「かまいません、僕も苦しみたいんですから」
「アリョーシャ」はつぶやきました。
「もう一つ、もう一つだけこんな光景を披露しておこう、それも好奇心から話すので、ひどく特徴的な光景なんだ。なにより、ついこの間ロシアの古文書集の一つで読んだばかりだしな。『古記録』だったか、『古代記』だったか、調べてみなけりゃならないけど、どこで読んだのか、それさえ忘れちまったよ。まだ今世紀のはじめ、農奴制下のいちばん陰惨な時代の話だ。まったく民衆の解放者(訳注 一八六一年に農奴制を廃したアレクサンドル二世を意味する)万歳だよ! ところで、今世紀のはじめ、さる将軍がいた。有力な縁故に恵まれた将軍で、きわめて裕福な地主だったけれど、軍務から引退するや、これで自分の領民たちの生死まで左右する権利を獲得したとほとんど信じきってしまったような地主の一人だったんだ。たしかに、こういう地主は当時でもすでにごく少数だったらしいが、そのころはそんな連中がいたんだよ。将軍は二千人もの農奴を擁する領地に暮し、威張りかえって、近隣の小地主たちを居候か、お抱えの道化みたいに見下していた。犬舎には数百匹の猟犬がいるし、ほとんど百人近い犬番がみな揃いの制服を着て、馬に乗っているんだ。ところがある日、召使の忰で、せいぜい八つかそこらの小さな男の子が、遊んでいるはずみに、なんとなく石を投げて、将軍お気に入りのロシア・ハウンドの足を怪我させちまったのさ。『どうして、わしのかわいい犬がびっこをひいとるんだ?』と将軍がたずねると、実はこの少年が石をぶつけて足を怪我させたのでございます、という報告だ。『ああ、貴様の仕業か』将軍は少年をにらみつけて、『こいつを引っ捕えろ!』と命ずる。少年は捕えられ、母親の手もとから引きたてられて、一晩じゅう牢に放りこまれた。翌朝、夜が明けるか明けぬうちに、将軍が狩猟用の盛装をこらしてお出ましになり、馬にまたがる。まわりには居候どもや、猟犬、犬番、勢子たちが居並び、みんな馬に乗っているし、さらにそのまわりには召使たちが見せしめのために集められ、いちばん前に罪を犯した少年の母親が据えられているんだ。やがて少年が牢から引きだされる。霧のたちこめる、陰鬱な、寒い、猟には持ってこいの秋の日でな。少年を裸にしろという将軍の命令で、男の子は素裸にされてしまう。恐ろしさのあまり、歯の根が合わず、うつけたようになってしまって、泣き叫ぶ勇気もない始末だ・・・・『そいつを追え!』将軍が命令する。『走れ、走れ!』犬番たちがわめくので、少年は走りだす・・・・『襲え!』将軍は絶叫するなり、ボルゾイの群れを一度に放してやる。母親の目の前で犬に噛み殺させたんだよ。犬どもは少年をずたずたに引きちぎってしまった!・・・・将軍は後見処分にされたらしいがね。さて・・・・こんな男をどうすればいい? 銃殺か? 道義心を満足させるために、銃殺にすべきだろうか? 言ってみろよ、アリョーシャ!」
「銃殺です!」
ゆがんだ蒼白な微笑とともに眼差しを兄にあげて、「アリョーシャ」が低い声で口走りました。
「でかしたぞ!」
「イワン」は感激したように叫びました。
「お前がそう言うからには、つまり・・・・いや、たいしたスヒマ僧だよ! つまり、お前の心の中にも小さな悪魔がひそんでいるってわけだ、アリョーシャ・カラマーゾフ君!」
ここで「勢子」とは、「勢子(せこ、せご)とは、狩猟を行う時に、山野の野生動物を追い出したり、射手(待子:まちこ、立間:たつま)のいる方向に追い込んだりする役割の人を指す。かりこ(狩子、狩り子)、列卒ともいう。多人数で行う巻狩りなどの狩猟法で、勢子は活躍した。領主などの権力者が行うような大規模な巻狩では参加する勢子の人数が数百人を超えることもしばしあった。」とのこと。
「後見処分」とはどういうものかはわかりませんでした。
また、「スヒマ僧」についてもよくわかりませんでしたが、ネットで見つけた「ロシア正教会」関係の文章では、修道士に「リヤサフォル」「小スヒマ」「大スヒマ」三つの段階があって、「リヤサフォル」とは修道請願はまだ行わないけども道徳上は修道士と同じで修道院規則を守る責任があり、「リヤサ」を身にまとうのでこの言葉があるそうで「小スヒマ」の「スヒマ」とは、内面的な悔い改めを現す外面的な従順という意味があり「大スヒマ修道士(スヒムニク)」はかなり厳しい斎(ものいみ)や祈祷の生活を送ると書かれていました。
これで一応「イワン」の例証も終わりました。
結局、「イワン」は「人類の苦悩」について話すためまず「子供の苦悩」についての話を中心に語りました。
そして、彼は立派なコレクションができるくらいある種の事実を集めており、特にロシアの子供の話はたくさん集めているということです。
その中で今紹介されたのは、①最近モスクワでさるブルガリヤ人からきいた話でトルコ人やチェルケス人たちの残虐行為として母親の目の前で赤ん坊を宙に放りあげ、それを銃剣で受けとめたり、赤ん坊を笑わせた瞬間に銃殺した件、②羊飼いたちのところで小さな野獣のように育ったリシャールという凶悪な殺人犯の話で、彼が獄中で改心したにもかかわらずギロチンで首をはね落とされた件、③「ネクラーソフ」に詩にあるようにロシアでは百姓が疲れた馬の目を鞭で打ち据えることが往々にしてあるという件、④「実業家クロネベルグの事件」のことで、教養あるインテリの紳士と奥さんが、七つになる自分の娘を細枝で鞭打ち、裁判で無罪になった件、⑤《教養豊かで礼儀正しく、官位も高い尊敬すべき人士》である両親が五歳の小さな女の子を殴る、鞭打つ、足蹴にし、母親が便所に閉じこめた件、⑥今世紀のはじめ、農奴制下のいちばん陰惨な時代の話で、ある裕福な地主が自分の犬に怪我をさせた八つかそこらの小さな男の子を母親の前で犬に噛み殺させた話、以上です。
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