2018年7月23日月曜日

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声がふるえはじめ、彼は本当に片手をさしのべようとしかけましたが、いちばん近くにいた「ネリュードフ」は、なにか突然、痙攣するようなしぐさで、両手をうしろに隠しました。

この「ネリュードフ」の突然の痙攣のようなしぐさはどうしてでしょうか、はっきりわかりませんが、彼は「ドミートリイ」を今まで犯罪の容疑の対象者としてみていたのですが、ここでの握手は「ドミートリイ」が人間としての人間的な握手を求めてきたのであり、「ネリュードフ」の立場としてはその壁は乗り越えてはいけないと感じたのではないでしょうか。

「ミーチャ」はとたんにそれを見とがめ、びくりとふるえました。

さしのべた手を彼はすぐに下ろしました。

「審理はまだ終ったのではなく」

いくらかきまりわるそうに、「ネリュードフ」がもたついた口調で言いだしました。

「町に行ってからもまだつづくわけですし、僕はもちろん、自分としてもあらゆる成功を望むつもりでいます・・・・あなたの無実が立証されるように・・・・もともと、ドミートリイ・フョードロウィチ、わたしは常にあなたを罪人というより、むしろ、いわばその、不幸な人間と考えがちでしたし・・・・われわれここにいる者はみな、あえて一同に代って申しあげるなら、だれもがみな喜んであなたを、本来は高潔な青年と見なしたいのです、しかし悲しいかな! あなたはある種の情熱にやや行きすぎであるくらい惹かれているのです・・・・」

「ある種の情熱」とは何でしょうか、女性に対する情熱なのでしょうか。

「ネリュードフ」の小柄な姿が、この言葉の終りころになると、堂々たる貫禄を示してきました。

「ミーチャ」の頭にふと、今にもこの《坊や》が彼の腕をとって、向うの隅へ連れてゆき、ついこの間の《かわい子ちゃん》の話をむし返すのではないか、という思いがちらとうかびました。

そういうことがあったので、「ネリュードフ」は「ドミートリイ」を女性と結びつける視点で見るのでしょうか。

しかし、死刑台に曳かれてゆく罪人の心にさえ、往々にして、さまざまの、まったく無関係な、場違いの考えがちらとうかぶものなのです。

これは、著者が実際に体験したことであり生々しい説得力がありますね。

「みなさん、あなた方は親切な、人道的なお方です。最後にもう一度、彼女(二字の上に傍点)に会って、別れを告げてもかまわないでしょうか?」

「ミーチャ」はたずねました。

「もちろんですとも、しかし諸般の事情を考えて・・・・つまり一口に言って、今や立会い人なしでは・・・・」

「どうぞ立ち会ってください!」

「グルーシェニカ」が連れてこられました。

しかし、別れは短い、言葉少ないもので、「ネリュードフ」を満足させませんでした。

「ネリュードフ」の満足とは何でしょうか、ここで一悶着でもあって、その中から何か事件に役立つことを収集しようとでも思っていたのでしょうか、いや先ほどからの流れで言うと男女間の愛情に関する何かがはじまることを期待したのかもしれません。

「グルーシェニカ」は深々と「ミーチャ」におじぎをしました。

「あなたのものといったん言った以上、あたしはいつまでもあなたのものよ。あなたがどこへ流されようと、永久にいっしょについて行くわ。さようなら、無実の罪で身を滅ぼしてしまったのね!」

この「無実の罪で身を滅ぼしてしまったのね!」ということが全てですね、客観的で突き放したような言葉ですが、これが真実であって、ぐさりと心に刺さる言葉です。

彼女の唇がふるえ、目から涙が流れました。


「赦しておくれ、グルーシェニカ、僕の愛を。僕の愛で君まで破滅させてしまったことを!」


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