2017年11月20日月曜日

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わたしはすぐに介添人を見つけた。

同じ連隊の中尉で、友人だった。

当時も決闘はきびしく処罰されることになっていたが、軍人仲間では流行にさえなっていた。

時によると、偏見というものはそれほどまで野蛮に成長し、こりかたまってしまうのである。

六月も終りに近いころで、決闘は翌朝七時、郊外でときまった。

ところが、まさにここにいたって、わたしの心に宿命的とも言えることが起ったのである。

キリスト教では、ほかの宗教でもそうですが、常識では考えられないような奇跡物語が宗教に入るきっかけとなることが多いのですが、この話もそのようなものでしょうか。

「ゾシマ長老」は、普通に考えると長い生涯の中でこの重要な入信の契機について、多くの人に質問され、またこのことは隠すようなことではないので自ら進んで話してきたのではないかと思います。

ですから、この部分の話も「アリョーシャ」が今まで繰り返し聞いてきたことを書き留めているのかもしれませんね。

凶暴なおそろしい剣幕で夜会から家に帰ると、わたしは従卒のアファナーシイにむかっ腹を立て、力まかせに二度も顔を殴りつけたため、顔を血だらけにしてしまった。

彼はわたしのところに勤務してからまだ日が浅く、それまでにも殴ったことはあったけれど、こんな野獣のような残忍さで殴ったことは一度もなかった。

正直のところ、あれから四十年たった今も、このことを思いだすと羞恥と苦痛を禁じえない。


ここで切ります。


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