2018年5月31日木曜日

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こう言い終ると、「ミーチャ」はふいにひどく沈んだ顔になりました。

もうだいぶ前から、予審調査官の質問に答えるたびに、しだいに、顔が暗い表情を深めてきていました。

と、ちょうどその瞬間、突然また思いがけない一幕が展開しました。

ほかでもない、「グルーシェニカ」は先ほど連れ去られて行きはしたものの、それほど遠くへ連れて行かれたわけではなく、いま尋問の行われている青い部屋から三つ目の部屋でした。

それは、ゆうべ踊ったり、盛大に酒盛りをやったりした広い部屋のすぐ裏にある、窓の一つしかない小部屋でした。

その部屋に彼女は坐っていましたが、付き添っているのは今のところ、ひどく肝をつぶしてすっかり臆しきり、彼女の近辺に救いを求めるかのようにへばりついている、地主の「マクシーモフ」一人きりでした。

戸口には胸にバッジをつけたどこかの百姓が頑張っていました。

「グルーシェニカ」は泣いていました。

ふいに、悲しみがあまりにも胸に迫ったため、彼女は立ちあがり、両手を打ち鳴らして、「悲しい、悲しいのよ!」と大声で泣き叫ぶなり、彼のところへ、愛する「ミーチャ」のところへ行こうと、部屋をとびだしました。

だれ一人とめる暇もないほど、ふいの出来事でした。

一方「ミーチャ」は、彼女の泣き声をきくと、身ぶるいして跳ね起き、叫けびだし、われを忘れたように、まっしぐらに彼女の方に突っ走りました。

だが二人は、もう互いに相手の姿を目にしながら、またしても抱き合うことを許されませんでした。

彼は両手をしっかり押さえられました。

もがき、あばれまわるので、彼を取りしずめるには三、四人の力が必要でした。

彼女も抱きとめられました。

連れ去られていく彼女が、叫びながら両手をさしのべるのが目に入りました。

この一幕が終り、われに返るとまたテーブルの前の先ほどと同じ場所に、予審調査官と向い合いに坐らされていたため、彼は一同に向ってどなりました。

「彼女に何の用があるんです? なぜ彼女を苦しめるんですか? 彼女は無実だ、何の罪もないんです!」

検事と予審調査官が彼を説き伏せにかかりました。

こうして十分ばかりたちました。

やがて、中座していた警察署長の「マカーロフ」があわただしく部屋に入ってきて、興奮した様子で検事に大声で言いました。

「女は連れて行きました。下にいます。みなさん、わたしにもその不幸な男にほんの一言だけ話させてくれませんか? あなた方の前で、みなさん、あなたの立会いのもとで!」

「結構ですとも、ミハイル・マカーロウィチ」

予審調査官が答えました。

「今度はべつに反対しませんから」

「ドミートリイ・フョードロウィチ、まあ聞きたまえ」

「ミーチャ」に向って、「マカーロフ」は口を開きました。

興奮したこの顔全体が、不幸な相手に対するほとんど父親のような、熱烈な同情をあらわしていました。

「君のアグラフェーナ・アレクサンドロヴナは、わたしが自分で下にお連れして、この宿の娘さんたちに預けてきたし、今は例のマクシーモフ老人がずっと付き添っている。わたしは彼女によく言いきかせてきたよ、わかるかね? よく言いきかせて、気持を鎮めてあげた。君は無実を証明せねばならんのだから、邪魔をしてはいけない、君を悲しませたりしちゃいけない、さもないと頭が混乱して、間違った供述をするかもしれないから、と教えさとしておいたよ。わかるね? まあ、一言で言うと、わたしが話してあげたら、あの人はわかってくれたというわけだ。あの人は、君、利口な女性だね、気立てのやさしい人だ、わたしのような老人の手に接吻しようとまでして、君のことを頼んでいたよ。自分からすすんでわたしをここへよこして、自分のことは安心していてくれるようにと君に言伝てを頼むんだからね。だからわたしはまた行って、君が冷静なことや、あの人のことで安心したのを伝えてあげなければならないんだよ。そういうわけだから、安心しなさい、わかるね。わたしはあの人にすまないことをした。あの人はキリスト教徒の心を持っている。そうですよ、みなさん、あの人はやさしい心の持主で、何の罪もない人です。ところで、あの人にどう言おうかね、ドミートリイ・フョードロウィチ、君は冷静に坐っていられるかね、どうだね?」

(785)で「マカーロフ」は「グルーシェニカ」に対して「そうよ、お前がわるいんだ! お前がいちばんの犯人だ! お前は半気違いの、淫蕩な女だ。お前がいちばんわるいんだぞ」とわめき、検事に両手で取り押えられたりしていたのですが、それが一変して彼女のことを「キリスト教徒の心を持っているやさしい心の持主」と話していますが、いったい短い間に何があったのでしょう。


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