2017年11月18日土曜日

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そこへ、いっさいの発端となったある事態が生じたのだった。

わたしがさる若い美しい令嬢に思いを寄せたのである。

聡明な立派な娘で、気性も明るく上品だし、両親も尊敬すべき人たちだった。

地位も低くなく、財産も勢力も実力もある一家だったが、わたしを愛想よく喜んで迎えてくれていた。

やがて、令嬢がひそかに好意をいだいているらしいという気がして、そう思うとわたしの心は一気に燃えあがった。

あとになって自分でもさとり、完全に思い当ったのだが、おそらくわたしは彼女をそれほど、熱烈に愛していたわけではなく、きわめて当然のことながら、彼女の知性と高潔な性格を尊敬していただけかもしれなかった。

負け惜しみのように聞こえますが、あとになってそういうふうに思うのはなぜなんでしょう、これは「ドミートリイ」と「カテリーナ」の関係と似ていると思いますし、「イワン」と「カテリーナ」の場合もそうでした。

それはともかく、当時のわたしは利己心に邪魔されて、結婚を申し込むことができなかった。

そんな若さで、おまけに金もあるというのに、ひとり者の気ままな放埓な生活の誘惑と別れるのが、つらく、恐ろしく思われたのである。

それでも、それとなく匂わせはしておいた。

いずれにせよ、いっさいの決定的な言動は、しばらくお預けにしたのだった。

ところが、ふいにほかの郡へ二ヶ月の予定で出張ということになった。

ふた月後に帰ってきて、突然、令嬢がもう結婚したことを知った。

相手は郊外に住む裕福な地主で、わたしよりいくつか年上とはいえ、まだ若く、わたしなどには縁のない首都の上流社会にも顔が広く、きわめて愛想がよいうえ、教養のある人物だった。

ところが、教養となると、こちらはまるきりなかった。

わたしは思いもかけぬこの事態にショックを受け、頭がぼんやりしたほどだった。

何よりいけないのは、そのときはじめて知ったのだが、その青年地主がもうだいぶ以前から彼女の婚約者であり、わたし自身も彼女の家でいくたびとなく顔を合わせていながら、うぬぼれに目がくらんで、何一つ気づかずにいたことだった。

これが特にわたしには腹立たしかった。

どうして、みんなが承知していたのに、わたしだけが何も知らずにいたのだろう?

そして、ふいに抑えきれぬ憎悪をおぼえた。

顔を赤らめながら、わたしは、いくとびとなく彼女に愛を打ち明けたにもひとしいことを思いだしにかかった。

このへんの表現は利己的でうぬぼれの強い人ならではの自己弁護的な考え方をうまく表していると思います。

つまり、ぼんやりしていて気づかなかったのですが、その原因はうぬぼれでいたからです。

だが、彼女はそれをやめさせもしなければ、釘をさそうともしなかったのだから、要するに、こちらをからかっていたのだ、とわたしは結論を下した。

もちろん、あとになって考え合せると、彼女は少しもからかったわけではなく、むしろ反対にそうした話を冗談めかして打ち切ったり、ほかの話に変えたりしたことを思い出したのだが、そのときはそこまで思いめぐらすことができず、復讐の炎を燃えあがらせたのだった。

今思いだしてもふしぎでならないが、この復讐心と憤りとはわたし自身にとっても極度に苦しく、やりきれなかった。

それというのも、元来が気さくな性格で、だれに対しても永いこと腹を立てていられなかったからで、そのためことさら自分で炎を煽る感じになり、ついには見苦しい愚かな人間になってしまった。

たいへん、するどくて厳しい自己分析ですね。


ここで一旦切ります。


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