2018年6月30日土曜日

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「ああ、やたらにあの人の名を口にしないでください! あの人を引合いにだすなんて、僕は卑劣漢だ。そう、あの人が僕を憎んでいることはわかっていました・・・・ずっと以前・・・・いちばん最初から、まだ向うにいたころに僕の下宿を訪ねてきたあのときからです・・・・しかし、もういい、たくさんだ、あなた方はそんなことを知る値打ちもないんです、こんな話は全然必要ないし・・・・必要なのは、あの人がひと月前に僕をよんで、モスクワにいる姉さんとそれからだれか親戚の女性に送ってくれるようにと、この三千ルーブルを僕に預けたってことだけです(まるで、自分じゃ送れないと言わんばかりにね!)、ところが僕は・・・・それがまさに僕の人生の宿命的なときのことで、そのころ、僕は・・・・つまり、一口に言ってしまえば、僕が別の女性を、彼女を、今の彼女を、ほら今階下に坐っている女性ですが、あのグルーシェニカを好きになったばかりだったんです・・・・僕はそのときこのモークロエへ彼女を引っ張ってきて、二日間でその呪わしい三千ルーブルの半分、つまり千五百ルーブルをここで使い果し、あとの半分をしまっておいたんです。ほら、これが僕のしまっておいた、その千五百ルーブルですよ、僕はお守り袋の代りにそれを頸にかけて持ち歩いていたんですが、ゆうべ封を切って、どんちゃん騒ぎをやってしまったんです。今あなたの手もとにある残金八百ルーブル、それがゆうべの千五百ルーブルの残りですよ、ニコライ・パルフェーノウィチ」

「ニコライ・パルフェーノウィチ」は「ネリュードフ」のことです、ここではじめて明らかになったのは、あの自尊心の強い「ドミートリイ」がどうして「カテリーナ」の三千ルーブルを盗ってしまったかということです、彼はそういう卑劣な行為はしない人物だと思いますが、なぜそんなことをしてしまったのかということです、ここで「僕の人生の宿命的なとき」と言っているように「グルーシェニカ」を好きになってしまい理性をなくしていたのが主な理由でしょう、浮かれすぎて衝動的にモークロエに行ったのかもしれませんし、その背景には彼の「カテリーナ」に対する嫌悪感など複雑な気持ちもあったかもしれません、また、三千ルーブルは「フョードル」からもらうことのできる当然の金額であると思っており、それを実行するためにも自分を追い込もうとしたのかもしれません。

また、「ドミートリイ」が頼まれた送り先は「モスクワにいる姉さんとそれからだれか親戚の女性」とのことです、それは「ドミートリイ」が国境守備隊のときの中佐の娘で裁縫師の「アガーフィヤ・イワーノヴナ」ですね、また「だれか親戚の女性」とはわかりませんが、カテリーナの二人の叔母さんかもしれません。

「失礼ですが、それはどういうことですか。だってひと月前にあなたがここで使ったのは、千五百ルーブルじゃなく、三千ルーブルじゃありませんか。それはだれでも知っているでしょうに?」

あれほど三千ルーブルと言っていましたのでやはり、そこのところは疑問に思いますね。

「だれが知っているんです? だれが数えました? 僕がだれに数えさせたというんです?」

「冗談じゃありませんよ、あのときはちょうど三千ルーブル使ったと、あなた自身がみなに言ってらしたでしょうに」

「たしかに言いましたよ。僕は町じゅうに言いふらしたし、町じゅうの人もそう言って、このモークロエでもみんながそう思いこんでいたんです。みんなが三千ルーブルだと思いこんでいました。ただ、それでもやはり僕が使ったのは三千じゃなく、千五百ルーブルだけで、あとの半分はお守り袋に縫いこんでおいたんです。事実はこうだったんですよ、みなさん、これがゆうべのこの金の出どころです・・・・」

「ドミートリイ」はなぜ自分で町じゅうの人に三千ルーブルと言っていたのか、その質問にはこたえていませんね。

「奇蹟に近い話だ・・・・」

「ネリュードフ」が舌足らずに言いました。

「一つうががわせていただきますが」

ついに検事が言いました。

「あなたはこれまでにその事情を、せめてだれかに告げておかれなかったんですか・・・・つまり、ひと月前のそのとき、千五百ルーブルを手もとに残しておいたことをですね?」


「だれにも話してません」


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