2018年5月27日日曜日

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「みなさん、実に残念です! ほんのちょっとだけ、彼女のところへ行ってきたかったのに・・・・一晩じゅう僕の心を苦しめつづけていたあの血が、洗い流され、消え去って、僕はもう人殺しじゃないんだってことを、彼女に教えてやりたかったんです。だって、みなさん、彼女は僕のいいなずけなんですからね!」

みなを見まわしながら、彼は突然、感激しきった、うやうやしい口調で言い放ちました。

「ああ、本当に感謝します、みなさん! ああ、あなた方は一瞬のうちに僕を生き返らせ、よみがえらせてくださったんだ! なにしろあの老人は、三つの子供のときにみんなに見すてられた僕を、抱いてあやしたり、たらいで行水を使わせてくれたりして、実の父親も同然だったんですものね!」

「それじゃあなたは・・・・」

予審調査官が切りだしかけました。

「すみませんけど、みなさん、あと一分だけ待ってください」

両肘をテーブルにつき、両の掌で顔を覆って、「ミーチャ」が相手の言葉をさえぎりました。

「ちょっと考えさせてください、ひと息つかせてくださいよ、みなさん。今の話がすごいショックだったんです、すごく。人間は太鼓の皮とは違いますからね、みなさん!」

「人間は太鼓の皮とは違いますからね」とは、張り替えることができないということでしょうか。

「じゃ、また水でも・・・・」

「ネリュードフ」が歯切れわるく言いました。

「ミーチャ」は顔から両手を離し、朗らかに笑いました。

眼差しが溌剌とし、わずか一瞬のうちに人がすっかり変ったみたいでした。

全体の調子まで変りました。

それはもはや、以前からの知合いであるこれらすべての人たちと、ふたたび対等になった人間として同席している感じで、かりに昨日、まだ何も起らなかったころに社交界のどこかで、みなが顔を合わせたら、ちょうどこんなふうだったにちがいありませんでした。

作者は「グリゴーリイ」が一命をとりとめたことを知った「ドミートリイ」の態度の変わり方をこれでもかこれでもかと書いています、このことは作者が読者と駆け引きをしているのでもなく、伏線などの創作上の技術的なことでもなく、単に「ドミートリイ」の性格が現れる描写を繰り返すことによって読者に肝心なことを知らせているのだと思います、仮にこれで「ドミートリイ」が父親殺しの犯人ということになるとすると、ある意味で読者は作者の不実を見ることになり、そのようなことはありえないことでしょう。

もっとも、ついでに言っておくと、「ミーチャ」はこの町に来た当座は、署長の家に喜んで迎えられたものの、その後、特にこのひと月ばかりは「ミーチャ」もほとんど訪ねませんでしたし、署長もたとえば道で彼に出会ったりすると、ひどく眉をひそめ、もっぱら儀礼的に会釈するだけで、そのことは「ミーチャ」もちゃんと気づいていました。

これは「ドミートリイ」の素行の悪さを署長が嫌がっているからだと思いますが、ということは社交界でも彼の悪い噂は広がっているのでしょう。

検事とはもっと遠い付き合いでしたが、神経質な空想家の女性である検事夫人のところへは、それでもときおりきわめて折目正しく顔を出し、自分でも何のために訪問するのか、さっぱりわからぬほどだったのですが、夫人のほうはごく最近までなぜか彼に関心を示して、いつも愛想よく迎えてくれました。

町の女性の中にはそんな「ドミートリイ」に好意を持つ女性もいるということであり、不思議なことです。


予審調査官とはまだ親しくなる暇がありませんでしたが、しかし、よく顔を合わせる機会がありましたし、一度か二度、話をしたことさえあって、二度とも女の話でした。


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