わたしは寝床に入り、三時間ほど寝入って、起きてみるともう夜が明けかかっている。
ひと思いに起きだし、もう寝る気にもなれないので、窓に歩みより、開けた。
窓は庭に面しており、見ると、まさに太陽がのぼるところで、暖かく、すばらしく、小鳥たちもさえずりだした。
心の中に何か恥ずべき卑しいことがあるように感ずるが、これはどういうわけだろう、とわたしは思った。
これから血を流しに行くせいだろうか?
いや、どうもそのせいではないようだ。
死がこわいからでは、殺されるのが恐ろしいからではあるまいか?
いや、全然違う、まったくそんなことではない・・・・と、そのとたんふいに、何が原因か、思い当った。
夜会帰りの勢いでアファナーシイを殴りつけたからなのだ!
突然、まるでそっくり再現するかのように、すべてがまた思い描かれた。
従卒がわたしの前に立っており、わたしは力いっぱいまともに顔を殴りつける、相手はまるで隊列にいるときのように直立不動の姿勢をとり、首をまっすぐ起し、目を大きく見はって、殴られるたびに身をふるわせはするものの、手をあげて防ごうとさえしない–人間はここまで堕ちてしまったのだろうか、人間が人間を殴るとは!
なんという犯罪だろう!
鋭い針がわたしの心を刺し貫いたかのようであった。
わたしは呆然と立ちつくしていた。
ここで切ります。
ある時点で気づく人と気づかない人がいるのはなぜなのでしょうか、それが問題である気がします。
それは神のみぞ知ることで、気づいた人は、まだ気づかない人を気づかせる使命があるのでしょう。
そして、「ゾシマ長老」の場合は、あとで書かれているように兄「マイケル」ということですね。
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