「あの方ではございません。別のお客さまです。この方たちなら大丈夫ですわ」
「何かあったのかな?」
「アリョーシャ」の手をとって客間に案内しながら、「ラキーチン」がつぶやきました。
「グルーシェニカ」はいまだに怯えたような態度で、ソファのわきに立っていました。
栗色の豊かな髪がふいに飾り布の下からこぼれて、右肩に落ちましたが、彼女は客の顔を見つめて、相手がだれか確かめるまで、そんなことには注意も払わず、直そうともしませんでした。
この「グルーシェニカ」の髪がこぼれる描写は見事ですね。
「ああ、あんただったの、ラキートカ? すっかり震えあがるところだったわ。お連れはどなた? だれを連れてらしたの? まあ、だれかと思ったら!」
「アリョーシャ」だと知って、彼女は叫びました。
「とにかく蠟燭を持ってこさせなよ!」
家の中のことを指図する権利さえ持っている、いちばん近い知人のような、くだけた様子で、「ラキーチン」が言いました。
「ラキーチン」は「グルーシェニカ」の親戚であることを否定していたのですが、もうこの段階ではそれもやめたとしか思えませんね。
「蠟燭・・・・そう、もちろん蠟燭が要るわね・・・・フェーニャ、蠟燭を持ってきて・・・・それにしても、選りに選ってこんなときに連れてくるなんて!」
ここで「フェーニャ」と呼ばれているのは、二十歳くらいの小間使いでしょうね。
「アリョーシャ」をちらと見て、彼女はまた叫ぶと、鏡に向って、すばやく両手で髪をととのえはじめました。
まるで不満みたいでした。
「気に入らなかったかい?」
とたんに気をわるくして「ラキーチン」がたずねました。
「びっくりさせるんだもの、ラキートカ、ほんとよ」
「グルーシェニカ」は笑顔で「アリョーシャ」の方に向き直りました。
不満そうな様子で鏡に向かった「グルーシェニカ」が一転して笑顔で向き直るこの場面も見事な描写です。
「あたしをこわがらないでね、アリョーシャ、来てくださってとても嬉しいわ、思いもかけないお客さまですもの。でも、ラキーチン、びっくりさせるわね。てっきりミーチャがあばれこんできたのかと思ったわ。実はね、さっきあの人を欺したのよ。あたしを信ずるって約束させたうえで、あの人に嘘をついたの。今夜はずっとサムソーノフのお爺さんのところへ行って、一晩じゅうお金の計算をするんだもの。鍵をかけた部屋で、あの人が算盤を入れて、あたしは坐って帳簿に書きこむのよ。信用しているのは、あたしだけなのね。ミーチャはあたしがあっちに行ってると信じきっているけど、あたしはこうして家に鍵をかけて引きこもって、ある知らせを待っているの。それにしても、よくフェーニャがあなたたちを入れてくれたわね! フェーニャ、フェーニャ! 一走り行って、門を開けて、どこかに大尉さんがいないか、そのあたりを見てきてよ! ひょっとしたら、どこかに隠れて見張ってるかもしれないわ、あたしひどくこわいのよ!」
「グルーシェニカ」は「ドミートリイ」に自分を信じると約束させてから嘘をついたのですが、大胆というか、女性らしいというか何と言っていいかわかりませんが彼女の性格が垣間見られるようです。
「だれもいませんわ、奥様、今ひとわたり見てきましたし、しじゅう戸の隙間からのぞいておりますもの。あたしまで、こわくてびくびくしておりますんですから」
小間使いは「グルーシェニカ」のことを「奥様」と呼んでいるのですね。
「鎧戸は閉ってるわね、フェーニャ、カーテンもおろしておいたほうがいいわ、こうやって」
彼女は思いカーテンをみずからおろしました。
「でないと、灯りを見てとんでくるにちがいないわ。アリョーシャ、あたし今日はあなたのお兄さんのミーチャがとてもこわいの」
不安にかられてはいるものの、なにかほとんど喜んででもいるように、「グルーシェニカ」は大声で言いました。
「どうして今日はそんなにミーチャをこわがってるんだい?」
「ラキーチン」がたずねました。
「いつもは彼なんぞ平気なんだろう、思うように踊らせてるじゃないか」
「あんたには教えてあげるけど、あたし知らせを待っているのよ。ある、とてもすばらしい知らせ。だから今やミーチャは全然お呼びでないってわけ。それにあの人、あたしがサムソーノフのところへ行ったなんてこと、信じていないもの、そんな感じがするの。きっと今ごろフョードル・パーヴロウィチの裏庭に陣どって、あたしを張りこんでいるにちがいないわ。もっともあそこに張りこんでいれば、つまりここへはやってこないわけだから、そのほうがありがたいけれど! でも、サムソーノフのところへ、あたし本当に行ってきたのよ。ミーチャが送ってくるんだもの。あたし、真夜中までずっといるから、必ず夜の十二時に迎えにきて家まで送ってちょうだいって言っといたのよ。あの人が帰ったあと、あたし十分くらいお爺さんのところにいて、またここに舞い戻ったってわけ。ああ、こわかったわ、あの人に出会わないように走ってきたのよ」
実は「グルーシェニカ」だって自分の嘘を「ドミートリイ」が信じてないと思っているのですね、二人ともお互いタヌキの騙し合いのようで微笑ましくも思いますが、実際のところは深刻な事態でもあります。
それにしても、「夜の十二時に迎え」にくる約束なんかして大丈夫なんでしょうか、「グルーシェニカ」は深夜にまた家を抜け出して「サムソーノフ」のところに行かなくてはなりませんが。
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