「反逆? お前からそんな言葉は聞きたくなかったな」
「イワン」がしみじみした口調で言いました。
「反逆などで生きていかれるかい、俺は生きていたいんだぜ。ひとつお前自身、率直に言ってみてくれ、お前を名ざしてきくんだから、ちゃんと答えてくれよ。かりにお前自身、究極においては人々を幸福にし、最後には人々に平和と安らぎを与える目的で、人類の運命という建物を作ると仮定してごらん、ただそのためにはどうしても必然的に、せいぜいたった一人かそこらのちっぽけな存在を、たとえば例の小さな拳で胸をたたいて泣いた子供を苦しめなければならない、そしてその子の償われぬ涙の上に建物の土台を据えねばならないとしたら、お前はそういう条件で建築家になることを承諾するだろうか、答えてくれ、嘘をつかずに!」
「反逆などで生きていかれるかい、俺は生きていたいんだぜ。」というのは、神に逆らって生きていかれるかということでしょうが、「ミウーソフ」などもそうですが、このころはそういう思想の立場の人はたくさんいたように思いますが。
「いいえ、承諾しないでしょうね」
「アリョーシャ」が低い声で言いました。
「それじゃ、お前に建物を作ってもらう人たちが、幼い受難者のいわれなき血の上に築かれた自分たちの幸福を受け入れ、それを受け入れたあと、永久に幸福でありつづけるなんて考えを、お前は認めることができるかい?」
「いいえ、認めることはできません。兄さん」
ここで言われていることに反して現代の民主主義は少数者を切り捨てて成り立つ仕組みです。
理念的には一人の人間をも切り捨てることは許されないことですが、この現実世界では多数者の意見でそれを容認しており、見て見ぬ振りをしています。
ふいに目をかがやかせて、「アリョーシャ」が言いました。
「兄さんは今、この世界じゅうに赦すことのできるような、赦す権利を持っているような存在がはたしてあるだろうかと、言ったでしょう? でも、そういう存在はあるんですよ、その人(訳注 キリストのこと)ならすべてを赦すことができます。すべてのこと(六字の上に傍点)に対してありとあらゆるものを赦すことができるんです。なぜなら、その人自身、あらゆる人、あらゆるもののために、罪なき自己の血を捧げたんですからね。兄さんはその人のことを忘れたんだ、その人を土台にして建物は作られるんだし、『主よ、あなたは正しい。なぜなら、あなたの道は開けたからだ』と叫ぶのは、その人に対してなんです」
「ああ、それは《ただ一人の罪なき人》と、その人の流した血のことだな! いや、俺は忘れてやしない。むしろ反対に、お前がいつまでもその人を引っ張り出してこないんで、ずっとふしぎに思っていたくらいさ。なにしろ、たいていの議論の際にお前の仲間はみんな、真っ先にその人を押したてるのが普通だからな。あのね、アリョーシャ、笑わないでくれよ、俺はいつだったか、そう一年くらい前に、叙事詩を一つ作ったんだよ。もし、あと十分くらい付き合ってくれるんなら、そいつを話したいんだけどな」
「兄さんが叙事詩を書いたんですか?」
「いや、書いたわけじゃないよ」
「イワン」は笑いだしました。
「それに俺は生れてこの方、一度だって二行の詩さえ作ったことはないからな。でも、この叙事詩は頭の中で考えついて、おぼえてしまったんだ。熱心に考えたもんさ。お前が最初の読者、つまり聞き手になるわけだ。実際、作者としてはたとえたった一人の聞き手でも、失う法はないものな」
「イワン」は苦笑しました。
「話そうか、そうしようか?」
「大いに聞きたいですね」
「アリョーシャ」が言いました。
「俺の叙事詩は『大審問官』という表題でね。下らぬ作品だけど、お前にはぜひきかせたいんだよ」
「叙事詩」とは「物事、出来事を記述する形の韻文であり、ある程度の長さを持つものである。一般的には民族の英雄や神話、民族の歴史として語り伝える価値のある事件を出来事の物語として語り伝えるものをさす。口承文芸として、吟遊詩人や語り部などが伝え、その民族の古い時代には次世代の教養の根幹を成したり、教育の主要部分となることも多かった。後世に書き残され、歴史資料に保存されることになったものが多い。」また「厳密な意味で、日本に叙事詩が存在しない」とのことですが、アイヌのユーカラは叙情詩ですね。
また、「叙情詩」とは「詩歌の分類の一種。詩人個人の主観的な感情や思想を表現し、自らの内面的な世界を読者に伝える詩をいう。叙情詩とも言うが、「汲み出す」の意味から「表現する」を表すようになった漢字「抒」を使うのが本来的である。叙事詩と劇詩とともに詩の三大区分の一つである。抒情には、直接内面を表現するもの、風景に寄せて内面を表現するもの、事物に託して内心を表現するもの、歴史的事件や人物に寄せて内面を表現するものなどさまざまな方法がある。」とのこと。
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