくじゃございませんか。いえね、無口でプライドの高い子供というのは、永いこと涙を内にこらえていますけれど、深い悲しみにおそわれてふいに堰が切れたとなると、もう涙が流れるなどというものじゃなく、それこそ滝のようにほとばしるものでございましてね。あの子は暖かい涙のしぶきで、突然、手前の顔をぐっしょり濡らしたんでございますよ。痙攣でも起したように泣きじゃくり、身をふるわせ、手前を抱きしめるのです。手前はこの石に坐っておりました。『パパ、ねえパパ、大好きなパパ、あいつはパパにひどい恥をささせたんだね!』あの子はこう叫びましたっけ。それをきいて手前も泣きだしてしまったんです。二人して坐って、抱き合ったまま、ふるえておりました。『パパ、パパ!』と、あの子は言いますし、手前も『イリューシャ、イリューシャ!』と言うだけです。だれもそのときのわたしたちを見ていた者はございません。神さまだけがごらんになって、きっと天国の名簿に手前のことを書きこんでくださいますでしょう。アレクセイ・フョードロウィチ、お兄さまにたんとお礼を申しあげておいてくださいまし。いや、手前はあなたさまを満足させるために、あの子を折檻したりするもんですか!」
神さまは「スネギリョフ」の名前を「天国の名簿」に書きこんでくれるのでしょうか。
彼が学校で「イリューシャ」がいじめられているを知って「手前はあの子のためにそら恐ろしい気持ちになりましたんですよ」と言うのは誰でもが持つ自然の感情でしょう。
また、彼が「イリューシャ」に「お金持は世界でいちばん強いの?」と聞かれて、「そうだよ」と答えるところは、読むものは誰でも反感するでしょう。
「カテリーナ」も「スネギリョフ」もその事件、つまり「ドミートリイ」が「スネギリョフ」に暴行した事件が起こったのは、一週間前のことだと言っていますので、簡単にまとめてみました。
事件の起きた日を一日目とすると、その日「イリューシャ」は《都》で飲んでいる「スネギリョフ」が広場に引っ張り出された時に居合わせて「ドミートリイ」に赦しを乞うていますが、その後、家に帰ってからひどい熱をだして、一晩じゅううわごとを言いつづけ、「スネギリョフ」とは口もろくにきかず黙りこんでいました。しかし、娘たちはもうだいたいのことは嗅ぎつけていました。
二日目は、「スネギリョフ」が最後の銭をはたいて酒を飲んだので記憶がありませんが、そのこともあって母親の「アリーナ・ペトローヴナ」は泣き出します。
三日目は、「スネギリョフ」はふつか酔いで寝ていたために「イリューシャ」のことはおぼえていないのでが、この日「イリューシャ」は学校で、事件のことで『ヘチマ』と言われみんなに笑い者にされました。
四日目に「イリューシャ」は顔色がなく真っ蒼になって学校から戻ってきました。「スネギリョフ」はいつもの夕方散歩のときの会話で「イリューシャ」が「ドミートリイ」を殺したいと思うほどの復讐心をもっていることを知ります。
五日目、「イリューシャ」は学校からひどく傷だらけで戻ってくるようになりました。
六日目、おとといの夕方、「スネギリョフ」は「イリューシャ」がたった一人でクラス全体を相手にまわして、自分から喧嘩を売り、憎しみの塊になって、心を燃やしてことを知りました。散歩のときの会話で「引っ越し」の話をして、「イリューシャ」には気晴らしになったようでした。
七日目、きのうのこと、「イリューシャ」がもう様子ががらりと違って暗い顔をして戻ってきました。
八日目つまり今日です、「アリョーシャ」は最初に「フョードル」のところへ行き、そこから「ホフラコワ夫人」に家に向かう途中で「イリューシャ」たちに遭遇し、投石されたり指を嚙まれたりします。この日教室で「イリューシャ」は「クラソートキン」をペンナイフで刺しました。それから「アリョーシャ」は「ホフラコワ夫人」に家に行って「カテリーナ」から「スネギリョフ」に渡すようにと二百リーブル預かりました。次に「ドミートリイ」に会いに行くのですが不在だったため「スネギリョフ」の家を訪ねたのです。
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