2018年5月30日水曜日

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「われわれが発見したときには、書斎の床の上に仰向けに倒れていました。頭を打ち割られてね」

検事が言いました。

検事の「イッポリート・キリーロウィチ」は被害者の状況を容疑者に簡単に教えてしまいましたね、しかしこれは「ドミートリイ」が犯人だとすれば彼しか知っていないことを引きださせるためなのでしょうか、それにしても「ドミートリイ」は父親が死んだことを悲しんでいる様子はないですね。

恐ろしい話だ、ねえ!」

突然「ミーチャ」はびくりとふるえ、テーブルに肘をつくと、右手で顔を覆いました。

「それじゃ、つづけましょう」

「ネリュードフ」がさえぎりました。

「ところで、そのときあなたに憎悪の気持をいだかせたのは、いったい何ですか? あなたは、たしか、嫉妬の感情だとおおっぴらに言っておられましたね?」

「ええ、嫉妬です。でも、嫉妬だけじゃありませんがね」

「金銭上の争いですか?」

「そう、金のこともあります」

「たしか、その争いは遺産の未払い分とかいう三千ルーブルのことでしたね?」

検事と予審調査官はよく知っていますがいったい誰に聞いたのでしょうか。

「三千なんてとんでもない! もっとです、もっとですよ」

「ミーチャ」はどなりました。

「六千以上、おそらく一万以上でしょうね。僕はみんなに言ったし、みんなに叫びまわりました! でも、仕方がないから、三千で折り合うことに決めたんです。僕にはその三千がどうしても必要だったもんで・・・・だから、三千ルーブル入ったあの封筒が、グルーシェニカのために用意されて、親父の枕の下にあることも知ってましたが、僕は自分の金が盗まれたように思っていたんです。そうなんですよ、みなさん。僕の金も同然だ、自分の金だと、見なしていたんです・・・・」

検事が意味ありげに予審調査官と顔を見合せ、気づかれぬようにすばやく目くばせしました。

三千ルーブル入った封筒の場所を具体的に知っていたということ、またそれを自分のものと思っていたということは決定的だと思ったのでしょう

「その問題にはいずれまた戻りますが」

すぐに予審調査官が言いました。

「今は、あなたが封筒に入ったその金をご自分のものと同様に見なしておられたという、まさにその点を指摘して、記録にとどめさせてもらいます」

「どうぞ記録してください、みなさん、これもやはり僕に不利な証拠であることくらい、わかっていますが、僕は証拠なんぞ恐れやしないし、自分に不利なことでもすすんで話しますよ。いいですか、すすんでですよ! あのね、みなさん、どうやらあなた方は僕という男を、実際の僕とはまるきり違う人間に受けとっておられるようですな」

ふいに彼は暗い沈んだ口調で付け加えました。

「あなた方と今話しているのは、高潔な人間なんですよ。この上なく高潔な人間なんだ。何より大切なのは-この点を見落さないでくださいよ-数限りない卑劣な行為をやりながら、常に高潔きわまる存在でありつづけた人間だってことです。人間として、心の内で、心の奥底で、つまり一口で言えば、いや、僕にはうまく表現できないけど・・・・僕は高潔さを渇望し、ほかならぬそのことによってこれまでの生涯苦しみつづけてきた。僕は、いわば、高潔さの受難者でした。提灯をさげた、ディオゲネス(訳注 古代ギリシャの哲学者)の提灯をさげた探求者でした。ところが、それにもかかわらず、これまでの人生でやってきたことといえば卑怯なことばかりなんだ、われわれはみんなそうですがね、みなさん・・・・いや、つまり、みんなじゃなく、僕だけです。間違いました、僕だけです、僕だけです! どうも頭痛がするもんで」

