2018年7月30日月曜日

851

彼は少年を愛していました。

もっとも、少年の機嫌をとるのなぞ卑屈なことと見なしたにちがいないし、教室では厳格な口やかましい態度をとっていました。

しかし、「コーリャ」自身も常に一定の距離をおいて接していたし、勉強もきちんとして、クラスで二番の成績をとり、「ダルダネーロフ」に対する応対もそっけありませんでした。

まったくおかしな訳ですね。

世界史にかけては「コーリャ」は当の「ダルダネーロフ」を《やりこめる》くらい強いということを、クラスじゅうの者が固く信じていました。

そして事実、一度「コーリャ」が彼に『トロイを創ったのはだれか?』という質問を発したとき、それに対して「ダルダネーロフ」は、民族のことだの、民族の移動や移住だの、古代だの、神話だのに関して全般的に答えただけで、トロイを創ったのがだれか、つまりどういう人たちだったかという肝心の点には答えることができず、なぜか質問そのものを無益な空疎なものと見なしたほどでした。

しかし少年たちは、トロイを創ったのがだれかを「ダルダネーロフ」は知らないのだと、という確信をそのままいだいてしまいました。

「コーリャ」は父の死後に遺された書棚の中にあった「スマラグドフ」の本で、トロイの創設者のことを知っていたのです。

やがて、ついに、すべての少年たちがトロイの創設者はいったいだれかという関心をいたくようにまでなりましたが、「コーリャ」は自分の秘密を明かさなかったため、物知りという評判はゆるがぬものになりました。

「コーリャは自分の秘密を明かさなかったため、物知りという評判はゆるがぬものになりました」という文章は一体何を言いたいのでしょうか、「自分の秘密」とは、父の本を読んだことだと思いますが、そのことを秘密にすることが物知りという評判をゆるがぬものにするのでしょうか。

鉄道事件のあと、母に対する「コーリャ」の態度にある種の変化が生じました。

息子の手柄話を知ったとき、「アンナ・フョードロヴナ」(クラソートキナ未亡人)は恐怖のあまり気も狂いそうになりました。

彼女は数日間にわたって断続的につづく恐ろしいヒステリーの発作を起したため、もはや本気で肝をつぶした「コーリャ」は、今後あんないたずらは二度としないと、殊勝に誓いました。

聖像の前にひざまずき、「クラソートキナ」夫人の命ずるまま、亡き父の思い出にかけて誓ったのですが、このときは、《男らしい》「コーリャ」自身も六歳の子供のように、《万感胸に迫って》わっと泣きだしてしまい、母も息子もこの日は一日じゅう互いに相手の腕に身を投じては、身体をふるわせて泣いていました。

翌日「コーリャ」は以前どおりの《冷淡な》顔で目をさましましたが、それでも今までより無口で謙虚になり、きまじめな、考え深そうな様子をしていました。

もっとも、ひと月半ほどすると、またもやある悪ふざけをやって捕まりかけ、治安判事にまでその名を知られることになりましたが、今度のいたずらはもうまったく別の性質の、愚にもつかぬ笑止なものでしたし、それに彼自身がいたずらをやったわけではなく、たまたま巻きこまれたにすぎないことがわかりました。


だが、このことはいずれあとで話しましょう。


0 件のコメント:

コメントを投稿