2018年2月23日金曜日

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「悲劇だ!」

歯ぎしりしながら彼は言いすてると、眠っている男のそばに機械的に歩みより、顔を眺めはじめました。

まださほどの年でもない骨張った百姓で、ひどく長い顔をし、栗色の縮れた髪に、赤茶けた細長い顎ひげを貯え、更紗のシャツに黒いチョッキを着ており、そのポケットから銀時計の鎖がのぞいていました。

「ミーチャ」は恐ろしい憎悪をこめてその顔をしげしげと眺めていました。

なぜか、この男が縮れ毛であることが、とりわけ憎く思いました。

何よりも、彼「ミーチャ」が多くの犠牲を払い、多くのものを放棄し、身体の芯まで疲れきって、火急の用事でこうしてのぞきこんでいるのに、この怠け者が、『今や俺の全運命を左右するこの男が、まるでほかの天体から来たみたいに、けろっとした顔で高いいびきをかいている』ことが、堪えられぬほどいまいましく思いました。

『ああ、運命の皮肉だ!』

「ミーチャ」は叫ぶと、突然、すっかり分別を失って、また酔いどれの百姓を揺り起そうととびつきました。

彼はなにやら凶暴な勢いで起しにかかり、男をひっぱったり、こづいたり、はては殴りさえしましたが、五分ほど苦闘して、またしても何の得るところもなかったため、無力な絶望にとらえられて自分のベンチに戻り、腰をおろしました。

「愚劣だ、ばかげている!」

「ミーチャ」は叫びました。

「それに・・・・何から何まで恥さらしなことばかりだ!」

ふいに彼はなぜか付け加えました。

彼は自分がどれほど馬鹿らしいことをしているのかわかっているのですね、しかし深くは考えていないようです。

ひどく頭が痛くなってきました。

『いっそあきらめるか? すっかり引き上げちまおうか』

ちらとこんな思いがうかびました。

『いや、朝まで待つんだ。わけがあるから残るんじゃないか、わけがあるから! あんな一件のあとで、ここへやってきたのは、いったい何のためだと思っているんだ? それに、帰ろうにも乗るものがないし。いまさらどうやって帰れる? えい、ばかばかしい!』

それにしても、頭痛ははげしくなるばかりでした。

彼は身動き一つせずに坐り、まどろみはじめたのも気づかぬうちに、ふいに坐ったまま寝入ってしまいました。

どうやら二時間か、それ以上眠っていたらしいのです。

耐えきれぬ頭痛に目をさましました。

叫びだしたくなるほど堪えがたい痛さでした。

こめかみがずきずきし、頭頂部が痛みました。

目をさましたものの、それからもまだしばらくの間、すっかりわれに返ることができず、自分の身に何が起ったのか理解できませんでした。

やっと、暖炉を焚きすぎた部屋の中に恐ろしい一酸化炭素がたまって、へたをすれば死にかねなかったことに思いいたりました。

一酸化炭素中毒ですね。

少し調べますと、「都市ガスは全域で一酸化炭素を含まないものとなり、ガス漏れによる一酸化炭素中毒は起こらなくなった」「火災に伴う一酸化炭素中毒も知られている。なお、火災の場合、アクリルやポリウレタンなどの熱分解の影響でシアン化水素も発生し、一酸化炭素中毒と共にシアン化水素による中毒も併発している場合がある。」「一酸化炭素中毒を自覚するのは難しく、危険を察知できずに死に至る場合が多い。軽症では、頭痛・耳鳴・めまい・嘔気などが出現するが、風邪の症状に似ているため一酸化炭素への対処が遅れる。すると、意識はあるが徐々に体の自由が利かなくなり、一酸化炭素中毒を疑う頃には(また、高い濃度の一酸化炭素を吸った場合には)、自覚症状を覚えることなく急速に昏睡に陥る。この場合、高濃度の一酸化炭素をそのまま吸い続ける悪循環に陥り、やがて呼吸や心機能が抑制されて7割が死に至り、また、生存しても失外套症候群または無動性無言と呼ばれた高度脳器質障害や聴覚障害が残る。ヘモグロビンは一酸化炭素と結合すると鮮紅色を呈するため、中毒患者はピンク色の「良い」顔色をしているように見える。」とのこと。

今は「キャンプ用一酸化炭素チェッカー」というものも売られています。

泥酔した百姓は相変らずひっくり返って、高いいびきをかいていました。

蝋燭が融けて、消える寸前でした。

「ドミートリイ」は悲鳴をあげ、よろめきながら、玄関の土間をぬけて森番の部屋にとびこみました。

森番はすぐに目をさましましたが、向うの部屋に一酸化炭素がこもっていることをきくと、後始末に立ちはしたものの、この事実を奇妙なほど無関心に受けとり、それが「ミーチャ」を腹立たしいくらいおどろかせました。

何なんでしょうね、こういった無関心の正体は、今までの経験でも少なからずあるように思います。


「ドミートリイ」は、さっきからずっとこの自分と他者の感情の落差に苦悩しており、つまり自分がこの世でひとり生死を賭けた大変な状態でいるというのに、そんなことおかまいなしに周りはまったく平然としており、ますます自分が異質なもののように感じ孤独感が増してきているのではないでしょうか。


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