 「ディオゲネス」とは「前4世紀、ギリシアの哲学者。アレクサンドロス大王との逸話で知られる。犬儒派の一人で、ヘレニズム時代のコスモポリタニズムの先駆ともされる。前4世紀のギリシアの犬儒派(キュニコス派)の代表的な哲学者。ソクラテスの流れをくむアンティステネスに学び、プラトンのアカデメイア学派を批判して、自由で自足的な生活を求め、敢えて犬のような生活を理想としたので、犬儒派と言われた。彼のポリス社会の理念を否定する思想は、後のコスモポリタニズムの先駆となった。ディオゲネスは、あなたはどこの国の人かと尋ねられると、「世界市民(コスモポリテース)だ」と答えたという。ポリスという国家社会に依存しない生き方を理想とする、ヘレニズム時代のコスモポリタニズムの先駆者と言える。ディオゲネスには逸話に事欠かない。彼は地位を求めず、家を捨てて樽にすみ、不用のものの全てを虚飾として身につけず「犬のような生活」をした。彼の「シンプル・ライフ」を追求する言動は、貴族的なプラトンへの当てつけであった。ディオゲネスが昼間、ランプを灯して町中を歩き回り「わしは人間をさがしているのじゃ」と言ったという。 」とのこと、また、ある時、ディオゲネスは、「人の姿を見て犬と呼ぶ人がいる。では、人間はどこにいるのだろう?」と言って、昼間にランプの火をつけて人間探しをした。その後、「ここには人はいない」と言ったとも。今では、アテネなどで『ディオゲネスのランプ』といえば、賢者の象徴とされているとのこと。

彼はくるしそうに眉をひそめました。

「実は、みなさん、僕は親父の顔が気に食わなかったんです。何かこう破廉恥で、高慢で、あらゆる神聖なものを踏みにじるような、嘲笑と不信のあの顔が。醜悪だ、実に醜悪なんだ! でも、親父が死んだ今となると、僕の考えも変わりましたけどね」

ここで「顔」のことが書かれています、「フョードル」の顔については(82)で自分でその崩れかけた容貌を冗談のたねにして「これが本当のローマ式の鼻だよ。これと咽喉仏が相まって、正真正銘の退廃期の古代ローマ貴族の風貌といえるんだ」とよく自慢していたといいます、また喋ると、真っ黒な虫歯の欠け残りが見え隠れする口元から、唾が飛びでたとも書かれています、そんな「フョードル」の顔を「ドミートリイ」は(343)で「でも、わからんよ、わからんさ・・・ひょっとしたら、殺さんかもしらんし、あるいは殺すかもしれない。心配なのは、まさにその瞬間になって、ふいに親父の顔が憎くらしくなりそうなことさ。俺はあの咽喉仏や、鼻や、眼や、恥知らずな薄笑いが、憎くてならないんだ。個人的な嫌悪を感ずるんだよ。そいつが心配なのさ。どうにも我慢できそうもないからな・・・」と「アリョーシャ」に喋っています、さらにその顔は(434)で「ドミートリイ」の暴力により「一晩のうちに大きな紫色の痣のできた額は、赤い布で繃帯されており、鼻も一晩でひどく脹れあがり、さほど大きくはないのですが、いくつかの痣がしみのようにひろがり、それが顔全体になにか一種特別な意地わるい、苛立たしげな表情を与えていました、そしてついに「ドミートリイ」が家に侵入したときに見た「フョードル」の顔は、(713)で書かれていますが、「あれほど不快な老人の横顔、たれさがった咽喉仏、甘い期待にやにさがる鉤鼻、唇、これらすべてが部屋の左手からさすランプの斜光で明るく照らしだされました。おそろしい、もの狂おしい憎悪が、突然「ミーチャ」の胸にたぎり返りました。『こいつだ、こいつが俺のライバルなんだ、俺を苦しめ、俺の生活を苦しめる男なのだ!』これこそ、四日前にあずまやで「アリョーシャ」と話したとき、「どうしてお父さんを殺すなんてことを、口にできるんです?」という「アリョーシャ」の問いに対して、さながら予感していたかのように答えた、ほかならぬあの突発的な、復讐心にみちた、もの狂おしい憎悪でした。」とのことです。

「どう変ったんです?」

「変ったわけじゃないけど、親父をあんなに憎んだことを残念に思うんです」

「後悔を感じておられるわけですね?」

「いや、後悔というんじゃない、これは書かないでくださいよ。僕自身だって、美男子ってわけじゃない、そうでしょう、じぶんだってたいして男前でもないんだから、親父を醜いと思う資格なんどなかったんですよ、そうなんです! これは書いてもかわいませんよ」


「フョードル」の顔について、あれほどまでに散々に書いてきた作者なんですが、ここでは一変してそれを否定するような表現を「ドミートリイ」の口から言わせています、この辺が作者の力量なのでしょう。


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