2017年7月28日金曜日

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「これを手前にでござりますか、手前に、こんな大金を、二百ルーブルなんて! これはまあ! こんな大金はもう四年も拝んだことがございませんよ! しかも、妹だなどとおっしゃるので・・・・本当ですか、本当でござりますか?」

「誓います、僕が言ったことはみんな本当です」と、「アリョーシャ」は叫びました。

二等大尉は顔を赤くしました。

「まあお聞きください、あなた、お聞きくださいまし、もしこれを受けとったら、手前は卑劣漢になりはしないでしょうか? あなたからごらんになって、卑劣漢になりはしないでしょうか、卑劣漢に、アレクセイ・フョードロウィチ? いけませんよ、アレクセイ・フョードロウィチ、まあお聞きください、お聞きくださいまし」

家族が困っているのに、自分が「卑劣漢」と言われることを恐れている「スネギリョフ」です。

のべつ両手で「アリョーシャ」にさわりながら、彼はあせって言いました。

この「のべつ両手でさわりながら」という表現はなかなか思いつきませんね。

「おなたさまは、《妹》がよこした金だからと言って、ぜひ受けとるように手前を説得なすっておられますが、もし手前が受けとれば、内心ひそかに軽蔑をお感じになるのじゃござりませんか?」

「とんでもない、そんなことはありませんよ! 誓ってもいいですが、そんなことはありません! それに、だれ一人、絶対に知る気づかいはないのですから。僕たちだけです、僕と、あなたと、あの人と、それにもう一人、あの人の親しい友達であるさるご婦人と・・・・」

「アリョーシャ」は勘違いしていますが、「スネギリョフ」はそんなことを聞いているのではありません、内心の問題です。

この「アリョーシャ」の発言は「スネギリョフ」を見くびっているともとれるものです。

「そんなご婦人はどうでもいいんです! まあ聞いてください、アレクセイ・フョードロウィチ、しまいまでお聞きくださいまし。すっかり聞いていただかねばならぬ時がいよいよ参ったようです。なぜって、今の手前にとってこの二百ルーブルがどんな意味を持つか、あなたさまには理解もできないはずだからでございますよ」

なにかしだいに取り乱した、ほとんど奇怪とさえ言ってよいような熱狂におちいりながら、哀れな男は話しつづけました。

まったく常軌を逸したかのように、まるで最後まで話させてもらえないのを恐れるみたいに、ひどくせきこみ、あせって話すのでした。

「これが尊敬すべき神聖な《妹》から贈られた、公明正大なお金であることは別にしましても、あなたさまにはおわかりいただけますでしょうか、手前はこれでかあちゃんと、せむしの天使であるニーノチカとを治療してやることができるのでございますよ。ヘルツェンシトゥーベ先生はお心のやさしさから手前どもにおいでくださって、まる一時間も二人を診察したあげく、『さっぱりわからん』と言っておられましたが、それでもここの薬屋にあるミネラル水がきっと効くだろうとおっしゃって、さらに足湯用の薬も処方してくださいました。ですが、ミネラル水は三十カペイカもいたしますし、それをおそらく四十本くらい飲まなければなりませんのです。ですから手前は処方箋をいただいたなり、聖像の下の棚にのせて、いまだにそのままになっているんでございます。また、ニーノチカのほうは、何とかいう溶液を熱い風呂に入れて、毎日朝晩はいるように処方してくださいましたんですが、召使も、手伝いも、たらいも、水もないあんな立派な御殿にいる手前どもに、どうしてそんな治療ができましょう? まだお話ししていませんでしたが、ニーノチカは全身リューマチで、夜になると右半身がうずいて、ひどく苦しむのです。でも本当の話、天使のようなあの子は手前どもを心配させぬために、じっとこらえて、手前どもを起こさぬよう呻き声一つ立てずにいるのでございますよ。手前どもは手あたりしだい、口に入るものを食べて生きているのですが、あの子は犬にでもやるしかないような、いちばん最後の一片をとるのでございます。『あたしはこの一片にも値しないのよ、みんなのを横分取りしているんだわ、あたしはみんなの重荷になっているんですもの』あの子の天使のような眼差しは、さもこう言いたげなんです。手前どもがつくしてやると、それがあの子にはつらいのですね。『あたしにはそんな値打ちはないわ、もったいない、あたしは役に立たない、何の値打ちもない片輪ですもの』あの子は天使のようなやさしい心でみんなのことを神さまに祈ってくれているというのに、値打ちがないどころじゃございませんよ。あの子がいなかったら、あの子のもの静かな言葉がなかったら、わが家はまさに地獄です。あの子は、あのワルワーラの心さえ和ませてくれるのでございますからね。でも、ワルワーラのこともやはり咎めないでくださいまし、あの子だって天使なんです、やはり心を傷つけられた天使なのでございますよ。この夏、帰ってきたときに、あの子は十六ルーブル持っておりました。家庭教師をして稼いだので、九月に、つまり今ごろ、ペテルブルグへ戻るための旅費として取り分けておいたお金なんです。ところが、手前どもがそれを巻きあげて、暮しにつぎこんでしまいましたので、今はあの子は帰るにも旅費がないのでございますよ、そういうわけなんです。それにまた、あの子は帰るわけにいかないのですよ、なにしろ手前どものために懲役人のように働いておりますのでね。とにかく痩馬に馬車をひかせ、鞍をおいてこき使うような按配で、みんなの面倒はみる、繕いものや洗濯はする、床を掃く、かあちゃんを寝かせつけるといった忙しさですし、そこへもってきて、かあちゃんが気まぐれで、涙もろいときている、なにせかあちゃんは狂人でございますからな! ですから、今この二百ルーブルがあれば、女中をやとうこともできるわけです、おわかりになりますか、アレクセイ・フョードロウィチ、かわいい家族の治療にもとりかかれるし、女学生をペテルブルグに送りだしてもやれる、牛肉も買えるし、新しい食餌療法もとれるわけでして。ああ、まさに夢でございますな!」

この発言を聞いても「スネギリョフ」がとんでもないひどい人間だということがわかります。

「ニーナ・ニコラーエヴナ」のことを言葉では「天使」だと持ち上げているのですが、彼女が望むからと言って「犬にでもやるしかないような、いちばん最後の一片」を食べさせているのです。

「何の値打ちもない片輪」だと思っているのは彼女ではなく、家族ではないでしょうか。

また、「ワルワーラ・ニコラーエヴナ」のことも口先ではやはり「天使」だと言っていますが、彼女の大事なお金も「手前どもがそれを巻きあげて、暮しにつぎこんでしまいました」のです。

臆面もなくそういうことを言う自分は、「悲しみをまぎらすために、最後の銭をはたいて飲んじまった」し、「手前を軽蔑なさらないでくださいまし。ロシアでは酒飲みがいちばん善人でございますからね」なんて言うのですから。


「ヘルツェンシトゥーベ先生」はどういう経過でいつ診察に来たのかわかりませんが、この先生もダメですね、批判ばかりになりますが患者のおかれた環境のことを全く考えていません。


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