「で、そんなにおめかしして、どこへ行くの? おもしろい髪飾りなんぞつけてさ?」
「あんたって本当に好奇心が強いのね、ラキーチン! ある知らせを待っているところだって、言ったじゃないの。知らせが来たら、跳ね起きて、とんで行くわ。あなたたちにも一目会っただけでもうお別れ。ちゃんと支度して待っていられるように、おめかしをしたのよ」
ここで言うべきことではありませんが、小説の中での会話というのはリアルな会話とは別物ですね、それは当たり前のことかもしれませんが、小説を読むと言うことは観念の流れであり、ある意味その流れに規定された会話となると思います、言い換えればその小説のルールに従った会話というか、もちろん限度はありますが一般的な会話とは別物ですね。
この「グルーシェニカ」の言葉も、翻訳されたものということを考慮しても普通の日常的な会話ではないですね、しかし、生き生きとした彼女の感情や可愛らしさが十分に伝わってきます。
「どこへとんで行くのさ?」
「あんまり知りすぎると、早く年をとるわよ」
「どうだい。全身これ喜びって感じだな・・・・こんな君にはついぞお目にかかったことがないよ。舞踏会にでも行くみたいにめかしこんでさ」
「ラキーチン」は彼女を眺めまわしました。
「舞踏会にくわしいようなことを言うじゃないの」
「じゃ、君はくわしいのかい?」
「あたしは舞踏会を見たことがあるわ。おととしサムソーノフが息子さんを結婚させたとき、聖歌隊の席から見たもの。それはそうと、ラキートカ、こちらにこんな立派な公爵さまがお見えなのに、あんたなんかと話してることはないわね。ほんとに珍客ですもの! アリョーシャ、ねえ、こうしてあなたを見ていても、まだ信じられないの。ほんとうにあなたが家に来てくれるなんて! 正直に言って、期待していなかったし、予想してもいなかったわ。今までだって、あなたが来てくれるなんてこと、一度も信じていなかったわ。せめて今がこんなときでなかったらいいけれど、でも、とっても嬉しい! ソファにかけて、ここへ、そうよ、あたしの若いお月さま。ほんとに、なんだかまだ本当と思えないわ・・・・ああ、ラキートカ、昨日かおととい連れてきてくれたらね! そりゃ、今だって嬉しいけど。もしかしたら、おとといじゃなく、今こういう瞬間のほうがよかったのかもしれないわね・・・・」
ここで「・・・・あたしの若いお月さま」なんてことは普通日本では言わないですね、ロシアではどうでしょうか。
しかし、この会話の「・・・・もしかしたら、おとといじゃなく、今こういう瞬間のほうがよかったのかもしれないわね・・・・」というなにげなさそうなセリフにしても、いろんな感情が折りたたまれているようで、大げさに言えば人間の普遍的な感情の動き方を考えさせられるようです。
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