2017年9月30日土曜日

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「イワン」の会話の続きからです。

・・・・彼らは静かに死に、お前のためにひっそりと消えてゆき、来世で見いだすものも死にすぎない。しかし、われわれは秘密を守りとおし、彼らの幸福のために天上での永遠の褒美で彼らを誘いつづけるのだ。なぜなら、かりにあの世に何かがあるとしても、もちろん彼らのような連中のためにあるわけではないのだからな。噂や予言によると、お前が舞い戻ってきて、ふたたび勝利をおさめ、誇り高く力強い選ばれた人々を率いてやってくるそうだが、われわれは、彼らが救ったのは自分らだけにすぎないけれど、われわれはすべての人々を救ったのだ、と言ってやる。なんでも、獣にまたがって神秘を手に握りしめた淫婦が恥をかかされ、非力な人々がまた反乱を起して、女の衣を引き裂き、《不浄な》肉体をあらわにする、とかいう話だね(訳注 ヨハネ黙示録第十七、十八章)。だが、そのときこそわしは立ちあがって、罪を知らずにきた何十億という幸福な幼な子だちを、お前にさし示してやる。そして、彼らの幸福のために彼らの罪をかぶってやったわれわれが、お前の前に立ちはだかって、言うのだ。《できるものなら、そんな勇気があるのなら、われわれを裁いてみよ》とな。わしがお前なぞ恐れていないことを、よく承知しておくがいい。よくおぼえておけ、わしも荒野にいたことがあるのだし、いなごと草の根で生命をつないだこともある。お前が人々を祝福するのに用いた同じその自由を、わしも祝福したことがあるのだし、お前の選ばれた人々の一員に、《員数を埋める》という渇望に燃えて力のある強い人々の一員になろうと覚悟したこともあったのだ。だが、わしは目をさまし、狂気に仕えるのがいやになった。わしは引き返して、お前の偉業を修正した(十字の上に傍点)人々の群れに加わった。誇り高い人々から離れ、つつましい人々の幸福のためにつつましい人々のところに戻ってきたのだ。わしが今お前に話していることはきっと実現するだろうし、われわれの王国も築かれる。もう一度言っておくが、明日になればお前は、あの従順な羊の群れが、われわれの邪魔をしに来た罰にお前を焼く焚火に、わしの合図一つで熱い炭をかきたてに走るさまを見ることができよう。なぜなら、われわれの焚火にもっともふさわしい者がいるとすれば、それはお前だからだ。明日はお前を火あぶりにしてやるぞ。Dixi(わしの話は終りだ)』」

これで「イワン」は自分がつくった叙事詩『大審問官』を語り終えました。

この話が広場にある《都》という飲み屋で話されたということはある意味ですごいことですね。

まず、「ヨハネ黙示録第十七章」です。

「それから、七つの鉢を持つ七人の御使(みつかい)のひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、きなさい。多くの水の上にすわっている大淫婦(だいいんぷ)に対するさばきを、見せよう。
地の王たちはこの女と姦淫(かんいん)を行い、地に住む人々はこの女の姦淫のぶどう酒に酔いしれている」。御使(みつかい)は、わたしを御霊(みたま)に感じたまま、荒野へ連れて行った。わたしは、そこでひとりの女が赤い獣に乗っているのを見た。その獣は神を汚すかずかずの名でおおわれ、また、それに七つの頭と十の角とがあった。この女は紫と赤の衣をまとい、金と宝石と真珠とで身を飾り、憎むべきものと自分の姦淫(かんいん)の汚れとで満ちている金の杯を手に持ち、その額には、一つの名がしるされていた。それは奥義であって、「大いなるバビロン、淫婦(いんぷ)どもと地の憎むべきものらとの母」というのであった。わたしは、この女が聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれているのを見た。この女を見た時、わたしは非常に驚きあやしんだ。すると、御使はわたしに言った、「なぜそんなに驚くのか。この女の奥義と、女を乗せている七つの頭と十の角のある獣の奥義とを、話してあげよう。あなたの見た獣は、昔はいたが、今はおらず、そして、やがて底知れぬ所から上ってきて、ついには滅びに至るものである。地に住む者のうち、世の初めからいのちの書に名をしるされていない者たちは、この獣が、昔はいたが今はおらず、やがて来るのを見て、驚きあやしむであろう。ここに、知恵のある心が必要である。七つの頭は、この女のすわっている七つの山であり、また、七人の王のことである。そのうちの五人はすでに倒れ、ひとりは今おり、もうひとりは、まだきていない。それが来れば、しばらくの間だけおることになっている。昔はいたが今はいないという獣は、すなわち第八のものであるが、またそれは、かの七人の中のひとりであって、ついには滅びに至るものである。あなたの見た十の角は、十人の王のことであって、彼らはまだ国を受けてはいないが、獣と共に、一時だけ王としての権威を受ける。彼らは心をひとつにしている。そして、自分たちの力と権威とを獣に与える。彼らは小羊に戦いをいどんでくるが、小羊は、主の主、王の王であるから、彼らにうち勝つ。また、小羊と共にいる召された、選ばれた、忠実な者たちも、勝利を得る」。御使(みつかい)はまた、わたしに言った、「あなたの見た水、すなわち、淫婦(いんぷ)のすわっている所は、あらゆる民族、群衆、国民、国語である。あなたの見た十の角と獣とは、この淫婦を憎み、みじめな者にし、裸にし、彼女の肉を食い、火で焼き尽すであろう。神は、御言(みことば)が成就する時まで、彼らの心の中に、御旨(みむね)を行い、思いをひとつにし、彼らの支配権を獣に与える思いを持つようにされたからである。あなたの見たかの女は、地の王たちを支配する大いなる都のことである」。」

