聖シルヴェステル寺院からきたオブドールスクの修道僧も、深い溜息をつき、首を振りながら、熱心にその言葉をきいていました。
『いや、どうやら、フェラポント神父が昨日下した判断は正しいようだ』
彼はひそかに思っていました。
と、ちょうどそこへ、「フェラポント神父」が姿を現わしたのです。
まるでみなの動揺を倍加するために現われたような感じでした。
すでに前に述べたとおり、彼が養蜂場にある木造の庵室から出ることはめったになく、教会にさえ永いこと顔を出しませんでしたが、神かかり行者で通っている彼はそれも大目に見られ、すべての人に共通の規則で束縛されませんでした。
だが、本当のことを言うと、それらすべてを大目に見られていたのは、ある程度必要に迫られてのことでした。
なぜなら、夜も昼も祈りつづけている(なにしろ眠るときでさえ、ひざまずいたままなのだ)、これほど偉大な斎戒と沈黙の行者を、当人が服従を望まぬというのに、一般の規則でしつこく縛るのは、なんとなくうしろめたかったからです。
「あの人はわれわれみんなより神聖なお方だし、規則で定められているよりずっと困難なことを遂行しているのだ」
そんなことをすれば、修道僧たちがこう言うにちがいありませんでした。
「教会に来ないのも、自分の行くべきときを承知しているからで、あの人には自分の規則があるのだ」
こうした不平や罪深い騒ぎが起るにちがいないため、「フェラポント神父」をそっとしておいたのでした。
すでにだれもが承知していることでしたが、「フェラポント神父」は「ゾシマ長老」を極度にきらっていました。
そこへ突然、『神の裁きはつまり人間の裁きとは違って、自然にすら先んじるのだ』という知らせが、彼の庵室に達したのです。
真っ先にこの知らせを伝えに走った者の中に、昨日彼を訪問し、恐れおののいて帰ってきたオブドールスクの神父がいたものと考えねばなりません。
これもすでに述べたように、柩のわきに身じろぎもせずに毅然と立って朗読をつづけていた「パイーシイ神父」は、庵室の外で起っている事態は見えも聞えもしなかったものの、肝心なことはすべて心の中で的確に予見していました。
それというのも、自分の属している社会を裏の裏まで知りつくしていたからです。
彼はうろたえたりせず、心の眼差しにすでに映ずるこの動揺のこれからの成行きを冷徹な目で見守りながら、この先起りうるあらゆる事態を、恐るる色なく待ち受けていました。
そこへ突然、玄関口での異常な、明らかにもはや礼儀を乱す騒ぎが、彼の耳をおどろかせました。
ドアが勢いよく開け放され、戸口に「フェラポント神父」が姿を現わしました。
この「フェラポント神父」については、(419)第二部第四編の冒頭の小見出しになっており、そこで述べられています。
オブドールスクの修道僧は「ゾシマ長老」よりこの神かかり行者の「フェラポント神父」に気を惹かれていますね。
あとに従ってきた大勢の修道僧が、表階段の下でひしめき合い、その中には俗世の人々もまじっているのが認められましたし、庵室の中からさえはっきり見えました。
それでも、ついてきた連中は中に入らず、表階段にも上らずに、立ちどまり、これから「フェラポント神父」が何を言い、何をしでかすかと待ちかまえていました。
それというのも彼らは、自分たちの大胆な振舞いにもかかわらず、「フェラポント神父」が来たのはそれだけの理由があるにちがいないと、いくぶんの恐怖さえいだきながら、予感していたのです。
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