第六編 ロシアの修道僧
一 ゾシマ長老と客人たち
不安と心の痛みをおぼえながら長老の庵室に入ったとたん、「アリョーシャ」はほとんど愕然として立ちどまりました。
今までの話は「アリョーシャ」と別れた後の「イワン」の話でしたが、ここからは「アリョーシャ」の方です、(553)の場面で「イワン」と別れた彼まで時間を遡ります、「だが、ふいに彼も向きを変え、ほとんど走るようにして修道院に向かいました。すでに日はとっぷりと暮れて、恐ろしいくらいでした。何か、とうてい答えを与えられぬような新しいものが、胸の中で育ちつつありました。昨日と同じように、また風が起り、僧庵の林に入ると、千古の松が周囲で陰鬱にざわめきだしました。彼はほとんど走らんばかりでした。」の続きですね。
ことによるともう意識もないかもしれぬと恐れていた瀕死の病人の代りに、ふいに彼が見たのは、衰弱のためにやつれてこそいるが、元気そうな明るい顔で肘掛椅子に座り、客人たちに囲まれて静かな明るい会話を交わしている長老の姿だったからです。
もっとも、長老が病床から起きたのは、「アリョーシャ」の帰るせいぜい十五分ほど前でした。
客人たちはすでにそれ以前に庵室に集まり、「われわれの師はつい今朝ほどご自分でおっしゃり、約束なさったとおり、心に大切な方々ともう一度お話しするために、必ずお起きになられます」という「パイーシイ神父」の固い保証を頼りに、長老が目ざめるのを待っていました。
瀕死の長老のこの約束だけではなく、あらゆる言葉を、「パイーシイ神父」は固く信じていましたので、たとえ長老がすでにまったく意識を失い、呼吸さえ止ったのを見たとしても、もう一度起きてお別れをすると約束してくださった以上、死にゆく人がきっと目をさまして約束をはたしてくれるだろうといつまでも待ちながら、おそらく死そのものをも信じようとしないほどでした。
今朝早く「ゾシマ長老」は、眠りに沈みながら、はっきりと彼にこう言ったのです。
「心から愛するあなた方との話にもう一度酔い、なつかしいあなた方の顔を眺め、もう一度わたしの心を披瀝せぬうちは、わたしは死なないよ」
おそらく最後になる長老の説話をききに集まったのは、いちばん忠実な永年来の友人ばかりでした。
全部で四人で、司祭修道士の「イォシフ神父」と「パイーシイ神父」、それに僧庵の司祭主任をいている「ミハイル」という司祭修道士、これはまださほど老齢でもないし、およそ学識者というわけでもなく、身分も平民出でしたが、心のしっかりした人物で、ゆるがぬ素朴な信仰をいだき、見たところ峻厳そうですが、心の奥で深い感動に充たされ、そのくせ何か羞恥に近いくらい感動を秘め隠しているのでした。
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