つぎに、「ヨハネ黙示録第十八章」です。

「この後、わたしは、もうひとりの御使が、大いなる権威を持って、天から降りて来るのを見た。地は彼の栄光によって明るくされた。彼は力強い声で叫んで言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。そして、それは悪魔の住む所、あらゆる汚れた霊の巣くつ、また、あらゆる汚れた憎むべき鳥の巣くつとなった。すべての国民は、彼女の姦淫(かんいん)に対する激しい怒りのぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と姦淫を行い、地上の商人たちは、彼女の極度のぜいたくによって富を得たからである」。わたしはまた、もうひとつの声が天から出るのを聞いた、「わたしの民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。彼女の罪は積り積って天に達しており、神はその不義の行いを覚えておられる。彼女がしたとおりに彼女にし返し、そのしわざに応じて二倍に報復をし、彼女が混ぜて入れた杯の中に、その倍の量を、入れてやれ。彼女が自ら高ぶり、ぜいたくをほしいままにしたので、それに対して、同じほどの苦しみと悲しみとを味わわせてやれ。彼女は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。それゆえ、さまざまの災害が、死と悲しみとききんとが、一日のうちに彼女を襲い、そして、彼女は火で焼かれてしまう。彼女をさばく主なる神は、力強いかたなのである。彼女と姦淫(かんいん)を行い、ぜいたくをほしいままにしていた地の王たちは、彼女が焼かれる火の煙を見て、彼女のために胸を打って泣き悲しみ、彼女の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえに対するさばきは、一瞬にしてきた』。また、他の商人たちも彼女のために泣き悲しむ。もはや、彼らの商品を買う者が、ひとりもないからである。その商品は、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布(ひぬの)、各種の香木、各種の象牙細工(ぞうげざいく)、高価な木材、銅、鉄、大理石などの器、肉桂(にっけい)、香料、香、におい油、乳香、ぶどう酒、オリブ油、麦粉、麦、牛、羊、馬、車、奴隷、そして人身などである。おまえの心の喜びであったくだものはなくなり、あらゆるはでな、はなやかな物はおまえから消え去った。それらのものはもはや見られない。これらの品々を売って、彼女から富を得た商人は、彼女の苦しみに恐れをいだいて遠くに立ち、泣き悲しんで言う、『ああ、わざわいだ、麻布と紫布と緋布をまとい、金や宝石や真珠で身を飾っていた大いなる都は、わざわいだ。これほどの富が、一瞬にして無に帰してしまうとは』。また、すべての船長、航海者、水夫、すべて海で働いている人たちは、遠くに立ち、彼女が焼かれる火の煙を見て、叫んで言う、『これほどの大いなる都は、どこにあろう』。彼らは頭にちりをかぶり、泣き悲しんで叫ぶ、『ああ、わざわいだ、この大いなる都は、わざわいだ。そのおごりによって、海に舟を持つすべての人が富を得ていたのに、この都も一瞬にして無に帰してしまった』。天よ、聖徒たちよ、使徒たちよ、預言者たちよ。この都について大いに喜べ。神は、あなたがたのために、この都をさばかれたのである」。すると、ひとりの力強い御使(みつかい)が、大きなひきうすのような石を持ちあげ、それを海に投げ込んで言った、「大いなる都バビロンは、このように激しく打ち倒され、そして、全く姿を消してしまう。また、おまえの中では、立琴をひく者、歌を歌う者、笛を吹く者、ラッパを吹き鳴らす者の楽の音は全く聞かれず、あらゆる仕事の職人たちも全く姿を消し、また、ひきうすの音も、全く聞かれない。また、おまえの中では、あかりもともされず、花婿、花嫁の声も聞かれない。というのは、おまえの商人たちは地上で勢力を張る者となり、すべての国民はおまえのまじないでだまされ、また、預言者や聖徒の血、さらに、地上で殺されたすべての者の血が、この都で流されたからである」。」

以上、なかなかわかりにくいです。

ここでは、大審問官もはじめはキリスト教だったということが言われています。

そして、選ばれた人だけが救われるという「狂気」に気づき、大勢の人のためにキリストの偉業を修正した人々の群れに加わったというのです。

その方法は、天上での永遠の褒美つまり天国にいけると嘘をつくわけですが、ここでは噓も方便なのですね。

第一、大審問官も先ほどあの世があれば教えてくれとキリストに聞いていたのですが、彼自身もあの世のことはどうなっているかわからないし、自信がないので「かりにあの世に何かがあるとしても、もちろん彼らのような連中のためにあるわけではないのだからな」なんて言っています。

天国があってもなくても大衆には嘘をついていて、嘘をつくこは悪魔は平気なんでしょう。


そして、明日、民衆の手でキリストを火あぶりにすると言っています。


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