「ミーチャ」は薄汚れたクロースのかかっている小さなテーブルの前の籐椅子に腰をおろしました。
「ペルホーチン」も向かい側に坐りました。
とたんにシャンパンがあらわれました。
「牡蠣なぞいかがでございましょう、入荷したばかりの極上の牡蠣でございますが」と、店の者がすすめました。
「牡蠣なんぞまっぴらごめんだ、僕は食わんよ、それに何も要らん」
「ペルホーチン」がほとんど敵意を示して食ってかかりました。
「牡蠣なんぞ食ってる暇はないんだ」
「ミーチャ」が言いました。
「それに食欲もないし。ねえ、君」
ふいに彼は感情をこめてつぶやきました。
「こういう無秩序なことは、僕は決して好きじゃなかったんだけどね」
過去形で「好きじゃなかった」となっています、前回の豪遊を繰り返そうとしている「ドミートリイ」はそんなことが好きで再びそうしようとしているのではなく、仕方なくというか、それしか思い浮かばないからそうしているのでしょう。
「だれだって好きなもんですか! 百姓どもにシャンパンを三ダースなんて、これじゃだれでも頭にきますよ」
はじめはシャンパンを四ダースだったはずですが、三ダースになっているのは、「ペルホーチン」がそうしたのでしょう。
「僕の言うのはそのことじゃないんだ。僕はもっと高い秩序のことを言ってるんですよ。その秩序が僕にはないんだ、もっと高い秩序が・・・・でも・・・・すべて終りさ、べつに嘆き悲しむことはない。手遅れだよ、勝手にしろってとこさ! 僕の一生が無秩序だったんがから、ここらで秩序を立てなけりゃ。これじゃ語呂合せかな、え?」
「語呂合せ」かどうかはわかりませんが、「ドミートリイ」は自分には「もっと高い秩序」がないと言っています、これは倫理観ということだと思います。
「うわごとですよ、語呂合せじゃない」
「この世の神に栄えあれ、
わが内なる神に栄えあれ!」
この詩はいつだったか僕の心からほとばしりでたんですよ。これは詩じゃなく、涙なんだ・・・・僕自身が作ったんだけど・・・・と言っても、二等大尉の顎ひげをつかんで引きずりまわした、あのときじゃないですよ・・・・」
「どうして突然あの男のことを?」
「どうして突然あの男のことを、だって? 下らない! 何もかもやがて終り、何もかもが帳消しになるんだ。一線を踏みこえりゃ、それでけりがつくんだから」
彼はこれからモークロエに行って、「グルーシェニカ」とポーランド人の将校の門出を祝いどんちゃん騒ぎして、自分はもう死ぬという覚悟ですね。
「本当にあのピストルが目にちらつくな」
「ピストルだって下らないことさ! 飲みたまえよ、妄想にふけらずにさ。僕は人生を愛している、愛しすぎたほどなんだ。あまり愛しすぎて、浅ましいくらいさ。もうたくさんだ! 人生のために、君、人生のために飲もうや、人生のために乾杯! なぜ僕は自分に満足していられるんだろう? 僕は卑劣な人間だけれど、そんな自分に満足しているんですよ。自分が卑劣な人間であることに苦しんではいるが、それでも自分に満足しているんだ。僕は神の創造を祝福するし、今すぐにでも神とその創造を祝福するつもりではいるけれど、でも・・・・とにかく悪臭を放つ一匹の虫けらをひねりつぶす必要があるんだ。そいつがその辺を這いまわって、他人の生活を台なしにしないようにね・・・・さ、君、人生のために飲もう! 人生より尊いものが、ありうるだろうか? あるもんか、何一つありゃしないよ! 人生のために、そして女王の中の女王のために乾杯」
この発言の中の「・・・・とにかく悪臭を放つ一匹の虫けらをひねりつぶす必要があるんだ。そいつがその辺を這いまわって、他人の生活を台なしにしないようにね・・・・」の「一匹の虫けら」とは何でしょうか、「フョードル」のことを言っているようにも思えますが、そうではなく自分の中のカラマーゾフの血のことを言っているのだと思います。
「人生のために乾杯、そして君の女王のためにも」
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