だが、何かよからぬことが生じはじめており、反抗そのものさえ首をもたげているのを予見して困惑していました。
以上は、「イォシフ神父」のことです。
「イォシフ神父」につづいて、良識的な声もすべて、少しずつ鎮まっていきました。
そして、亡くなった長老を愛し、長老制度の確立を感動しきって素直に受け入れていた人たちがみな、突然何かに怯え、お互いに出会っても、ただ臆病そうに相手の顔をのぞきこむだけという具合に、いつしかなっていきました。
立場が一瞬にして逆転したのですね。
一方、長老制度を新制度として敵視する連中は、傲然と頭をそりかえらせました。
「ワルソノーフィイ長老の亡くなったときは、腐臭なんぞ立たなかったばかりか、芳香が流れたほどだった」
彼らは意地わるく思い出話をしました。
「ワルソノーフィイ長老」といえば(130)で「フョードル」は修道僧に彼の逸話を話していました。
それは、真偽はわかりませんが「優美なものがきらいで、ご婦人方にさえ、とびかかって杖で殴ったとかいう話ですけど」というものです。
「しかし、あのお方にそれだけの値打ちがあったとすれば、それは長老の位によってじゃなく、ご自身の行いが正しかったからなのだ」
それを受けて、今回亡くなった長老に、もはや批判や、はては非難まで浴びせられました。
「あの人の教えは間違っていた。人生は偉大な喜びであって、涙ながらの忍従ではない、と教えたのだから」
いちばん愚かな連中の中には、そんなことを言う者もいました。
それに輪をかけて愚かな連中は「あの人のは流行に従った信仰で、地獄に存する物質的な火を認めなかったのだ」と尻馬にのりました。
「精進に対して厳格じゃなかった。甘いものを平気で口に入れ、桜んぼのジャムをお茶といっしょに食べていたし、大好物で、地主の奥さんたちに届けさせていた。スマヒ僧がお茶を楽しむなど、もってのほかではないか?」
(502)で「イワン」が「アリョーシャ」に言っています。
「桜んぼのジャムはどうだ? ここにはあるぜ。おぼえてるかい、まだ小さいころポレノフの家にいた時分に、お前は桜んぼのジャムが大好きだったじゃないか?」
「ゾシマ長老」と同じように「アリョーシャ」も小さい時から桜んぼのジャムが大好きだったのですね。
妬んでいた連中の間からも声があがりました。
「やけにお高くとまっていたしな」
いちばん意地のわるい連中は、手きびしく思いだしてみせました。
「自分を聖人と見なして、人々が前にひれ伏しても、当り前みたいな顔をしていたもの」
「あの人は懺悔の秘儀を悪用していたのだ」
長老制度のもっともはげしい反対者たちは、悪意にみちたささやきで追い討ちをかけました。
しかもそれが、修道僧たちの中でもいちばん年かさで、信仰にかけてもきびしい、真の斎戒者や沈黙の行者たちであり、故人の生前は沈黙していたのに、今やふいに口を開いたのであるだけに、恐ろしいことでした。
なぜなら、この人たちの言葉は、若い、まだ信念の固まらぬ修道僧に強い影響を与えるからでした。
これが大衆の原像でしょうか。
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