わたしは時機を待ち受け、あるとき、大勢の集まった席で、さもまったく無関係な理由からと見せかけて、突然まんまと《恋がたき》を侮辱し、当時の、あれは一八二六年だったが、さる重大な事件(訳注 前年のデカブリストの乱をさす)に関する彼の意見を笑いものにしてやった。
デカブリストの乱とは「1825年12月14日(グレゴリオ暦12月26日)にロシア帝国で起きた反乱事件。
デカブリストとは、武装蜂起の中心となった貴族の将校たちを指し、反乱が12月(ロシア語でデカーブリ、 Декабрь)に起こされたことからデカブリスト(十二月党員)の名で呼ばれた。デカブリストの乱は、ロシア史上初のツァーリズム(皇帝専制)打破と農奴解放を要求した闘争と位置づけられ、以後のロシアにおける革命運動に大きな影響を与えた。」とのこと。
「デカブリストの乱は、ロシアにおける自由主義的革命運動の第一歩として、その後の革命運動の契機とされている。」そうです。
この嘲笑は辛辣でみごとな出来ばえと、もっぱらの評判だった。
この時の二人の具体的な見解は、本筋とは関係ないので書かれていませんが、軍人であった時の若き「ゾシマ長老」の政治的見解はどのようなものだったのでしょうか。
そのあと彼に釈明を強要し、その釈明をききながら今度は実に無礼な態度をとったため、相手は身分上の大きな相違にもかかわらず、というのはわたしのほうが年も若ければ官位も低く、取るに足らぬ存在だったからだが、ついにわたしの挑戦を受けることになった。
あとになってはっきりわかったのであるが、わたしの挑戦に彼が応じたのは、やはり嫉妬心かららしい。
彼は以前、妻がまだ婚約者だった当時から、わたしにいくらか嫉妬していたのだ。
だから今、わたしの侮辱を堪え忍んで、決闘を申し込まなかったと妻が知れば、心ならずも軽蔑するようになり、愛もゆらぐのではないか、と考えたのである。
このあたりまでの「ゾシマ長老」の生い立ちを聞くと、ごく普通の人物だということがわかります。
彼の行動や考え方をみると、今や多くの人から尊敬されている人物とは思えませんが、こうした普通の人間だったからこそ、年老いて人間というものがどういうものであるかがよくわかるのかもしれません。
やはり、そういった経験というのは、人間の成長にとって必要なのでしょうか。
しかし、すべてがそのように経験によって影響されると考えるのは、経験さえできない者にとっては納得がいかないですね。
結果からある程度は原因を分析することはできても、それは大概の場合都合のいい解釈にすぎず、人間のすることは奥深すぎて、何だからこうだと言いきれないところがありますので、むずかしいです。
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