四人目の客は、もうすっかり老齢で、貧しい農民の出の、「アンフィーム」というただの修道僧で、ほとんど文盲に近く、もの静かで寡黙でめったに人と話もせず、謙虚な人々の中でもいちばん謙虚な人物でしたが、まるでいつも何か、自分の知力では測りえぬ偉大な恐ろしいものに怯えている人間のような顔つきをしていました。
いつもおどおどしているようなこの人物を「ゾシマ長老」はきわめて愛し、生涯を通じて並々ならぬ尊敬を払ってきたのですが、それでいて、かつて彼と二人で永い年月、聖なるロシア全土をまわったことがあるにもかかわらず、一生の間に彼と交わした言葉は、おそらく他のたれとの場合より少なかったにちがいありません。
それはもうずっと以前、すでに四十年ほど前のことで、そのころ「ゾシマ長老」はコストロマ町のあまり有名でない貧しい修道院で、はじめて修道僧の苦行に入り、そのあと間もなく「アンフィーム神父」に同行して、貧しいコストロマの修道院のために寄付を集めに巡礼の旅に出たのでした。
コストロマは「ロシア連邦の古都であり、コストロマ州の州都でもある。1152年にキエフ大公ユーリー・ドルゴルーキーにより建設されたとする説が有力であり、13世紀半ばにコストロマ公国を形成したが、その後モスクワ公国に統合された。モスクワからは北東へ372km。ヴォルガ川にコストロマ川が流入する地点に建設された。人口は2002年国勢調査で278,750人、1989年の調査では278,414人だった。」とのことです。
「ゾシマ長老」の最後を看取るべく集まった四人の客人はいわゆる偉い人ばかりではなくて好感が持てます。
「イォシフ神父」と「パイーシイ神父」は当然のことで、あとの二人「ミハイル」という司祭修道士と「アンフィーム神父」は普通の修道僧です。
今までに描かれた「ゾシマ長老」はすばらしいので、どういう人物であったか興味があります、彼の生い立ちを詳しく知りたくなりました。
ところで一同は、主人も客も、長老のベッドの置いてある奥の部屋に席を占めました。
すでに述べたように、この部屋はいたって手狭でしたので、ずっと立ったままでいた見習僧の「ポルフォリイ」だけ除いて四人の神父はみな、長老の肘掛椅子を囲んで、手前の部屋から運んできた椅子にやっと腰をおろしました。
すでに仄暗くなりはじめ、部屋は聖像の前の灯明と蠟燭とで照らしだされていました。
入口でどぎまぎして立ちどまった「アリョーシャ」の姿を見ると、長老は嬉しそうに微笑し、片手をさしのべました。
「お帰り、やあ、お帰り。やっと帰ってきてくれたの。きっと戻ってくると知っておったよ」
「アリョーシャ」は長老に歩みより、深々と一礼して泣きだしました。
心臓から何かが引きちぎれ、心がふるえおののいて、大声で泣きだしたいと思いました。
「どうした、別れの涙はもう少しお待ち」
長老は右手を彼の頭に置いて、微笑しました。
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